【小説・ヴィーナス症候群】[498]夢のつづき
ドレスブランド・Feliceで「トルソーさん」をしている夜久野由美に、次の仕事の連絡が入ったのは数日前のことだった。
日光――中禅寺湖のほとりに建つ高級ホテルで、ドレスの展示会があるという。
そのため由美は今、日光へ向かう東武特急の車内にいた。
柔らかいシートに身を預け、窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めている。
東武動物公園を過ぎると、街の密度がふっと薄れ、住宅の隙間に田畑が目立つようになった。
低い空の下、冬の色を帯びた田園風景が広がっていく。
――どこかで見たことのある景色。
そう思った瞬間、記憶の底から一枚の風景が浮かび上がった。
一時期付き合っていた、あの美容師の男と、幸手の権現堂堤に曼珠沙華を見に行った日のことだ。(第275話)

付き合い始めの頃だけは、確かに幸せだった。
だが、それは長くは続かなかった。
男性器を失ったことによる精神的な不安定さ、終わりのない愚痴、感情の起伏。
十条で起こした野外露出事件で、警察に引き取りに行かされた夜のことも、今では遠い現実のように思える。(第325話)
――結局、あの人は、ああなるしかなかったのだろうか。
最後は飲み屋街で、立ちションをしていた男に暴行を加え、逮捕された。(第333話)
懲役一年、執行猶予三年。
だから今もシャバにはいるはずだが、その後、美容師として立ち直ったという話は聞こえてこない。
窓の外では、土手がゆっくりと後ろへ流れていく。
秋には一面に曼珠沙華が咲き誇っていたはずの場所も、今はすっかり冬枯れだ。
茶色く乾いた草と、冷たい川の流れだけが、静かにそこにある。
――あの夢のつづきを見ることは、もうできない。
由美は小さく息を吐いた。
感傷に浸っている場合ではない。仕事が待っている。
東武日光に着いたら、さらにバスに乗り換えなければならない。
中禅寺湖へ向かう山道と、湖畔のホテル。
そこでまた、由美は「トルソーさん」として立つのだ。
列車は静かに速度を保ったまま、北へ、北へと進んでいく。
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