【小説・ヴィーナス症候群】(番外編48)性加害者はピッチから去れ!
衆議院第一委員室の空気は、独特の重さと脂っぽさを含んでいる。
午後二時、西日が差し込む時間帯の予算委員会は、審議の疲れと退屈さで議場全体が弛緩しがちだ。
だが、記者席に陣取る各紙の政治部記者たち、そして二階の傍聴席から望遠レンズを覗き込むカメラマンたちの指先には、一斉にピンと緊張の糸が走っていた。
次にマイクの前に立つのは、神園ましろ。
改革系新党の切り込み隊長であり、記者たちの間では「爆弾発言製造機」と恐れられ、同時に数字の取れる「お宝」としてマークされているお騒がせ議員だ。
過去には「性犯罪者は去勢しろ」(本編424話)、「GPSを義務化せよ」(本編703話)とぶち上げ、そのたびにSNSを大炎上させてきた。
(今日は何を仕掛けてくる……?)
全国紙の政治部記者は、パソコンのエディタに『【速報】神園氏、予算委で質疑』とだけ打ち込み、人差し指をエンターキーに置いたまま彼女の第一声を待った。
神園がマイクの前に立ち、手元のフリップを掲げた。
「総理、今、世間を非常に騒がせている、サッカー日本代表のメンバー選考について伺います。あの佐納海味選手の代表選出の件ですわ」
(……来たッ!)
記者席の空気が一瞬で跳ねた。
タイピングの音が周囲で一斉に高くなる。
直近の週刊誌報道で逮捕疑惑が浮上し、ネット世論が真っ二つに割れているタイムリーなネタを、彼女は最もテレビの視聴率が高い予算委員会の集中審議に持ち込んできたのだ。
「逮捕報道があり、これだけ世間を騒がせた人間が、なぜ日の丸を背負ってピッチに立てるんですか? 子どもたちに『サッカーさえ上手ければ何しても許される』と、国が、総理が、お墨付きを与えるおつもりですか!?」
神園の大阪弁混じりの鋭い声が響く。
だが、ひな壇に座る文科大臣やスポーツ庁長官の顔はまだ余裕を保っていた。
役人が用意した「法治国家の原則」という鉄壁の答弁書があるからだ。
答弁に立った文科大臣は、眼鏡を指で押し上げながら、官僚的な平坦な声で返した。
「……ご指摘の選手につきましては、現在、司法上の判断が確定していない段階、いわゆる推定無罪の原則のなかにあります。一民間団体であるサッカー協会の自主的な選考に対し、政府が直接的な介入を行うことは、慎重であるべきだと認識しております」
想定内のお役所答弁。これで引き下がるなら神園ましろではない。
彼女は不敵に笑い、二枚目のフリップを叩いた。
そこには『スポーツ団体ガバナンスコード』の文字。
(なるほど、ただの感情論じゃない。ガバナンスを突く気か……!)
記者は彼女のロジックを追うために画面を凝視した。
神園の攻め口は、予想以上にタチが低く、かつ冷徹だった。
「民間が勝手にやった? 寝言言わんといてください! スポーツ庁自身が、国から補助金をもらうスポーツ団体に向けて、高い倫理性を求める『ガバナンスコード』を定めて指導してるじゃないですか! そこに何て書いてあります? 『不祥事の発生、またはその疑いが生じた場合、速やかに適切な対応をとり、説明責任を果たさなければならない』。こう書いてあるんですわ!」

神園はフリップの一文を指で激しくなぞる。
「今回の佐納海味選手の件、サッカー協会は『司法の判断が確定してへんから』っちゅう言い訳だけで、国民へのまともな説明責任を完全に放棄しとる。これ、国が作ったガバナンスコードに対する、明確な『ルール違反』ちゃいますの!? ルールを作った国が『注視するだけ』でペナルティも与えへんのなら、そんなガバナンスコードなんかただの紙屑や!」
文科大臣の顔から余裕が消えた。
チラリと手元の資料に目を落とす。
神園のロジックは、「佐納を出すな」という個人のバッシングではなく、「お前たちが作ったルールの運用がガタガタだ」という、行政の怠慢への追及にすり替わっていた。
「総理、答えてください! 身内に甘く、ルールも守らん、そんなガバナンスの成ってへんサッカー協会なんか――」
神園は一呼吸置き、テレビカメラの向こうの、何百万人という「怒れる大衆」を見据えるように顔を上げた。
「――この予算委員会で、一回補助金全部削って干上がらせたったらええがな!!」
ドォ、と議場が揺れた。
「言い過ぎだろ!」
「品位を弁えろ!」
与党席から怒号のようなヤジが飛び交い、委員長が慌ててマイクを掴む。
「神園ましろ君、発言に慎みを持ってください!」
だが、記者たちが聞いたのは、委員長の制止の声ではない。
後方の二階席から鳴り響く、カメラマンたちの狂気じみたシャッターの連写音だ。
バチバチバチバチと、フラッシュの光が激しく明滅し、神園のドヤ顔と、苦虫を噛み潰したような総理大臣の表情を切り取っていく。
記者席の私の指は、すでにトランス状態でキーボードを叩いていた。
『神園氏、予算委でサッカー協会を猛批判。「補助金削って干上がらせろ」ガバナンスコード違反を指摘』
(勝負あり、だ……)
神園は満足げに一礼し、ヤジの嵐のなかを悠然と席に戻っていく。
法的には、政府がサッカー協会を潰すことなどできない。
総理の答弁も「慎重に」の一点張りで終わるだろう。だが、政治的には彼女の完全勝利だった。
国会という最高峰の舞台で「干上がらせろ」と名指しされた組織。
明日からその組織に名前を連ね続けるスポンサー企業のリスクは、天文学的数字に跳ね上がる。
JFAも、生保監督も、もう「佐納海味」をピッチに立たせることはできない。
これ以上の社会的コストを支払える組織など、この国には存在しないからだ。
時計を見る。午後二時十五分。
わずか十五分の質疑で、一人のスター選手の選手生命と、巨大なスポーツ組織の財政が、一人の政治家の「言葉の刃」によって事実上、解体された瞬間だった。
記者はデスクに速報の電文を送りながら、背筋に冷たいものが走るのを禁じ得なかった。
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