【小説・ヴィーナス症候群】(165)筋電義手は西アフリカの山奥へ
第1章 はじまりのオフロード
「使えなきゃ意味がない」
そう言われ続けてきた。
サイセイ義肢の開発部の端にいた頃。
神経義手の制御精度が上がるたび、「日本人には使えて当たり前」になっていった。
じゃあ、これは? シエラレオネで、手も電気も足りない場所で、それでも使える義手を作れるか――。
その試験に、割出結菜は選ばれた。
SYNAPTIC計画、簡易型・耐久型神経義手、国際現地試験。
被験者兼テスト技術者としての現地派遣。
対象国:シエラレオネ共和国。
村名:Kakri。
条件:電源不安定/衛生条件未整備/ユーザー非識字・非英語話者を含む。
結菜の出発前のスケジュール票には、こう書かれていた。
「KAKRI FIELD: Arrival + Device Interaction (Day 1)」
たったそれだけ。
だが、その「Arrival」が、どうしてこうも果てしないのか――。
⸻
午前9時、フリータウンを出発。
NGO手配のランドクルーザーは、一見頑丈そうだった。
けれど1時間もすれば舗装路は終わり、赤土の道を跳ねながら進むことになる。
シートは薄く、背中が鉄に当たるたび、神経が鈍く痛む。
冷房は効かず、窓を開ければ熱と土埃が吹き込み、閉めれば熱中症になる。
「前に詰めて、頭ぶつけないように」
同行の国際渉外担当、安慶名美里は淡々と言う。
「頼れるが怖い」で有名な元青年海外協力隊員だ。
シートベルトのない車内で、結菜は無言でうなずいた。
義手はまだ使っていない。
バッグの底に試作機が眠っている。
太陽電池一体型、外付け筋電センサ式、開閉のみ。
3Dプリント部品と接着パーツで現地調整可能――のはずだった。
だが、湿気でセンサ粘着面が浮きかけている。
説明書は英語と図解だが、現地語対応はされていない。
はたして「Interaction」まで行けるのか。
そんなことを考えているうちに、車が急停止した。
橋が――ない。
雨季で流されたらしい。
川の向こう岸でヤギがのんびりしている。
ドライバーのアルハジが「Wait」とだけ言い、森の中へ消えた。
「……どうすんですか?」
「たぶん、板拾いに行ったんだと思う」
「板?」
「橋、作るんでしょ」
冗談かと思った。冗談じゃなかった。
アルハジは本当に板を数枚と、タイヤの廃材を抱えて戻ってきた。
車はぐらぐら揺れながら即席の橋を渡る。
その間、美里は水筒を出して飲んでいた。無言のまま。
午後、道はさらに悪化した。
牛が寝ている。
起きない。クラクションを鳴らしても動かない。
ドライバーが降りて追い払う。
その間もエンジンは止められない。暑いからだ。
「こういうの、慣れますかね」
「5日いればね」
「5日もいるんですか」
「予定ではね」
答えがすべて「予定」なのが、いちばん疲れる。
午後3時。スコールが来た。
あっという間にぬかるみに車輪がハマった。
アルハジが再び「Push!」と叫ぶ。
美里はためらいもなくドアを開ける。
「結菜さんも、降りよっか」
「……腕、ないですけど」
「脚、あるでしょ」
そのとおりだが、雑すぎないか。
泥水の中に両足を突っ込み、肩で車体を押す。
義手をつけていない身体が、ぐらりと傾く。
車が進むたびに、腰がぬかるみに沈む。
「疲れた……もう、ほんとに疲れた……」
声に出しても、誰も返事はしなかった。
午後5時。ようやく村が見えてくる。
「着いたよ」
美里が言った。
遠くに、トタン屋根の連なり。
Kakri――
やっとの思いでたどり着いた場所。
だが今の結菜にとっては、「どこだっていい」くらいの感覚だった。
太ももまで泥。下着も濡れている。
バッグの中では、試作義手のバッテリーが残り37%を示していた。
村の人々が集まってくる。
彼女の肩を、まるで標本でも見るような目で見ていた。

結菜は何も言わず、無表情のままランドクルーザーのドアを閉めた。
旅は、まだ終わっていない。
むしろ、ここからが始まりだった。
第2章 異なる体、異なる土地
Kakri村で、最初に通されたのは“診療所跡”と呼ばれる建物だった。
といっても、屋根は一部が抜け、壁にはヒビが走っている。
中には金属製の診察台と、埃をかぶった秤が残されていた。
「ここ、滞在場所になるって」
美里が振り返らずに言う。
「えっ……ここで寝るんですか?」
「うん。蚊帳はNGOがくれるって。虫除けも使って」
ベッドはない。
床は赤土が固まっただけで、窓ガラスはなく、虫の羽音だけがやけに大きく響いていた。
結菜はバッグを置いた。軽く蹴つまずいた拍子に、プロトタイプの義手が中でカラカラと音を立てる。
その日の夕方。
最初の“装着希望者”がやってきた。
昼間に見かけた、右腕のない青年だった。
年齢は結菜より少し上。片言の英語を話すが、言葉よりもジェスチャーの方が早かった。
彼は自分の右腕の断端を見せ、義手を指差す。
「Put. Me. OK?」
結菜はうなずいた。
プロトタイプの筋電センサは、皮膚に貼るだけで筋の動きを拾う簡易仕様。
だが――問題は、貼る位置が正確にわからないことだった。
「うーん……このへん、かな……でも……筋肉が、少ない……」
結菜は、日本語でぼそぼそとつぶやいた。青年には通じない。
隣で見ていた村の子どもたちがくすくす笑った。
緊張と暑さで手順が狂う。粘着部がずれて、センサが落ちる。
バッテリー残量も気になる。
結菜は足でバッグを引き寄せ、予備のシールを探す。手が使えない分、時間はかかる。
その様子を、青年も、子どもたちも、無言でじっと見ていた。
どこか、“見世物”のような目だった。
「……ごめん、ちょっと一回、外すね」
結菜はそう言って、センサを外した。
乾いた風が吹き抜けて、村人たちのざわめきが止まる。
誰も、何も言わない。
「向こうに日が沈むまでにやろう。夜は停電になるから」
美里の声だけが、乾いていた。
装着テストは結局、うまくいかなかった。
センサの反応が弱く、開閉の信号が入りづらい。
「開いて、閉じて」とジェスチャーで伝えても、青年は不安げに首をかしげるだけ。
義手はかすかに動くだけで、物をつかむには至らなかった。
「……まあ、最初だしね。悪くない滑り出しだよ」
美里はそう言ったが、結菜には慰めにも聞こえなかった。
青年は「Thanks」と言い、静かに義手を外した。
その表情には、期待と失望が薄く同居していた。
日が落ちると、空が墨のように黒くなった。
懐中電灯と蚊帳の中で、結菜は横になる。
全身がだるく、頭の中ではまだ、センサのズレた感触が残っている。
日本から何十時間もかけて来て、言葉も通じず、暑くて、湿ってて、蚊に刺されて、
義手はうまく動かず、村人の目は、ずっと冷めていた。
「……ほんとに意味あるのかな、これ」
そうつぶやいても、美里はすでに寝息を立てていた。
結菜の目の奥に、泥と汗が滲む。
第3章 通じないもの
翌朝、地面が濡れていた。
屋根の隙間からしずくが落ち、診療所跡の床に泥が広がっている。
蚊帳の外では、美里が黙々と朝食を作っていた。
乾パンとスキムミルクの粉を混ぜただけのもの。火はない。
「今日は、通訳が来るって」
美里が言った。
「昨日はいなかったのに?」
「まぁ、気分屋ってことよ。NGOのボランティアだからね」
それはもう通訳じゃないんじゃないかと思いながら、結菜はぬかるみに足を突っ込んだ。
サンダルのベルトに泥が入り込んで、歩くたびにぐちぐちと音が鳴る。
通訳は若い女性だった。
名前はアミナ。英語と現地語(メンデ語)を使いこなすが、時おり携帯を見ながら喋る癖がある。
青年――昨日義手を試した彼の名前はモモというらしかった。
「彼、あなたが“新しい手を持ってくる人”って聞いて、すごく期待してたの。でも、うまく動かなかったから、ちょっと……」
「ちょっと?」
「がっかりしてるって。たぶん。あなたが悪いわけじゃないよって言ってたけど……」
「それ、誰の言葉ですか?」
「えっ?」
「“悪くないよ”って、あなたの言葉?」
「……うん、まあ、私の解釈」
結菜はため息をついた。
“通訳”という言葉のあいまいさが、ここに来て重くのしかかる。
午後、再度モモに義手を装着した。
アミナを介して、「握る」「開く」といった動作の意図を説明しようとするが、途中で彼が言った。
「Why do I need to grab?」
訳される前に意味はわかった。
「……掴む必要が、ない?」
「He says, in the farm, they use elbows, feet. His sister holds spoons for him. He doesn’t really grab things.」
握ることが目的ではない。
“手を使う”という概念そのものが、日本の前提とは異なっていた。
結菜は立ち尽くした。
何百時間もかけて開発された義手の“握る機能”が、
ここでは、そもそも必要とされていなかったのだ。
「……なるほど。なるほどね。あたしたち、“これが便利だ”って思って持ってきたけど、そもそも“便利”じゃないのか」
「言葉ではそう言ってるけど、彼、使ってみたいとは思ってるよ」
「それは“物珍しい”って意味じゃないの?」
「……かもしれない。でも、彼は“あなたがどうして自分の手じゃないのにそれをやるのか”って聞いてた」
「それ、どう訳したの?」
「“She wants to know if it helps your life”って」
それは、嘘じゃなかった。でも、不完全な言葉だった。
日が傾く。
今日も、うまくは動かなかった。
でも、モモは義手を返さず、腕にかけたまま村の子どもたちに見せて回っていた。
それを遠くから見ていた結菜に、美里がぼそりと言った。
「使い方なんて、後からついてくる。あんたが持ってきたのは“道具”じゃなくて、“問い”だったんだよ」
「問い、ですか」
「“これ、使える?”って聞きに来たんでしょ」
問いの答えはまだ出ていない。
むしろ、昨日よりも見えなくなっていた。
でも、問いは確かに“そこ”にあった。
誰のものでもない、モモ自身の問いとして。
結菜は、泥の斑点がついたままのプロトタイプのケースを閉じた。
一晩で拭き取れるものではない。
けれど、その泥こそが、この義手が「ここにあった」証だとも思えた。
第4章 遠い握手
朝、いつもより風が涼しかった。
湿度が落ちたのか、泥が乾きかけていて、村の空気がすこしだけ軽く感じられた。
結菜は診療所跡の前で、陽に照らされたランドクルーザーの影を見ていた。
昨日の夕方、モモが義手をつけたまま村を歩いていた姿が、まだ目に残っている。
「今日はもう装着テストないって。モモ、朝から畑に行っちゃった」
美里がやってきて言った。パンと缶詰の朝食を手にしている。
「……そっか。使うんですかね、あれ」
「使う、っていうか……なんか“使ってるふう”にはなってたけどね。弟の世話とかしてた」
「“ふう”でいいのかな」
「“ふう”が続けば、それが“使ってる”になるんじゃないの?」
その言い方が少しおかしくて、結菜は鼻で笑った。
昼、ランドクルーザーの荷台に備品の整理をしていると、後ろから子どもたちの笑い声が聞こえた。
ふり返ると、モモが畑帰りの姿で立っていた。顔と首に汗をにじませ、右腕には、例のプロトタイプがそのまま残っていた。
義手の手先には、小さな花がはさまれていた。
「Hey, Yuina. Look.」
モモが義手を少し持ち上げて見せる。
開閉がうまくいかないからなのか、花はうまく挟まれておらず、手のひらの内側でふわふわ揺れている。
「……flower?」
「Yes. For you. You came far. Very far.」
モモは義手の手先から花をとり、肩だけで差し出した。
その所作が、どこかぎこちない“握手”のように見えた。
結菜は思わず一歩近づき、首をすこし傾けながら、そっと肩を突き出して応えた。
肩と肩が、少し触れた。
ほんの一瞬だった。けれど――それが、この村で交わせる最も遠くて、いちばん優しい握手だった。
美里が後ろで言った。
「はい、今の、社内レポートで書けそう?」
「……書けないです」
「だよね」
花は小さな野草だった。
名前もわからないが、指ではなく、肩で受け取ったそれを、結菜はポケットにしまった。
この村で何を成し遂げたのか、まだ答えは出ていない。
義手がこのまま使われるかもわからない。
けれど、モモのあの「Thank you」には、
誰の訳も通さずに伝わる何かが、確かにあった。
結菜はそっとつぶやいた。
「……来て、よかったかも」
砂埃の中、ランドクルーザーの横で、
ポケットの中の花が、そっと揺れていた。
#AI小説 #小説 #ヴィーナス児 #ヴィーナス症候群
#割出結菜 #サイセイ義肢
