見出し画像

登山靴とサンドイッチ

八月十一日は山の日。もう何十年も登山はやっていない。マラニックで山に登ることはあるけど登山とは別物だ。最後の登山はいつだったかと考えていたら、登山靴の話にたどり着いた。


八月十一日は山の日だ。祝日になってまだ十年くらいのはずだが、私はこの日が来るたび、あれ、今日はなんの日だったかと考える。

父は山の人だった。私が小学校に上がるか上がらないかの頃、よく連れて行かれた。休みになると靴を出して、水筒に何か詰めて、私を連れて出る。私は行った。行くものだと思っていたし、断るという発想がなかった。

一度、父と二人で山頂まで登ったことがある。

道中、すれ違う人には挨拶をするように言われた。私は恥ずかしかった。知らない大人に自分から声を出すというのは、当時の私にはかなりの大仕事である。それでもできるだけ、こんにちは、と言うようにした。

すると全員が返してくる。こんにちは。中には足を止めて、頑張って登ってねと言ってくれる人もいた。山にいる人はどうしてこんなに感じがいいのか、と子どもながらに思った。

こんにちはを言うたびに、足が少し軽くなった。

その日のことで覚えているのは、着いた、と思った瞬間だ。それ以上登る場所がなくなって、息が上がっていて、汗を風が冷やしていく。あれは達成感だった。自分の足でどこかに到着した、たぶん人生で最初の記憶である。

別の日には、母も一緒に三人で登った。たぶん冬だった。途中でコンロを出して、ラーメンを炊いた。山の途中で湯を沸かして麺を放り込む、ただのインスタントラーメンである。それが妙にうまかった。指がかじかんでいて、鼻の下が濡れていて、汁を飲むと喉から胃まで通り道が熱くなるのがわかる。

その日は山頂まで行かなかった。ラーメンを食べて、そのまま引き返した。今になって思えば、あれは登るための山ではなかったのだろう。

そのうち父が言った。大きくなったら登山靴を買ってやる。
何歳になったら、と私は聞いた。
十七歳くらいかな、と父は言った。

十七歳。当時の私には遠い数字だった。私はその年を、登山靴が手に入る年として覚えた。

で、十七歳になった。

父はもう山に登っていなかった。医者に止められたらしい。登山靴の話は、当然のように覚えていなかった。

代わりに父は、海の人になっていた。ただし潜るのも止められている。山は駄目、潜るのも駄目。残ったのが釣りだった。父は釣りに没頭した。山の道具がしまわれて、竿とクーラーボックスが玄関に立つようになった。

そして私は、父が釣りに行く日の弁当係になった。

弁当はサンドイッチだった。父が指定した。

これがよくわからない。父は普段、あまりパンを食べない人である。それが釣りの日だけ、サンドイッチを所望する。どうやら父は、娘の得意料理はサンドイッチだと思っていたらしい。

私にそんな自覚はない。得意だと言った覚えもない。どこかで一度作ったものが、そのまま父の中で定着したのだと思う。人の得意料理というのは、本人の知らないところで決まるものらしい。

中身はハム、卵、きゅうり、トマト。だいたいこの四つで、代わり映えはしない。耳は切らない。切ってくれと言われたこともない。

父が出て行くのは三時か四時である。私はその前に起きて、パンを並べて、具を挟む。玄関でサンドイッチを渡して、見送って、それからもちろん寝る。

つまり私は、登る側から挟む側になったわけである。本人にその自覚はまるでなかった。

釣果はその日次第だった。大漁の日もある。引いたときは大物だと思ったのに、上げてみたら小さくなっとった、という日もある。魚は縮まないと思うのだが、父の中ではそういうことになっていた。

登山靴は、いまだに持っていない。今はランニングシューズで山に登っている。

代わりに私は、サンドイッチが得意ということになっている。

それから、いまだに知らない人に挨拶をする。マラニックの大会に出ると、すれ違うたびにお疲れさまが飛び交う。大会でもない日に、ただ走ったり歩いたりしているだけのときも、人とすれ違うと自然にこんにちはが出る。

靴はもらえなかったが、こんにちはの方は残った。まあ、そういうものなのだろう。


#エッセイ #山の日 #登山 #魚釣り #サンドイッチ #マラニック #漫画 #ラーメン

いいなと思ったら応援しよう!

三毛野たま@AI漫画 記事を読んでくれてありがとうございます。気が向いたら、チップで応援していただけると、次の漫画やエッセイを描く力になります。