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書く人生が続いている

 書く人生が続いている。

 正直に言えば、こんなにも長く続くとは思っていなかった。ふと振り返ると、私が「書く」という道に足を踏み入れた瞬間は、ひとつではなかった。

 小さな「書く人生のはじまり」がミルフィーユのように折り重なって、今の私をつくっている。

幼少期:ないなら作ればいいじゃない。マリーアントワネットみたいな少女時代

 幼いころ、父は小さな木造会社で働いていた。まだ生活に余裕がなく、家にはおもちゃらしいものがほとんどなかった。

 隣の芝生は、どこまでも群青色に見える──まさにそんな年頃だった。

 友達の家で見たリカちゃん人形と二階建てハウスは、当時スーパーで手軽に買えるセボンスターのアクセサリーよりも、遥かにまぶしく輝いて見えた。

「人形の二階建てハウス」は、まさに私からすれば「お金持ちの象徴」。人形だけでなく、家具や小さなおうちまで揃っている家には、「資金的な余裕」が仄かに漂っていて、それを当たり前のように受け止めて遊んでいる友達の姿が、どうしようもなく羨ましかった。

「手に入らないなら、描けばいいじゃない」

 ふと、脳裏にもう一人の私が囁いた。その言葉に従うように、私は広告の裏に女の子を描き、紙で二階建ての家を作ることにした。

 その時、私は知ったのだ。与えられないなら、自分で作ればいいのだと。小さな紙の家を作るうちに、私の中のマリー・アントワネットが目を覚ましたのだ。

小学校:母のきっかけが「日記を書く習慣」へ


 小学校のころ。小沢昭巳さんの『とべないホタル』の読書感想文を書き、母へ差し出した。

 ところが返ってきたのは、「凄いじゃない」といったお褒めの言葉ではなく、まさかの大爆笑だった。

「ホタルは一匹じゃキレイではありませんが、たくさんいると綺麗です?本のテーマと全然関係ないじゃないの!!当たり前のことを、もっともらしく書いただけじゃないの」

 母の笑い声に、私は一瞬で奈落の底へ落ちた。激しく落ち込む私を見て、母はそっと一冊の日記帳を差し出した。

それから毎日、私は母に日記を提出した。
弟ばかりを気にかける母に、少しでも自分を見てほしくて。

私にとって「書く人生がはじまった」のは、まさにこのタイミング。

 あの時の悔しさは、何十年後にエッセイとなり、いしかわゆきさんのコンテストで「最初の読者は『母』で賞」を受賞した。

 あの日の涙は、もしかすると未来の私のために熟成されていたのかもしれない。

中学校:発情期。片思いストーカー日記

 中学校に入り、剣道部へ。同じ部活のイケメン貴公子・武田君に恋をした。話しかける勇気のない私は、彼を遠くから観察し、その一挙手一投足を日記に書き留めていった。


 目が合った、気がする。
 今日は三回目があった、気がする。

──気がする、ばかり。

 私の文章の大半は、ほぼ曖昧な言葉で構成されていた。もちろん、武田君が私をどう思っているのかなんて、確認したことは一度もない。

 あの時、なぜあんなものを書いていたのか──今になってようやく分かる気がする。それは武田君が、髪はさらりと光を弾くように美しく、端正な顔立ちをした、まぎれもない美少年だったから。

 一瞬一秒が美しくて、見逃したくない。
 その瞬間を「切り取って、残したい」。


 あの頃の私は、狂気ともいうべきか。そんな衝動に取り憑かれていたのだ。

 その狂気に、武田君は気づいたのだろうか。私が視線を向けるたび、彼は下敷きでその麗しい顔を隠すようになった。

 当時の私は本気で落ち込んだけれど、今ならよく分かる。

──あなたの判断は、まぎれもなく正しかった。

 もし万が一うまくいっていたら……私の日記の格好のネタにされ続けていたに違いないのだから。

 武田君との恋は、結局実らなかった。けれど、あの頃の「観察日記習慣」のおかげで、「俳優を観察し、魅力を言語化する」というスキルが身についた。

武田君に少し似ている山中さん。

 今、リアルサウンド映画部でエンタメコラムを書いているのは、その延長線上にあるのかも。人生、本当に無駄なことなんてひとつもないのだ。

高校~短大:夢と発信の狭間で

高校に入ると、母から漫画を描くことを止められた。

「成績、あなたクラスでビリじゃないの。いい加減、現実を見なさい」

 ごもっともである。

 短大に進学する。周りは彼氏ができた話や、合コンの武勇伝で盛り上がっていた。

 友達も彼氏もいない私は、会話に馴染めなかった。

 寂しさを抱えたまま、私はインターネットの世界に居場所を求めた。当時、ある人気アーティストのファンだった私は、その人たちが作る非公式ファンサイトの掲示板に顔を出し、誰かとのつながりを追い求めた。

 掲示板に言葉を投げると、画面の向こうにいる「誰か」が、言葉を返してくれる。嬉しかった。

 それまで私は、自己満足の世界で「創作」や「日記」を書いていた。けれどこの頃から、自分の言葉を「誰かに届けたい」と思い始めた。

 20歳。独学でホームページを組み上げた。

 掲示板やカウンターをつけ、ひとつずつ世界が形になっていくのが嬉しくてたまらなかった。

 ホームページの名前は、「シークレットベース」。秘密基地、隠れ家という意味を持つ言葉だ。

 その小さな基地で、私は初めて自分の言葉を外の世界へ放った。ポエムを書き、文章を書き、誰に頼まれたわけでもない「書く場所」を自分の手でつくった。

 あの瞬間、私は気づいたのだ――自分の居場所は、自分でつくれるのだと。そしてそこから、私の「書く喜び」が、少しずつ始まっていく。

社会人:夢と現実の狭間で

 「就活に強い短大」に入ったはずなのに、現実は60〜70社落ち続けた。

 今思えば当然だ。私の「やりたいこと」は、最初から全部「創作」だったのだから。

 会社で叶えたい夢なんて、ひとつも持っていなかった。

 それなのに、「とりあえず就職すれば母が喜ぶだろう」なんて甘い考えで、「数うちゃ当たる」みたいな気持ちで会社の面接を受けて……そんな姿勢で受かるはずなんかない。

 案の定、やっと決まった会社も、たった1ヶ月で「明日から来なくていいです」と告げられた。

 甘い考えで生きてきた自分への、どうしようもない代償だった。

 それから100均で働き、初めて「社会ってこういう場所なんだ」と思い知った。半年後、別の会社に就職できた時は、「働けるってありがたいなぁ」と心から思った。

それでも、胸のどこかではずっと、

――書きたい。

と。何度つまずいても、その想いは消えてくれなかった。

 20代前半。中学の友人が作家として成功したとき、胸がざわついた。嫉妬とも憧れともつかない感情が渦を巻き、

「私もやってみたい」

と思った。そこから、公募に挑戦しはじめた。けれど、書くたびにお腹を壊した。頭の中では鮮やかに描けているのに、いざ文字にするとその1割も届かない。理想と現実の差が怖くて、書くことそのものが苦痛になっていく。


書くことが怖くなった。

逃げるように、よさこいを始めた。

合コンに通い、美容やファッションに投資し、
今まで抑えてきた鬱憤を晴らすみたいに、
とにかく人と会って、笑って、遊んだ。

賑やかさに身を浸すことで、「書きたいのに書けない自分」を必死にごまかした。

 ふと、結婚したくなった。
 けど、縁がなかった。

 そんなとき、街コンで出会ったイケメン社長に一目惚れして声をかけたら、その人がイベント会社の社長で、ちょうど「街コンライター」を募集していると言う。好奇心で、迷わず応募した。

 社長は最初「本当にあなた、書けるの?」と疑心暗鬼だったが、当時綴っていたアメブロを見せたら「君は天才だ!」と気に入ってくれて、即採用となった。街コンコラムだけでなく、「連載小説も書かせてほしい」と言えば、1話ごとに原稿料を払ってくれた。

 イベント会社のスタッフ的な仕事も任され、思いがけない仕事が次々と舞い込んだ。お客さんが喜んでくれるのが嬉しかった。

 自分でも誰かの役に立てるのかもしれない――そんな手応えを、初めて感じた。

 そこからは、自分で案件を探して応募するようになり、SNSで記名記事をシェアしはじめたことで、活動の幅はさらに広がっていった。

そして今──書く人生は、ひとつの始まりではない

 結婚し、子どもが生まれ、趣味で応募した公募の縁で、ビジネス書を出版した。

 振り返れば、日記も、ストーカー日記も、ポエムも、ブログも、クビになった日も、泣きながら書いた夜も━━すべてが一本の線でつながっている。

 書く人生を続けてきて、ひとつ気づいたことがある。

それは、辛かった経験ほど、書くべき時が来たときに、その人にしか持てない「説得力」として光を放つのではないか、ということだ。

 先日、自著の編集担当の岡本さんから

「みくさんは、熟成して考えたことをアウトプットするから面白い」

と、言っていただいたことがある。

 たしかに私は、普段から何気なく妄想したり、考えごとをぐるぐる巡らせたりする癖がある。その癖こそが、いつも私を「いろんな書くはじまり」へと連れていってくれるのかもしれない。

そして「書く」の濃度は、出会った縁や出来事と、どれだけ真剣に向き合えるかで決まっていくのではないか、と。

 逃げずに、誤魔化さずに、ちゃんと向き合った分だけ、放つ言葉は強く。そして、深くなる。

 刺さるかどうかは「強い言葉」を発すれば良いわけじゃない。

 自分が、どれだけ人生と「向き合ってきたか」で決まるのではないだろうか。

 書く人生は続いていく。そうすれば、また新しい「書くはじまり」が訪れると、私は信じている。

【完】
(3897文字)


 現在、「書く人生がはじまった瞬間」コンテストを開催しています。
50作品集まったら「私も書きます」と宣言していたので、

……というか、実は「岡本さんのアドバイス」です。

 この案を告知したところ、ぐっと応募数が増えたので、さすが敏腕編集者兼マネージャー兼相棒です……!

 早速私も、書かせていただきました!!4000文字以内で抑えるのが大変でした……。

 現在、応募作品は56作品目となりました。締め切りは3/31まで。まだまだ応募しております!

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