第8回:55歳、臨床一筋の医師が「教授選」に挑んだ理由
序文:教授選という「自己の棚卸し」
本連載は、私が母校の教授選に挑む過程で行った、「自己の棚卸し」の記録です。
自身のこれまでの歩みを振り返り、言語化するプロセスを通じて得た知見が、同じように組織の未来や自身のキャリアに向き合う誰かにとって、何らかの参考になればと信じて筆を執りました。
今振り返れば、私が迷うことなく自分の信じる道を辿ることができたのは、前述の通り経済的な安心を築くことができたからだと思います。資産形成の基盤があったからこそ、組織の顔色を伺うことなく、本当に目指すべき道を選ぶことができました。私のような臨床中心の勤務医による資産形成とキャリア形成の過程には、他の人にとっても再現性があるのではないかと考えています。
戦略を構築するにあたり、私は本命候補との「徹底的な差別化」という道を選びました。しかし、これは決してその方の業績を否定するものではありません。一貫して研究と臨床の王道を歩み、アカデミアの発展に寄与されてきたその足跡に対し、私は最大のリスペクトを抱いています。私が提示したのは、その「王道」に対する否定ではなく、多様な現場を歩んできた自分だからこそ提示できる「もう一つの正解」です。
また、本連載の原稿そのものは、プレゼンテーションの準備と同様に、AI(Gemini)との深い対話を重ねることで、私の思考と事実関係をAIが直接文章化したものです。人間の意志とAIの記述能力の共創によって生まれた、一人の臨床医が野心をハッタリへ、ハッタリを確信へと変えていった、半年間の格闘の記録をここに記します。
第1回:誠実の集積 ―― 目の前の課題が拓く「予期せぬ扉」
1. 「椅子取りゲーム」への違和感と、私の哲学
大学事務部から教授選の通知が届いた際、私の中にあったのは高揚感よりも、一歩引いた客観的な現状認識でした。
正直に言えば、それまで「教授になりたい」と思ったことは一度もありませんでした。自分に出願資格があることは分かっていましたが、いわゆる「教授を目指す人のキャリア」が、私にはどうしてもピンとこなかったのです。
大学病院の医師にとっての「正解」の1つが組織のトップである教授を目指すことである事は間違いありません。でも、私の視点からは、その道は純粋に患者を治すことよりも、教授選で有利になるための実績づくりが中心にあるように見えていました。論文数や学会での立ち回りといった努力に価値を見出せず、自分とは無縁の世界だと思い定めていたのです。
私のキャリアを支えてきたのは、もっとシンプルな哲学でした。それは**「自分にコントロールできることと、できないことを明確に区別する」**という考え方です。
医局という組織に身を置く以上、人事はコントロールできません。ならば、割り振られた職場で自分が成長できる点を見出し、それに全力で取り組む。その繰り返しで常に成長し続け、その先に開かれる未知の世界が見られれば良いと考えてきました。特定の職位をゴールに据えるのではなく、目の前のタスクを淡々と完遂するプロセスそのものに、私は価値を見出してきたのです。
2. ロボット手術への熱狂と、臨床現場での自負
そんな中、数年前に運命的な出会いがありました。ロボット手術です。 その緻密さと可能性に一瞬で魅了され、私は文字通りその魅力に取りつかれました。以来、教授選のためではなく、ただ純粋に「この技術を極めたい」という情熱に突き動かされ、手技を磨くことに心血を注いできました。
私の医師人生の核心は、常に臨床の最前線にあります。癌の手術やロボット手術といった高度な技術が要求される現場において、目の前の患者に対して最善を尽くすこと。その徹底した職務の遂行こそが、私にとってのプロフェッショナリズムの体現でした。
通知を受け取った当時、私は大学病院にて中心的にロボット手術を執刀していましたが、その環境においても、私のスタンスに揺らぎはありませんでした。どのような環境下にあっても、「目の前の課題に精一杯取り組む」という一貫した姿勢を保ち続けてきたのです。
3. 無欲な「報告」から、戦略的な「勝利」へ
書類を受け取った段階では、正直なところ、教授という職に対してのこだわりはまだありませんでした。むしろ、教授になるつもりもないのに、これほど膨大な資料を作成してまで応募することにどれほどの意味があるのだろうか、とすら考えていたのです。
しかし、母校に対して自分が歩んできた30年間の足跡をアピールし、評価してもらえる機会は、おそらく一生に一度きりでしょう。「これは、自分自身の歴史を報告する貴重な機会になるのではないか」——そう気持ちを切り替え、私は応募を決意しました。
資料の作成作業は、まさに私の「医者人生の振り返り」そのものでした。日々の忙しさの中に埋もれていた、数々の試練を乗り越えてきた記憶が鮮明に蘇ってきました。そのプロセスの中で、私の中に一つの静かな確信が芽生えました。
「自分の行なってきたことにも、十分な価値があるのではないか?」
その後、書類選考通過の通知を受け、プレゼンテーションに進む候補者に残ったことを知った瞬間、私のマインドセットに決定的な変化が生じました。
自分のこれまでの「淡々とした完遂の積み重ね」が、組織から正式な評価の対象として認められたのであるならば、一人のプロとして、この勝負に勝つための最善を尽くすべきではないか。
ここで直面したのは、論文数などの正攻法(研究実績の総量)では、本命候補に到底勝機が見出せないという冷徹な現実でした。しかし、この「弱者の自覚」こそが、私の戦略の起点となりました。王道での勝負が成立しない以上、土俵そのものを「組織の未来」という新たな価値軸へと変革する決断が必要でした。
この時、私は初めて外部知見の導入を決意しました。単なる「実績報告」を、組織の未来を提示する「高度な戦略」へと昇華させる一歩を踏み出したのです。
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