「太ってると損するよ」と妻に言われた朝、80点を報告した息子にどう振る舞うか考えたこと
こんにちは、芽芽斗 守(めめと・まもる)です。
今日も朝起きて、いつものように珈琲を飲んでいたら妻からひと言。
「あれっ、太ったんじゃない?」
……とうとうバレてしまいました(笑)。
ええ、自覚はしておりました。
昨日は父の日でしたので、何が食べたいと聞かれてブッフェに行きました。
少し前には幼馴染と一杯目からラーメンを食べて、そのまま飲みに行きました。
もともとは息子の入学式に向けて、写真写りを良くしようとダイエットをしていたのです。
それが終わってタガが外れて、今に至ります。
ウォーキングは雨の日でなければ毎日欠かさず続けています。
それでもオーバーカロリーなのか、それとも加齢のせいなのか。
私のヘッダー画像はシュッとした男性ですが、あれは毎回「がたいのいい男性に直して」とプロンプトを書くのがしんどくなっただけです(笑)。
実態はプロフィール写真のほうを想像してもらえればと思います。

昨日は息子に腹の上へ乗られて「パパ、そろそろやばいんじゃないの?」と言われ、今日は妻からもこの調子でした。
太った話から始めておいて変な切り出しですが、今日はこの朝の出来事と夕方の小学校の個別面談が、自分の中で一本につながった日でした。
子どもの点数とどう向き合うか迷っている人、見た目や数字で人が測られることにどこか納得できないものを感じている人に読んでもらえたら嬉しいです。
痩せたいけど、目的がない
痩せなきゃとは思うのですが、困ったことに今は目的がないのです。
妻はもともと、がたいのいい人が好きです。
付き合っていた頃も、私がnoteのヘッダーくらいの体型だったときも「もっと太って」と言うような人でした。
入学式も終わり、痩せる理由も見当たらない。
そんな話をしていたら、妻がこう言いました。
「太ってるだけで損することって多いから、もう少し痩せたほうがいいよ」
ほら、政治家でも痩せてる人と太ってる人が同じことを言っても、言葉の重みが違うでしょと。
太ってと言ったり痩せたほうがいいと言ったり、忙しい人だなとも思いましたが、政治家の話には一理あると思いました。
妻の話を聞いて、昔どこかで読んだ言葉を思い出しました。
ハロー効果です。
同じ言葉でも、誰が言うかで重みが変わる
ハロー効果は、1920年に心理学者のエドワード・ソーンダイクが提唱した考え方です。
人を評価するとき、外見のような目立つ特徴に引きずられて、中身の評価まで歪んでしまう。
そういう認知のクセを指します。
見た目が整っている人の話は、説得力があるように聞こえる。
清潔感のある人は、仕事もできそうに見える。
逆もまた然りです。
中身は同じでも、外側の印象で受け取られ方が変わってしまう。
妻が言った政治家の話は、まさにこれでした。
いやほんとに、不公平な話だと思います(笑)。
ただ、不公平だと文句を言ったところで、この効果が消えるわけではないですよね。
人は、案外そういうふうにできている。
だから体重計の数字にはあまりこだわらないけれど、ダイエットは始めることにしました。
妻が「もういいよ」と言ったらやめる。
また「太ったよ」と言われたら始める。
今は目的がないので、それくらいの緩さでいいかなと(笑)。
なにか兆しがあれば、需要があるかわかりませんがまたご報告できればと思います。
80点の報告に、私が返した言葉
そんな朝を過ごした今日、夕方に個別面談がありました。
息子が小学校に入学してから2回目になります。
1回目はこちらの記事にも書きましたが、幼稚園から小学校への変化に戸惑いはないかという、顔合わせのような時間でした。
2回目の今回は、お互いに相手の人となりがなんとなく掴めた状態だったので、もう少し踏み込んだ話ができました。
その中で、気になっていたことを先生に聞いてみたのです。
少し前に、息子が意気揚々と報告してくれたことがありました。
「テスト、80点だったんだよ」
もちろん80点はいい点数です。
私が学生の頃なら、80点取れたら「よくできた」と思っていました。
ただ、そのとき私が息子に伝えたことが正解だったのか、ずっと自信がなかったのです。
私が言ったのは、こんな言葉でした。
まず「80点はすごいね。がんばったね」と褒める。
そのうえで「パパとしては、点数は何点でもいいんだよ」と。
大事なのは何点取れたかじゃない。わからなかったところを見直して、なぜできなかったのかをきちんと理解することなんだよ。
そう伝えました。
テストのときって、普段とは段違いの集中力を使いますよね。
だからどんな問題だったか、記憶に残りやすい。
普通に間違えて直すより、何倍も身につくと私は思っているのです。
冷蔵庫に隠した答案の話
この考えは、私自身の失敗から来ています。
私は小学生のとき、お世辞にも成績のいい生徒ではありませんでした。
小テストで20点、30点なんてことも、ざらにあった。
そのとき私がしていたのは、やり直しではありません。
どうやって親にバレずに隠すか、それだけを必死に考えていました(笑)。
私が編み出したのは、冷蔵庫の下のわずかな隙間に答案を滑り込ませるという技でした。
そこに隠すと、テストの存在ごと頭から消える。
見たくないものを視界から消せば、無かったことにできる。
子どもなりの現実逃避です。
ただこれ、大人になった今でもやってしまう気がします。
開きたくない通知。
後回しにしている健康診断の結果。
そして、太ったのに乗らない体重計(笑)。
人は都合の悪いものから、案外かんたんに目をそらせてしまうものですよね。
冷蔵庫の結末は、想像どおりです。
買い替えのときに無惨な答案が大量に出てきて、こっぴどく叱られました。
間違えたところを見直す大切さに気づいたのは、高校生になってからでした。
模試で間違えた問題を、解答と照らし合わせて一つずつやり直す。
それを続けたら、面白いように成績が伸びていきました。
そのとき思ったのです。
間違えた問題をそのままにせず、なぜ間違えたかをちゃんとやっておけばよかったと。
もし小学生のうちに知っていたら、基礎の力が一段も二段も変わっていたはずだと、今でも思います。
そういう背景があって息子に伝えたのですが、あくまで自分の経験則です。
だから先生に「あの言い方でよかったんでしょうか」と確認したかったのです。
先生がくれた、もうひとつの視点
面談で聞いてみると、先生もほとんど同じことを言ってくれました。
教育方針にズレがなくて、正直ほっとしました。
お直しを大切にしていることは妻からも聞いていたので、その点でも安心しました。
ただ、そのうえで先生はこう付け加えたのです。
「でも、点数を気にしなさすぎるのも、よくないですよ」
学校の小テストには、たしかにお直しを通じて理解を深める意味がある。
でも、いずれ本当に競わなければいけない場面が出てくる。
そこでは、点数がこれまでより大きな意味を持つようになりますと。
通知表。学年が上がるにつれて増えていく評価。
さっきまで「何点でもいい」と言っていた点数が、ある日から急に意味を持ち始める。
その話を聞いたとき、今朝の妻の言葉が重なりました。
太っているだけで損をする。
痩せている政治家と太っている政治家では、同じ言葉の重みが違う。
中身がどれだけ良くても、外側の数字や見た目で測られてしまう世界が確かにある。
私が息子に伝えたかったのは「点数より、間違いから学んで次につなげよう」という話でした。
先生が教えてくれたのは「その点数で評価される世界も、いずれ来る」という現実でした。
どちらも正しいのだと思います。
その褒め方には、研究の裏づけもあった
家に帰ってから、自分の声かけをもう一度振り返ってみました。
実はこの「点数より、がんばりを褒める」という関わり方には、心理学の裏づけがあります。
スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックらによる、有名な研究です。
子どもを褒めるとき「頭がいいね」と能力を褒めるか、「がんばったね」と努力を褒めるか。
たったそれだけで、その後の行動が大きく変わったのです。
努力やプロセスを褒められた子は、次に難しい問題を選びやすくなる。
失敗を恐れず、挑戦そのものを楽しむようになる。
逆に能力を褒められた子は賢いと思われたくて、簡単な問題を選ぶようになる。
そしてうまくいかないと、意欲も成績も落ちてしまった。
調べてみると、私が直感でやっていた声かけは間違った方向ではなかったようです。
そこは少し救われた気がしました。
ただ、これはあくまで褒め方の話です。
点数そのものを軽んじていいという話ではない。
がんばりを見ることは大事です。
でも点数で測られる場面もある。
先生が教えてくれたのは、まさにこの後半でした。
どちらか片方だけでは、たぶん足りないのですよね。
数えられないものに、目を向ける
ここで思い出した言葉があります。
数えられるものすべてが大切とはかぎらない。
そして、大切なものすべてが数えられるとはかぎらない。
この言葉はアインシュタインの名言としても知られています。
ただ出典として確認できるのは、ウィリアム・ブルース・キャメロンの『Informal Sociology』のようです。
それでも、言っていることは胸に残ります。
テストの点数は、数えられます。
体重計の数字も、数えられます。
でも、わからなかったことを理解できた喜びは数字になりません。
人の誠実さも、こつこつ積み上げたがんばりも同じです。
数えられないけれど大切なもののほうが、きっとずっと多い。
私は息子に、そういう価値がわかる人になってほしいと思っています。
ただ、今日一日で思ったのは、そこで止まってはいけないということでした。
数えられないものが大切なのは本当です。
でも世の中には数えられるものだけで人を測る場面も確かにある。
受験も、就職も、ときには初対面の第一印象すらも。
数えられないものを大切にしながら、数えられる世界のルールからも目をそらさない。
その両方を持っている人が、いちばん強いのかもしれません。
だから息子に伝えたいのは、たぶんこういうことです。
点数そのものを追いかけなくていい。
でも、点数が意味を持つ世界があることは知っておいたほうがいい。
そのうえで、間違えたところをちゃんと理解する。
その積み重ねが結果的に点数にもついてくる。
数字にならない中身を育てることが、めぐりめぐって数字で見える結果につながっていく。
順番を間違えないことが大事なのだと思います。
教える側も、教わっている
書きながら気づいたことがあります。
今日の私は、息子に「評価とどう向き合うか」を教えようとしていました。
でも同じ日の朝、妻から「見た目で損をする世界がある」と教わっていたのです。
教える側のつもりが、しっかり教わっていた(笑)。
私のダイエットも、たぶん同じ構造です。
体重という数字に支配されるのは嫌です。
でも、数字で受け取られ方が変わる世界があることはもう知っている。
だから数字は追わない。
でも、緩く始めてみる。
数えられないものを大事にしながら、数えられる世界ともちゃんと折り合っていく。
息子に言う前に、まずは自分の腹回りで実践してみようと思います(笑)。
とりあえず、締めのラーメンを控えることから始めましょうかね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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