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技術士試験――合格は通過点に過ぎない

筆記試験に落ちて、まだもやもやした気分が残っています。私のように悔しい思いをしている受験者もきっと少なくないはずです。

合否の判定基準を調べると、こう書かれています。

――必須科目:専門知識・応用能力・問題解決能力・課題遂行能力に関するもの。選択科目:専門知識および応用能力に関するもの。選択科目(Ⅱ-2・Ⅲ):問題解決能力および課題遂行能力に関するもの。合格ラインは60%以上

……かなり大まかです。これで「公平に評価しています」と言い切れるのか、考えてしまいます。大学入試より抽象的で、会社の人事評価より分かりにくい。この「60%以上」という線の中に、受験者には何が見えているのか分かりません。

しかも、受験料は14,000円から20,500円へと大幅アップしました。物価上昇の影響かもしれませんが、それだけ支払うなら、より厳密で透明な評価を期待したくなるのが人情です。受験料が上がっても評価の曖昧さは変わらない――そんな感覚を抱く人も多いのではないでしょうか。

令和8年1月1日から改定し20,500円へ

必死に構成を練り、添削を繰り返しても、評価軸が見えない限り努力の方向性は定まりません。結局、「合格者らしい文体」「それっぽい構成」に仕上げた人が報われる――そんな印象を受けることもあります。専門知識・応用能力・問題解決能力・課題遂行能力を、各々細かく数値化して示してほしいとさえ思います。

この不透明さを前にすると、「論文コンクールと大差ないのでは?」という疑念も浮かびます。形式は試験でも、実態は“審査員の感性に響くかどうか”の世界です。それでも「国家資格ですから公平です」と言い切られるのですから、制度としては完成された仕組みです。

そしてふと疑問に思います。採点者自身は完璧な論文を書けるのでしょうか。もちろんこれは私の主観です。

さらに言えば、年々増え続ける受験者数と受験料。制度の構造を見ると、受験料に依存して運営を支える大学経営の姿が重なる瞬間もあります。合格者が少なければ競争は維持され、受験者も減りません――制度自体が戦略的に設計されているようにも感じます。

それでも挑戦する人が絶えないのは、きっと“肩書き”ではなく、“自分を試したい”という内なる動機があるからでしょう。資格の意味は社会的価値より、個人の矜持を確かめる儀式のように思えます。制度としての価値と、挑戦する人間の価値。そのズレを見つめ直すことこそ、今私たちが考えるべき「技術士の現実」なのかもしれません。

悔しい結果に落ち込むこともありますが、挑戦し続ける自分を認めることも大切だと思いました。次の一歩のために、焦らず自分のペースで進めばいい――そう思えたとき、少しだけ気持ちが軽くなる気が今はしています。


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