【小説・ヴィーナス症候群】(131)筋電義手、西アフリカを行く
第1章 SYNAPTIC 計画
サイセイ義肢株式会社・本社第三会議室。
窓のない会議室には、経営企画・技術開発・CSR・財務・広報の幹部たちが座っていた。
空調は控えめに冷たく、壁の時計は午前10時を示している。
経営企画室長の鷺沢が、手元のリモコンを押した。
スライドが切り替わり、英字のプロジェクト名が白い背景に浮かび上がる。
SYNAPTIC 計画
Systematic Yield and Neuro-Adaptive Prosthetic Test for International Contexts
国際環境適応型神経義手・実証検証事業
「本日、この計画の実行体制を正式に承認いただきたく思います」
誰も頷かない。だが反対する者もいない。
空気は静かに、だが確実に重くなっていく。
鷺沢は言葉を続けた。
「我々の筋電義手は、性能と信頼性において国内シェアを確保しました。
しかし国際的には、“極限環境での実証”が不可欠になっています。
それは高温多湿、通電不安、医療人材不足、社会的偏見──あらゆる制約下で“動く義手”であること。
それを実証できなければ、国際市場では“試されていない製品”と見なされるだけです」
CSR室長が手元の資料をめくりながら言った。
「SDGs・ESG文脈でも説明が可能です。第四世界での義手実装という試みは、
各国の人道支援機関や開発援助機構との連携のフックになる」
「初回の派遣候補地は?」
「シエラレオネです。既に現地NGOと接触を開始。
以降、ハイチ、ブルンジ、パプアニューギニアなどを段階的に実証候補として展開予定です」
広報担当が指を組んで口を開く。
「第一期の現地活動については、記録映像化も可能かと。
“義手が届かなかった地に、初めて義手が届く”という図像は、
PRとしても教育的意味としても、強い印象を残すと考えます」
「で、現場は動けるのか?」
「技術部と開発部の間で調整します。
既に試験対応用の軽量ユニットは設計済み。あとは、現地仕様の構成でプロトを組むだけです」
社長は短く言った。
「──実施を承認する。計画を動かしてくれ」
こうして決まった。
会議室にいなかった人間の人生を、変えてしまう決定だった。
そのころ、割出結菜は試験室にいた。
白いタンクトップにデニムのミニスカート。
髪は低めのポニーテールにまとめられ、肩のソケットには、今日届いたばかりの新型義手が嵌め込まれていた。
「……うわ、軽っ」
結菜は義手を持ち上げてひねる。
指先の開閉は最低限。関節も肘だけ、回内回外はない。表面のカバーはなく、コードがむき出しだ。
「なんかこれぇー……安っぽいですねー」
ぽそっと言って、周囲のスタッフの顔をうかがう。誰も否定しない。
「まるでぇー……LCC。動くけど、オプション全部カットみたいな」
その瞬間、何人かが小さく吹き出した。
結菜は満足そうに片眉を上げると、義手をはめ直し、何度か指を開閉させた。
何のために作られたものか、どこの誰が使うのか、彼女はまだ知らない。

部屋のドアが開いた。
開発部の高浜が、少し重たい顔で入ってくる。
「お、装着済みか。どう?」
「うーん……まあ、動きますけど。
でも、なんか……まるでLCCって感じですね。軽くてチープでぇー、サービスも最小限っていうか」
結菜は義手を片手で持ち上げ、クルクルと肩で回してみせた。
高浜は一度だけ短く笑い、彼女の前に立つ。
「……あのさ。今日の午前、経営会議があったんだよ。新規プロジェクトの承認が出た」
「へえ。でぇー、私に関係あるんですか?」
「ある。“SYNApTiC計画”っていう」
高浜はそう言って、懐から資料を取り出した。
薄い数枚の紙。タイトルには長い英語と日本語の対訳が並んでいる。
Systematic Yield and Neuro-Adaptive Prosthetic Test for International Contexts
国際環境適応型神経義手・実証検証事業
「要するに──うちの筋電義手が、どこまで“世界の悪条件”に耐えられるか試すってプロジェクトだ」
「悪条件ってぇー、どんな?」
「電気が不安定。部品がない。装具士もいない。医者もいない。湿気、砂、汗、埃。
それでも壊れず、ちゃんと動いて、使ってもらえるか。
そういう場所で、この義手がどこまで通用するのか、実際に試す」
「……へえ。で?」
「だから、こういう簡素な構造になる。“何がなくても動くこと”が一番大事になるからな」
「……それは分かりますけど」
結菜は義手をテーブルに置きながら、目を細めた。
「……でぇー、なんで私に言いに来るんですか?」
高浜は資料の最終ページを指差した。
「第一回の試験地が決まった。西アフリカ、シエラレオネ」
「……しえら、レオネ?」
「そう。昔、内戦でひどい目に遭った国だ。地雷、銃撃、少年兵。
今でも、手や腕を失ったまま大人になる人が珍しくない。
でも、義肢の制度も技術も全然ない。まして、筋電義手なんて見たこともないって地域だ」
「……つまり?」
「その義手を、君が持って行って、“初めて使う人”に会って、使ってもらう。
反応を見て、動作を記録して、伝える。それが“トルソー”である君の役目だ」
沈黙。
結菜は椅子に座り直し、黙って肩の義手を外した。
左のソケットが空気に触れ、しんと冷えた。
「……私、黄熱病の予防接種、打ってないんですけど」
「来週、健康管理部で予約取る」
「うわ……マジですか……」
義手を両ひじのない腕で挟むように抱え、結菜は小さく笑った。
第2章 先進国じゃない国
渋谷の夜。
駅から少し離れた裏通り、ガラス張りの小さなイタリアンレストラン。
暖かい光に包まれた店内では、白い皿の上に小さく整えられた料理が出ては下げられ、
控えめな音楽とグラスの触れ合う音が交互に響いていた。
テーブルの一つに、ふたりの女性が向かい合って座っていた。
ひとりは、ラベンダー色のブラウスにチュールスカートを合わせた家久綾音。
ブランド「Ria」の専属トルソーで、両肩にはベージュの義手が自然に繋がっていた。
本来、義手を着けていない姿も広告に使われる彼女だったが、今日はオフ──
それでも、自分の“腕”はしっかりと装着していた。
もうひとりは、割出結菜。
白のノースリーブに黒のニットパンツ、肩から銀の筋電義手を両腕に着けていた。
こちらも仕事を離れていたが、義手を外す理由はなかった。
「えええ!? ユイナちゃん、外国行くの? いーなーいーなー! ずーるーいー!」
綾音が、前菜の皿を置きながらタイミングで声を上げた。
「私もイタリアとか行ってみたい~! ミラノでRiaのドレス着て、教会の前でインスタ撮るの。
ねえ、そっち方面?」
「……いや、違う」
結菜はスパークリングウォーターをひと口飲んだ。
「先進国じゃない。そういうんじゃないの」
「えっ、じゃあどこ?」
「──シエラレオネだって」
綾音は口を開けたまま、止まった。
「……シエラ……なに?」
「私も聞いたことなかったんだけど、西アフリカの国らしい。
戦争で手足吹っ飛んだ人いっぱいいるんだって。
だからそういう国の人に、義手をつけてもらうプロジェクトだとか何だとか。
“どんな場所でも動く筋電義手を試す”んだってさ」
「え……それ、ユイナちゃんがやるの?」
「たぶんね。もう決まってた。パスポートも申請してくれって」
綾音はワインのグラスを持ちかけて、そっと戻した。
「……怖くない?」
「怖いよ」
結菜はあっさりと答えた。
「でも、義手が“ちゃんと使えるかどうか”ってぇー、こういうとこで試さないと分かんないらしい」
「……私だったら、絶対泣いちゃう。ホテルの水がぬるかっただけでダメかも」
「私も……多分似たようなもんだよ」
そう言いながら、結菜は綾音の義手に目をやった。
「でもさ、私たち、こうして“腕”着けてごはん食べてるじゃん。
使ってるっていうより、“居ていい理由”って感じ」
「うん。……私、この義手つけてると、ちょっとだけ強くなれる気がする」
テーブルの上には、ふたつの義手が、何も言わずに並んでいた。
渋谷のネオンが、窓越しにそれを照らしていた。
どちらも“見慣れない国の名前”をまだうまく飲み込めないまま、グラスを合わせた。
