【小説・ヴィーナス症候群】[400]無茶振りはやめて
全国テレビ(ZTV)の看板番組『笑撃!インナーシティ』。
司会を務めるお笑いコンビ「インナーシティ」は、関西の大手プロダクション・上方芸能社に所属している。
結成三十年を超えるベテラン。
ツッコミの早乙女ジュンとボケの戸崎リョウ――二人の掛け合いは鋭く、毒がある。
最近では、ひな壇芸人や他のアイドル・タレント・ミュージシャンをいじり倒すスタイルになってきた。
それでも、その“毒”が時に番組の勢いを支えているのは事実だった。
SNSでは毎週のように「もう時代に合ってない」と批判されるが、
ZTVにとって彼らは“視聴率が取れる最後の生きたレガシー”だった。
その番組から――まさかのオファーが届いた。
封筒に「ZTV制作部」と印字された差出人を見て、
社長兼マネージャーの長居紳助は、最初それをイタズラか何かだと思った。
ZTVのバラエティー番組に、うちの名前が載るわけがない。
過去にドキュメンタリーで取材されたことはあったが、
お笑いの世界とは縁がない。
しかし文面を読むうち、目の奥がじわりと熱くなった。
「ZTV『笑撃!インナーシティ』 出演依頼(株式会社スタジオDNPより)」
電話を取る手が、少し震えた。
「……恵麻ちゃん、ちょっと時間ある?」
応接室に呼ばれた恵麻は、机の上に置かれた封筒を見て息を呑んだ。
「笑撃インナーシティ……? あの、ZTVの……」
「そう、あの“笑イン”だ」
長居も、まだ信じ切れていなかった。
「すごいじゃない。うちみたいなところに、上方芸能社の看板番組から声がかかるなんて」
喜びよりも先に、現実感のなさがあった。
ZTVなんて、遠い世界の話だった。
そこに「日本芸能総合開発研究所」の名が載っている。
奇跡なのか、罠なのか――どちらにしても、ただ事ではない。
⸻
数日後、構成作家の桐谷惇がやってきた。
場所は、例の応接室。
六畳ほどの部屋に、冷めたコーヒーの匂いが漂っている。
「全国テレビの、『笑イン』なんですけどね」
胸ポケットから名刺を取り出した男が、軽くトントンと揃えて差し出した。
名刺には
株式会社スタジオDNP
構成作家/チーフプランナー 桐谷 惇(きりたに・じゅん)
と印字されていた。
角にはZTVのロゴ。きちんとしているようで、どこか軽い。

「見ましたよ、幸手の曼殊沙華祭り。あの意味のわからない歌詞の曲、すごかったです。
あんな状況でも淡々と歌い切る。あれ、プロ根性だと思いました」(第260話)
「暑かっただけですよ」
恵麻は苦笑した。
「でね、番組で“ミロのヴィーナス”に扮してもらいたいんです。
ミロのヴィーナスにイタズラしたらブチ切れて突然動き出すっていうのを考えてて。
恵麻さんが怒って追いかけ回す、みたいな流れです。絶対ウケますよ」
桐谷は笑っていた。悪意はなさそうだった。
たぶん、心から“おいしい話”だと思っているのだ。
長居は、苦い表情を浮かべながら口を開いた。
「……あの庄戸正人さんの件、ご存じですか?」(第365話)
「ショートショートの人?」
桐谷は首をかしげた。
「“パート・アンドロイド”ってタイトルで炎上したやつですよね。あれは小説ですし、笑いとは違いますって」
「違うかなあ」
長居はゆっくりと首を振った。
「当事者団体が“人間を機械呼ばわりするな”って抗議して、本人は謝らずに断筆したでしょう。(第388話)
ああいうの見てると、もう“時代に合う・合わない”の問題じゃないんですよ。
うちみたいな小さな事務所が炎上したら、消えるしかない」
「いやいや、うちのは全然違いますって。ちゃんと“リスペクト”ある笑いだから」
恵麻が静かに言葉を落とした。
「でも、無茶振りはやめてって言っても、『君、何しに来たん?』って言われるんですよね?」
桐谷は一瞬だけ笑いを引っ込めた。
「そんなこと言いませんよ。今どき、そういうのは時代に合わないですから」
「そうだといいんですけど」
恵麻は小さく答えた。
「私はいいんです。笑われても。
でも、全国の同じ障害の子が学校で真似されたら、かわいそうだなって思って」
長居は、机の上のペンを指先で転がしながら言った。
「少し時間をください。悪い話じゃないですけど、うちは炎上したら終わりなんで」
桐谷は「もちろんもちろん」と軽く笑って立ち上がった。
「インナーシティさんもノリノリなんで、いい返事お待ちしてます」
ドアが閉まると、部屋に静けさが戻った。
時計の秒針がやけに大きく響いている。
「……笑インに出るの、か」
長居がぽつりと言った。
「笑インに出るの……」
恵麻も同じ言葉を繰り返した。
思わず顔を見合わせる。
きっと徳島の両親や、昔の友達も見てくれるだろう。
「見たよ」と言われたら、少しだけ誇らしいかもしれない。
けれど――。
「もし、変な編集されたら終わりですね」
長居が低い声で言った。
「“障害者をネタにした”なんて書かれたら、もう取り返しがつかない」
恵麻は黙ってうなずいた。
机の上には、桐谷の名刺が一枚残っている。
ZTVのロゴが、蛍光灯の光を受けて鈍く反射していた。
「親は喜ぶんですけどね。
“うちの子、テレビに出るんよ”って」
長居は、少しだけ笑ってみせた。
「喜んでくれる人ほど、傷つける結果になることもある。
特に、テレビってやつは」
恵麻は視線を落とした。
自分が守ろうとしているものが何なのか、まだはっきりとは分からなかった。
ただひとつ、胸の奥で、冷たい風が吹くのを感じていた。
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