【小説・ヴィーナス症候群】(849)熊本女の招集
東京郊外のフットサルコート。
コートを囲むネットの向こうに、夕暮れ前の淡い光が差し込んでいる。
生まれつき両腕のない「ヴィーナス児」であり、普段は赤坂のドレスブランド『Felice』で試着モデル――通称「トルソーさん」として静かに暮らす武隈莉子がフットサルコートに立ったのは、本当にただの行きがかり上だった。
熊本の高校時代の友人である上村くるみに「とにかく人がおらん、名前だけでも貸してはいよ!」と拝み倒され、連れてこられた草フットサルチーム『メロディーズ』。
ただでさえ交代要員なしの5人ギリギリで回していたチームの面々は、莉子の加入をまるで救世主のように大喜びして迎えた。(本編811話)
「そがん言うなら、もう一人心当たりのあるばってん」
莉子がそう言って呼び出したのは、中学時代の女子サッカー部でチームメートだった園田奈津だ。
コートに現れた奈津は、アメリカナイズされた金髪にド派手なメイク。
現在は米軍基地のPXで売り子をしているという。(本編692話)
その凄まじいビジュアルに、くるみはあからさまに気後れしながら、おそるおそる声をかけた。
「あの……なっちゃん、高校はどけやったつ?」
「ん? ああ、一応……肥後時習館」
「ヒ……ヒゴジィィーーッ!? 頭の良すぎやろが!!」
県内トップの超エリート校の名に、くるみがひっくり返るような大声を上げる。
驚くくるみを尻目に、莉子がピッチを見つめたまま淡々と言い添えた。
「それだけじゃなかよ。大学は早稲田で、そのあとは東西新聞におったつだけん」(本編387話)
「ちょっと莉子、それ大昔の話。あぎゃんところ、とっくの昔に辞め失せたよ」
奈津はフッと鼻で笑うと、すぐにボールを足元に引き寄せた。
「ほら、しゃべくりはおしまい! パス回しすっばい!」
転がり出したボールを目で追った瞬間、空気が変わった。
インサイドで確実にボールを捉え、莉子の足元へ転がす。
莉子は両腕がない分、完璧なボディバランスで軸をブレさせずにピッチを走り、正確なトラップからくるみへとパスを繋ぐ。
ポン、ポン、と乾いた音がコートに響くたび、泥まみれになってサッカーにすべてを注ぎ込んでいたあの若かりし頃の熱い感覚が、彼女たちの身体に鮮烈によみがえっていった。

一通り動いて心地よい汗をかいた後、ベンチでボトルを片手に涼んでいると、会話は自然とサッカー界を揺るがしている「あのニュース」へと流れていった。
ワールドカップ代表に選出されながらも、過去の性犯罪が発覚。
性犯罪を絶対に許さない姿勢を貫く国会議員・神園ましろから国会で猛烈に追及され、事実上の強制終了(引退)に追い込まれたスター選手――佐納海味の話題だ。(番外編48話)
「そもそもさ、監督の生保が何であぎゃん男ば召集したかって話たいね」
奈津が冷え切った声で口火を切る。
スポーツ紙の報道を思い出しながら、くるみも眉をひそめて乗っかった。
「言い訳しよったろが!『ミスば起こした選手ば排除してしまうつか』な~んてさぁ!」
「あいたぁ、性犯罪はミスどころの話じゃなかろが。あぎゃんつば選ぶ方が狂っとる」
くるみの呆れたツッコミに、奈津がフッと視線を落とす。
「あいつ、引退させられてから今はどっかのホテルに閉じ込められとるげなよ。スタッフが24時間べたり付きっきりで見張りよるって」
「そらそうたい……これまでサッカーで何億って稼いで、ちやほやされとったとに、無理やりすべてば剥ぎ取られたつだけん。放っといたら首でも括りたくなるっちゃろ」
莉子が感情の起伏のない声で、だが核心をグサリと突くように呟いた。
すると奈津が、元・新聞記者としての鋭い目を一瞬のぞかせる。
「私、一応新聞社におったから余計に思うばってんさ。あのホテルの監禁状態、よくぞまぁメディアも取材できたよね。普通ならあぎゃんトップシークレット、絶対に外には漏れんよ」
「えっ、じゃあどういうことね?」
くるみが首を傾げると、奈津は冷徹に言い放った。
「間違いなく、チームか身内のスタッフの中に、情報を外に売ったやつがおる。中から裏切らんと、あぎゃんネタは絶対に取れんバイ」
「うわぁ……それもまた、えぐい話たいねぇ……」
夕闇の迫るフットサルコートのベンチで、くるみは身震いした。
かつて自分たちが純粋に追いかけていたサッカーというスポーツの、その最高峰にある世界の濁りきった生々しさが、汗の引いた肌に少し冷たくまとわりつくようだった。
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