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父親だからできないことより、父親だからできたこと。

「パパ、高い高いして!」

休日、公園へ行くと必ず言われる。

思い切り持ち上げると、

娘は空に向かって声を出して笑う。

「もう一回!」

その一言で、また持ち上げる。

今度は、

「飛行機して!」

手と足で娘を支えて持ち上げる、あの遊びだ。

昔は何とも思わなかったのに、

最近は数十秒で腕が震えてくる。

「もう限界だよ。」

そう言うと、

娘はケラケラ笑いながら、

「もう一回!」

と返してくる。

そして最後は決まって、

「パパ、肩車して走って!」

正直、一番きつい。

肩の上に娘を乗せて、公園を走る。

息は切れるし、

汗も止まらない。

それでも、

「パパ、はやーい!」

という声が聞こえると、

あと少しだけ頑張ろうと思ってしまう。



シングルファザーになってから、

「お母さんがいなくて大変ですね。」

と言われることがある。

そのたびに、

「そうですね。」

と笑って答える。

実際、大変なことはある。

髪を結ぶのは今でも苦手だし、

服選びだって、

「これでいいのかな。」

と迷うことがある。

母親だったら、

もっと上手にできたのかもしれない。

そんなことを考えた日は、一度や二度じゃない。

だから最初は、

「父親だから足りないこと」

ばかり探していた。



でも、娘と過ごす時間は、

そんな考えを少しずつ変えてくれた。

旅行へ行くと、

私は景色を見ようとする。

でも娘は違う。

「パパ、見て!」

そう言って指をさす先にあるのは、

小さな虫だったり、

道端に咲く花だったりする。

私はしゃがんで、

一緒に眺める。

もし一人だったら、

きっと気づかずに通り過ぎていた景色だ。

娘といると、

世界は少しだけゆっくり流れる。

急ぐことより、

立ち止まることの方が大切な日もある。

そんなことを教えてもらった。



友達家族と出かけることも増えた。

最初は少し身構えていた。

「シングルファザーだから。」

そんなふうに見られるんじゃないかと、

勝手に思っていた。

でも実際は違った。

子どもたちは夢中で遊び、

親たちは笑いながら見守る。

そこには、

「普通の家族」も、

「特別な家族」もなかった。

ただ、

子どもが笑っている時間があるだけだった。



この前も、公園で思いきり遊んだ帰り道。

腕はパンパン。

足も重い。

「今日はもう勘弁してほしいな。」

そう思いながら歩いていると、

娘が私の手をぎゅっと握って言った。

「パパ。」

「なに?」

「また遊ぼ!」

思わず笑ってしまった。

きっと明日も、

同じことを言うんだろう。

でも、そのうち。

高い高いをしなくなる日が来る。

飛行機を卒業する日が来る。

肩車をお願いされなくなる日も来る。

そう思うと、

今は「大変」だと思っているこの時間も、

あとから振り返れば、

かけがえのない思い出になるんだろう。



父親だから、できないことはある。

母親の代わりにはなれない。

それはきっと、この先も変わらない。

でも、

父親だからできたことも、確かにあった。

腕が痛くなるまで高い高いをしたこと。

肩車をして、本気で公園を走ったこと。

「もう一回!」

という笑顔に、何度も応えたこと。

私はずっと、

娘を育てているつもりだった。

でも今思えば、

父親という役を育ててもらっていたのは、

私の方だったのかもしれない。

だから最近は、

足りないものを数えるより、

今しかできないことを大切にしたいと思う。

娘はきっと、

私が上手に髪を結べた日は忘れてしまう。

でも、

肩車をして見た景色や、

高い高いをして見上げた空は、

案外、ずっと覚えていてくれる気がしている。

そして、その思い出はきっと、

娘だけじゃなく、

父親になった私の中にも、

ずっと残り続けるんだと思う。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

このnoteでは、シングルファザーとしての子育てや、人事の仕事を通して感じたことを、一つひとつ言葉にしています。

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