MVP ARCHIVE PEOPLE|Presidents USA : Richard Nixon 1913–1994 / リチャード・ニクソン - 第37代アメリカ合衆国大統領

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リチャード・ニクソン - 第37代アメリカ合衆国大統領
リチャード・ニクソン は、冷戦下のアメリカ外交を大きく転換させる一方、ウォーターゲート事件によってアメリカ史上初めて任期途中で辞任した大統領である。
その政治人生は、戦後アメリカの反共政治から始まり、中国との関係改善、ソ連とのデタント、ベトナム戦争、そして大統領権力と民主主義制度の衝突まで、20世紀後半のアメリカ政治そのものと深く接続している。
反共政治からホワイトハウスへ
リチャード・ミルハウス・ニクソン は1913年、カリフォルニア州ヨーバリンダに生まれ、デューク大学ロースクールを卒業して弁護士となり、第二次世界大戦 ではアメリカ海軍に勤務。
戦後の1946年、共和党から連邦下院議員に当選し、政界へ進出した。
冷戦 初期、ニクソン は元国務省職員アルジャー・ヒスをめぐる事件などを通じて、反共政治家として存在感を高めていく。
1950年には上院議員となり、1952年の大統領選挙では ドワイト・D・アイゼンハワー の副大統領候補に選ばれた。
ケネディとの1960年大統領選挙
1960年、ニクソン は共和党の大統領候補として、民主党の ジョン・F・ケネディ と争い、接戦の末 ニクソン は敗北が、テレビが大統領選挙のあり方を変えた象徴的な出来事として知られる。
1968年、ベトナム戦争 と国内社会の分断が深まる中、ニクソン は再び大統領選挙へ挑戦、1969年1月20日、第37代アメリカ合衆国大統領に就任した。
冷戦構造を動かす
ニクソン政権 を歴史的に特徴づける最大の領域の一つが外交だった。
当時の世界は、United States・Soviet Union・People's Republic of China
という巨大な三者の関係によって動き始めていた。
それまでアメリカは中華人民共和国を正式な中国政府として承認せず、両国の間には長期間にわたり正式な外交関係が存在していなかった。
ニクソン政権は、この構造を動かす。
1972|訪中
1972年2月、ニクソン は現職アメリカ大統領として初めて中華人民共和国を訪問し、北京で毛沢東と会談し、周恩来首相との協議を進めた。
訪問の最後には上海コミュニケが発表され、米中関係正常化へ向かう道が開かれた。
1949年の中華人民共和国成立以来続いてきた米中関係は、大きな転換点を迎え、正式な米中国交正常化は1979年のジミー・カーター政権で実現するが、その入口を開いたのが ニクソン政権 だった。
Détente|緊張緩和
1972年5月、ニクソン はモスクワを訪問し、ソ連共産党書記長 レオニード・ブレジネフ と首脳会談を行う。
ここで調印された重要な合意の一つが、SALT I Strategic Arms Limitation Talks である。
米ソ両国は核兵器を無制限に拡大し続けるだけではなく、その規模を管理するための交渉を進めるようになり、同時期にはABM条約も締結された。
核戦争へ発展する可能性を持つ二つの超大国が、対立を維持しながら交渉によって危険を管理するという新しい局面が形成された。
この時代は、Détente|デタント と呼ばれる。
Vietnam War
ニクソン政権 は、長期化していた ベトナム戦争 の終結という課題も抱えていた。
政権は南ベトナム軍へ戦闘の役割を移しながら米軍を段階的に撤退させる、
Vietnamization|ベトナム化政策 を進めた。
一方で戦争はカンボジアやラオスにも拡大し、アメリカ国内では反戦運動がさらに強まった。
1973年、アメリカ、北ベトナム、南ベトナムなどの間でパリ和平協定が成立、アメリカ軍の主要な戦闘部隊はベトナムから撤退した。
国内政策
1970年には、Environmental Protection Agency|EPA が設立された。
環境汚染が社会問題として急速に認識されるなか、大気、水質、化学物質などに対する連邦政府の環境行政が体系化されていく。
また1970年には Clean Air Act の大規模な改正が成立し、環境規制が強化された。
Nixon Shock|1971
第二次世界大戦 後の 国際通貨制度 は、ブレトン・ウッズ体制 を中心に構築されていたが、海外へ流出するドルが増加し、アメリカが保有する金とのバランスを維持することが難しくなっていく。
1971年8月15日、ニクソン はドルと金の交換停止を発表した。
いわゆる、Nixon Shock|ニクソン・ショック である。
これによって戦後国際経済を支えてきた ブレトン・ウッズ体制 は大きく揺らぎ、主要通貨はやがて変動相場制へ移行していく。
ニクソン政権 は外交だけでなく、現在まで続く国際金融構造の形成にも大きな転換点を残した。
Watergate
1972年6月17日、ワシントンD.C.のウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会本部へ侵入した5人の男が逮捕された。
当初は一件の侵入事件に見えたが、その後の捜査と報道によって、侵入犯とニクソン 再選委員会との関係が明らかになっていくにつれ、事件そのものから、ホワイトハウスによる隠蔽へと拡大した。
White House Tapes
ニクソン はホワイトハウス内の会話を録音するシステムを使用していた。
上院のウォーターゲート特別委員会や特別検察官は、この録音テープの提出を要求、ニクソン は大統領特権を理由に提出を拒否した。
問題はやがて、大統領は司法手続きから免れることができるのか という憲法上の問題へ発展する。
1974年7月24日、連邦最高裁判所は、United States v. Nixon で全員一致の判断を示し、ニクソン に録音テープの提出を命じた。
大統領の権限にも司法手続きに対する絶対的な免責は存在しないことが示された。
1974|Resignation
テープの公開によって、事件隠蔽への ニクソン 自身の関与を示す内容が明らかになり、下院では弾劾手続きが進み、政権を維持することは困難となり、1974年8月8日、ニクソン はテレビ演説で辞任を発表。
翌8月9日、正式に大統領職を退いた。
アメリカ史上、任期途中で辞任した唯一の大統領となった。
副大統領ジェラルド・フォードが第38代大統領へ昇格する。
同年9月、フォード は ニクソン に対し、大統領在任中に行った可能性のある連邦犯罪について全面的な恩赦を与えた。
大統領権力と制度
議会、司法、報道機関、捜査機関、そして大統領府の関係が問われた。
大統領は巨大な行政権力を持つが、その権力は憲法、議会、司法制度から独立して存在するものではない。
ニクソン政権 の終焉は、「 大統領権力はどこまで許されるのか 」という問いをアメリカ社会へ突きつけた。
歴史の中のRichard Nixon
ニクソン の大統領時代には、現在の国際政治・経済・アメリカ民主主義へ接続する複数の大きな転換が集中している。
外交では冷戦の固定された構造を動かし、経済では戦後国際通貨体制の転換点に立ち、国内政治では、大統領権力そのものが制度によって問われる事態を生んだ。
MVP Perspective
中国との接触、ソ連とのデタント、核兵器管理、ベトナムからの撤退、国際通貨体制の転換、その一方で、ウォーターゲート事件は大統領自身を辞任へ追い込み、アメリカ社会に政府と権力への深い不信を残した。
リチャード・ニクソン を通して見えてくるのは、政治指導者が歴史を動かす力と、その政治指導者自身を制度が制約する力、冷戦、国際経済、そしてアメリカ民主主義。
リチャード・ニクソン は、その三つの歴史が交差する場所に立つ大統領である。

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