行き過ぎた倹約の末路は悲惨。ケチな実家に帰省するときに思うこと
「わたしたちが帰省するときは、ケチはやめてね」
0歳と2歳を連れた夏休みの帰省を前に、わたしが還暦もとうに過ぎた父母に送ったLINEだ。
既読はついたが、返事はなかった。
行き過ぎた倹約は、人付き合いを難しくする
わたしは倹約家な父親とお金が使えない母親に育てられた、ケチ・サラブレッドだ。そんなケチ・サラブレッドでもついていけない両親の倹約家ぶりをみて思ったことがある。
行き過ぎた倹約は人を遠ざける。
わたしの両親はお金に埋もれて、孤独に命を終えるつもりなのかしら。
熱望されて行った三世代旅行での晩餐が、スーパーのお惣菜だった
2年前の夏休み、両親に熱望されて三世代旅行として一泊二日で海に行った。0歳の息子とはじめての海水浴を一緒にしたいと親が企画してくれたのだ。
0歳児を連れた旅行はなかなかに大変だ。自分だけの時とは比べられないくらい大量になる荷物の準備をして、ぐずる赤子にハラハラしながら長時間の移動、ミルクや離乳食、おむつ替えのタイミングに気を配りながら旅程を進める。
そうして宿に到着してホッと一息ついたと思ったら、夕食が近所のスーパーで買ったお惣菜だったときのがっかり感よ。気ままな貧乏旅行をするならいいが、0歳児を連れた旅行は親の気力も労力も時間も使う、一大イベントなのだ。当時は働いていたので、せっかくの休日をただただ疲れるつまんないイベントに使ってしまったとがっかりした。
二度と親の企画では旅行に行くまいと決意した。
駅からの送迎は、腰が痛くなる乗り心地の悪い車
実家には車が2台ある。よくある乗用車と、小回りが効いて荷物を大量につめる軽自動車だ。
軽自動車は運転席以外は人が乗るようなコンセプトではないから、助手席も後部座席もすこぶる乗り心地が悪い。産後は慢性的に腰が痛いわたしは、この車に乗るのが非常にしんどい。
「腰が痛いからもう一方の乗用車で迎えに来て」と何度お願いしても「こっちのが燃費いいのよ」とかたくなに軽自動車で迎えに来る。
もうあきらめてタクシーに乗っている。
娘一家を迎え入れる用意は最低限
実家の両親は遊びに来てと言い、実際わたしたちを泊めてくれる。
とはいえ、用意は最低限だ。パジャマはない。布団もぺらっぺらのが二組だけ。
ユニクロで季節のパジャマを買って置いてくれる義実家。
マットレス2段重ねで4人が広々寝れるスペースを準備してくれる義実家。
オット、わたし、子どもの好きな食べ物や飲み物を用意してくれる義実家。
義実家のおもてなしと比べてしまうと、全部自分で手配しないといけないことにちょっとうんざりしてしまう。
最近は親の了承を得たうえで、必要なものをネットで買って実家に届けてから帰省している。
倹約に付き合えなくなったら、その人とも疎遠になる
独身のころ、子どもがいなかったころは倹約家の両親と付き合うことは全然問題なかった。でも、子どもが生まれてから、違和感がどんどん大きくなってきた。
普段子どもを見ながら急いで冷めたご飯をたべているから、たまの旅行は美味しいものが食べたい。肉体的に疲れ切ってる自分を労わりたい。多少の不便はお金で解決したい。お金よりも、ゆっくり過ごせる時間やリフレッシュできること、子どもがいても快適に過ごせることに価値を感じているのだ。
そんな風に思っているときに、実家の倹約ペースはしんどい。両親はおそらく死ぬまでに使い切れないほどお金がある。それなのに倹約を強いられていると思うと疲れてしまうのだ。話しても変わらないとき、解決策は「関わらない」になってしまう。
そうしてこの2年、ほとんど実家に帰らなかった。
どんなに倹約しても、人付き合いでは倹約しない
娘にこんな風に疎遠にされてしまう両親を思って、改めて思う。
どんなにお金がもたらす自由が魅力的でも、人付き合いでは倹約しない。人と会う時の交通手段、会う場所、食べるもの、泊まるところ、こういうのは純粋なそのものの価値ではなくて『人と心地よく過ごす』ことに価値があることを肝に銘じたい。
そう思うと高すぎると思った一泊10万円の星野リゾートも友達家族との旅行の場として最高に価値があるし、なんてことないレストランのちんまりしたパスタ3000円も久しぶりの友人との再会の彩りとして価値がある。
ふだんから『お金を使って何が得られるか』をシビアにみて支出をしているからこそ、人付き合いで使うお金は『人と心地よく過ごす』ことが得られるということは忘れたくない。
人付き合いでは倹約しない。
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