MVP ARCHIVE HISTORY | Civilization GOVERNMENT : GHQ / SCAP General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers1945–1952 / 連合国軍最高司令官総司令部

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連合国軍最高司令官総司令部
1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦における降伏を決定した。
9月2日、日本政府代表は東京湾上の戦艦 USS Missouri で降伏文書に署名すし、その後、日本は1952年まで連合国による占領下に置かれた。
この占領政策を日本で実施する中心となったのが、Supreme Commander for the Allied Powers( SCAP / 連合国軍最高司令官 )と、その司令部であるGeneral Headquarters( GHQ )だった。
一般には組織全体を「 GHQ 」または「 GHQ / SCAP 」と呼ぶことが多い。
最高司令官にはアメリカ陸軍の Douglas MacArthur( ダグラス・マッカーサー )が就任した。
GHQ は軍事占領のために設置された司令部である一方、その活動範囲は軍事だけではなかく、政治、行政、経済、教育、労働、農業、メディア、憲法など、日本の国家・社会制度の広い範囲に関係する占領政策を実施した。
1945|日本の降伏
1945年7月26日、アメリカ、イギリス、中国は日本に対して ポツダム宣言 を発表、宣言では、日本軍の無条件降伏、武装解除、戦争犯罪人への処罰、民主主義的傾向の復活・強化、基本的人権の尊重など、戦後日本に関する基本的な条件が示された。
日本政府は、8月14日に ポツダム宣言 受諾を決定。
8月15日、昭和天皇による終戦の詔書が放送された。
8月30日、連合国軍最高司令官に任命された マッカーサー が到着。
9月2日、降伏文書への署名によって日本の降伏が正式に確定。
Supreme Commander for the Allied Powers
SCAP とは、Supreme Commander for the Allied Powers
連合国軍最高司令官 という地位を指す。
その初代最高司令官 マッカーサー は、1945年から1951年まで SCAP を務め、1951年4月、Harry S. Truman 大統領 によって マッカーサー が解任されると、Matthew Ridgway( マシュー・リッジウェイ )が後任の連合国軍最高司令官となり、1952年の占領終了まで SCAP を務めた。
GHQ
SCAP の下で占領政策を実際に立案・調整・実施した司令部が、General Headquarters GHQ である。
GHQ は東京に置かれ、マッカーサー の司令部として特に知られているのが、皇居近くにある第一生命館である。
GHQ には軍事部門だけでなく、政治・経済・教育などを担当する多数の専門部局が存在した。
GHQの組織
政策分野ごとに専門部局が設置されていた。
Government Section|民政局
Government Section( GS / 民政局 )は、政治・行政制度を担当。
日本国憲法 制定過程で GHQ草案 を作成した中心部局も民政局である。
Economic and Scientific Section|経済科学局
Economic and Scientific Section( ESS / 経済科学局 )は、日本経済に関する政策を担当。
戦後日本の 経済制度改革 において重要な役割を持った部局である。
Civil Information and Education Section|民間情報教育局
Civil Information and Education Section( CIE / 民間情報教育局)は、教育、文化、宗教、情報などを担当。
戦後の 教育制度改革 でも中心的な役割を担った。
Public Health and Welfare Section|公衆衛生福祉局
Public Health and Welfare Section( PH&W / 公衆衛生福祉局 )は、公衆衛生や社会福祉を担当。
戦後直後の日本では食糧不足、住宅不足、感染症などの問題が存在しており、公衆衛生政策 も占領行政の重要分野だった。
日本を直接統治したのか
GHQ を理解するうえで重要なのが、日本政府との関係である。
ドイツでは連合国が地域を分割して占領し、連合国側が直接統治する部分が大きかったが日本では異なる方式が採用された。
日本の既存国家機構は基本的に存続し、占領政策では原則として、日本政府を通じて政策を実施する 間接統治 が採用された。
SCAPIN
GHQ から日本政府へ出された重要な指令は、SCAPIN Supreme Commander for the Allied Powers Instructions と呼ばれる。
SCAPIN によって日本政府へ具体的な占領政策が指示された。
日本政府は、それに対応して法律、政令、省令、行政措置などを整備し、実際の政策を実施し、日本政府による行政と、GHQによる占領政策が重なって存在していた。
非軍事化
占領初期の最重要政策の一つが、日本の 非軍事化 だった。
日本軍は解体、陸軍省・海軍省も廃止、軍需産業も整理が進められ、海外に存在していた日本軍人・民間人の復員・引揚げも大規模に行われた。
また戦争指導に関係した人物などに対する公職追放も実施された。
極東国際軍事裁判
1946年には、International Military Tribunal for the Far East( 極東国際軍事裁判 / 東京裁判 )が開始された。
連合国は日本の戦争指導者らを訴追、裁判は1948年まで続き、東條英機らが有罪判決を受けた。
東京裁判 は GHQ による占領期に行われたが、裁判そのものは連合国11か国から構成された 国際軍事裁判所 によって実施された。
政治制度改革
占領下では、日本の政治制度にも大きな変更が加えられた。
選挙制度改革 によって 女性参政権 が実現する。
1946年4月の 衆議院議員総選挙 では、日本で初めて女性が国政選挙へ投票し、女性国会議員も誕生し、地方自治制度も再編された。
また治安維持法の廃止など、戦前の政治制度に関係する法律・制度にも変更が行われた。
日本国憲法
GHQ と戦後日本を理解するうえで、特に重要なのが 日本国憲法 制定への関与である。
終戦後、日本政府は 大日本帝国憲法 の改正作業を開始、松本烝治を中心とする憲法問題調査委員会が改正案を検討するが、GHQ は日本政府側の案を不十分と判断した。
1946年2月、GHQ民政局は独自の 憲法草案( GHQ草案 ) を作成、日本政府はこれを基礎として日本側で条文化・修正を行い、帝国議会へ憲法改正案を提出、帝国議会での審議と修正を経て、1946年11月3日に 日本国憲法 が公布され、1947年5月3日に施行される。
農地改革
占領期の代表的な経済・社会改革の一つが 農地改革 である。
改革では政府が地主の農地を買収し、小作農などへ売り渡す政策が進められ、自作農が大幅に増加し、農村の土地所有構造を大きく変更する改革となった。
財閥改革
占領初期には、日本経済に大きな影響力を持っていた財閥への改革も進められ、持株会社整理委員会が設置され、三井、三菱、住友などの持株会社を中心とする企業支配構造の解体が進められた。
独占禁止法も制定された。
労働改革
労働制度についても改革が行われた。
1945年に労働組合法、1946年に労働関係調整法、1947年に労働基準法、などが制定され、や労働条件について、新しい法制度が整備された。
日本国憲法にも労働基本権が規定された。
教育改革
教育制度も戦前の教育制度が再編され、6・3・3・4制 を基本とする学校制度が導入され、1947年には教育基本法と学校教育法が制定された。
義務教育は小学校6年と中学校3年の9年間となった。
教育行政、学校制度、教科内容など広範囲に改革が行われた。
メディアと検閲
GHQ は民主化政策を進める一方で、占領期には新聞、出版、放送などに対する検閲も実施、GHQ 内部には Civil Censorship Detachment( CCD )などの検閲組織が存在した。
占領政策への批判、連合国に関する特定の情報、占領軍に関係する報道、その他占領政策上問題と判断された内容などが検閲対象となった。
GHQはアメリカ政府だったのか
GHQ / SCAP はアメリカ軍を中心として構成され、最高司令官もアメリカ人であり、実際の占領政策でもアメリカ政府の影響は非常に大きかった。
しかし制度上、SCAP は単純な「 アメリカ政府の日本支部 」ではない。
名称が示すように、日本占領は連合国による占領として制度化されていた。
連合国による占領統治
日本占領には GHQ / SCAP 以外にも国際的な組織が存在した。
代表的なのが、Far Eastern Commission( FEC / 極東委員会 )と、Allied Council for Japan( ACJ / 対日理事会 )である。
極東委員会にはアメリカ、イギリス、ソ連、中国など複数の連合国が参加し、日本占領政策に関する基本方針を扱った。
対日理事会は東京に置かれ、アメリカ、ソ連、中国、英連邦の代表が参加。


冷戦
GHQ による占領が続いている間に、世界情勢そのものが変化した。
第二次世界大戦 で同じ連合国側だったアメリカとソ連の対立が深まり、冷戦 が形成される。
1949年には中国で中華人民共和国が成立。
1950年には 朝鮮戦争 が始まった。
占領政策の変化
占領初期には、非軍事化・民主化・政治・社会制度改革が大きな柱だった。
その後は、経済復興・政治的安定・共産主義への対応などがより重視されるようになる。
この占領政策の方向転換は、一般に Reverse Course( 逆コース )と呼ばれ、財閥解体や公職追放など、初期政策の一部にも変更が加えられた。
1950|警察予備隊
1950年6月、朝鮮戦争が始まった。
日本に駐留していたアメリカ軍の多くが朝鮮半島へ移動する。
その後、マッカーサー の指令によって日本政府は 警察予備隊 を創設した。
警察予備隊は後に保安隊へ改組され、1954年には 自衛隊 が成立する。
この動きも、占領後半の国際情勢と日本の安全保障制度の変化を理解する重要な出来事となる。
1951|マッカーサー解任
1950年に始まった 朝鮮戦争 では、マッカーサー は国連軍司令官も務めた。
戦争方針をめぐって マッカーサー と トルーマン政権 の対立が深まる。
1951年4月11日、トルーマン大統領 は マッカーサー をすべての軍務から解任、これによって マッカーサー の約5年8か月に及ぶ日本での最高司令官としての任務も終了する。
後任の SCAP には リッジウェイ が就任した。
サンフランシスコ平和条約
1951年9月8日、日本と連合国諸国との間で、
Treaty of Peace with Japan | サンフランシスコ平和条約 が署名され、1952年4月28日に発効する。
連合国との戦争状態が法的に終了し、日本は主権を回復し、連合国による日本占領も終了する。
1952|GHQの終了
1952年4月28日、
サンフランシスコ平和条約の発効で、GHQ/SCAP による日本占領は終了。
1945年から約6年8ケ月、GHQ は占領という特殊な状況のために設置された臨時的な統治機構として役割を終えた。
Archive Point
GHQ / SCAP は、第二次世界大戦 後の1945年から1952年まで、日本における連合国の占領政策を実施した中心機構である。
最高司令官は、Douglas MacArthur・Matthew Ridgway の二人が務めた。
GHQ は軍事司令部として設置されたが、その活動は軍事に限定されず、日本の国家・社会制度の広い範囲を対象としていた。
占領方式では日本政府そのものを廃止せず、という間接統治が基本となり、また占領政策は一貫して同じものではなく、冷戦 と東アジア情勢の変化によって重点も変化した。
GHQ / SCAP とは、日本が連合国の占領下に置かれていた期間に、その占領政策を現地で実施するために存在した統治機構だった。

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