一年に一回のとうもろこし
昨日、とうもろこしを買った。今年に入って初めてである。理由は安かったから、それだけだ。
袋から出して、台所で皮をむいていたら、子供のころのことを思い出した。家の周りにとうもろこしが植えてあって、夏になると、いつのまにか茹だっていたころの話である。

植えたのはたぶん祖母だと思う。確かめたことはない。夏になると生えていて、気がつくと茹でてあった。私は食べるところだけをやっていた。あれは何本食べたのだろう。数えたことがない。数えないくらいには、あった。
袋には三本入っていた。分けて食べる相手はいない。三本とも私が食べる。だから買うか買わないかは、私だけで決まる。
去年も買ったと思う。たぶん買った。いつ買ったのかは思い出せない。ただ、家で茹でて食べたことだけは覚えている。外で食べたわけでも、もらったわけでもない。同じ台所で、同じことをしたはずである。それなのに、その一回が残っていない。

外側の一枚は乾きかけていて、めくるとぱりぱり音がした。内側にいくにつれて湿ってきて、最後の一枚は指に張りついた。ひげが手のひらにまとわりつく。何本かは流しに落ち、何本かは服についた。あとで服から取れなくて、しばらく指でつまんでいた。
包丁で根元を落とす。芯の断面が白くて、思ったより硬い。
鍋を出そうとして、やめた。フライパンに三本並べて、水を少しだけ入れて蓋をした。これで茹だる。いつからこうしているのか覚えていないが、鍋に湯を沸かして待つ気にはもうならない。
蓋のふちから湯気が出てきた。タイマーをかけて、その間に玄関を掃除する。茹で上がるのを眺めて待っていられるほど暇ではない。
台所が暑い。八月に火を使うと、五分で額が湿ってくる。扇風機は居間にあって、取りに行くのが面倒だった。玄関にいるあいだも、家の奥からとうもろこしの匂いがしていた。
タイマーが鳴った。三和土に箒を置いたまま、台所に戻る。
とうもろこしを自分で茹でで食べるのは、今は一年に一回である。植える人がいなくなった。だから買っている。皮をむくのも茹でるのも自分になって、回数だけ減った。

蓋を開けた。黄色が濃くなっていた。生のときはもっと薄い、白に近い黄色だったのに、火が入ると急に色が決まる。あの粒の並びは、いつ見ても揃いすぎている。
熱いうちに一本かじった。列が三つ、四つと減っていく。歯の間に皮が残る。子供のころは、この残るのが嫌だった。今は、まあ、そういうものだと思って舌でよけている。
誰も見ていないので、行儀の話はしない。
一本で終わるつもりだったのに、そのまま二本目に手が伸びた。二本食べたところで、さすがに手を止めた。残りは一本になった。
食べ終えた芯を見て、少し迷ってから捨てた。捨てるときに、去年もこの芯を見たのだろうかと考えた。やはり思い出せない。
残りの一本は明日にした。バター醤油で焼いてみるつもりでいる。去年のことはほとんど思い出せないのに、明日のことは決まっている。
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