第16回:時間を「信用」に変えれば、何度でも打席に立てる
前回の記事(前編)では、医師のキャリアにおける「片道切符」という前提と、大組織ならではの「人材の流動性」や「留学などの特権」についてお話ししました。
しかし、組織が持つそうしたメリットを最大限に活かし、自分自身のやりたいことを実現していくためには、ただ長く在籍しているだけでは不十分です。
特権を掴むための「見えない資本(信用)」
何か新しいこと、大きなことを成し遂げようとした時、最後にモノを言うのは**「蓄積された信用」**です。
たとえば、新しいシステムや大きなプロジェクトを組織に導入しようとする時。どんなにその企画書が優れていても、ポッと出の人間が提案したところで、保守的な組織は簡単には動きません。「誰がそれを提案しているのか」「その人間は、これまで組織でどんな振る舞いをしてきたのか」という、過去の文脈が問われるのです。
長く組織にいるということは、良くも悪くも自分の働きぶりや人間性が周囲に知れ渡っている状態を指します。そこで地道に結果を出し、他部署との摩擦を乗り越え、時間をかけて「あいつが言うなら一理ある」「彼になら任せられる」という**「信用という名の見えない資本」**を貯めていく。
この資本が臨界点に達した時、一人の力では到底動かせないようなダイナミックな挑戦が可能になります。私が教授選という舞台で、下馬票を覆して最終候補にまで残り、多くの方から支持をいただけたのも、この長年の「信用の蓄積」があったからに他なりません。
信用があるからこそ「打席に立ち続ける」ことができる
そして、この信用を背景に長く所属することのもう一つの大きなメリットが、ビジネスにおいてよく言われる**「打席に立ち続ける」ことができる**という点です。
新しいプロジェクトや組織の改革といった挑戦は、一度で成功するとは限りません。三振してしまうことも当然あります。しかし、普段から信用を蓄積している人間であれば、一度の失敗で組織から排除されることはありません。「あいつなら仕方ない、次もやってみろ」と、再びバットを振るチャンスが与えられます。
今回の教授選という大一番で、結果的に私は敗れました。しかし、長年培ってきた信用があるからこそ、また明日から今のポジションで、新たなプロジェクトという「次の打席」に堂々と立つことができるのです。
安易に環境をリセットしてしまえば、またベンチを温め、一から信頼を勝ち取るところから始めなければなりません。一つの組織に長く留まるということは、**「何度でもフルスイングできる打席を確保し続ける」**ということでもあるのです。
組織に「しがみつく」か、時間を「信用」に変えるか
しかし、ここで非常に重要な注意点があります。ただ長く組織に居座れば、自動的に信用が貯まり、打席が回ってくるわけではありません。
一つの組織に長くいる人間には、明確に**「2種類のタイプ」が存在します。それが、時間を「信用に変える人」と、ただ組織に「しがみついている人」**です。
一見すると同じように長く勤めているように見えますが、両者の本質は全く異なります。
1. 組織に「しがみつく」人 彼らが長く留まる理由は、「外の世界に出るのが怖いから」です。自分自身のスキルに自信がなく、あるいは経済的な不安があるため、今のポジションを手放すことができません。 結果として、彼らの行動原理は「波風を立てないこと」や「上の顔色を伺うこと」になります。挑戦(打席に立つこと)を避け、既得権益を守ることに必死になるため、長くいるほど組織の淀み(よどみ)を生む原因となり、周囲からの信用はむしろ失われていきます。
2. 時間を「信用に変える」人 一方で、時間を信用に変え、打席に立ち続けられる人は、**「いつでも外に出られるカードを持ちながら、あえてこの組織を選んで留まっている人」**です。
ここでも、私が連載の序盤からお話ししている**「経済的基盤の構築」**が効いてきます。完全に不安がないわけではありませんが、少なくとも「老後も生活していけるだろう」という経済的な道筋が立っており、「最悪、明日この組織を離れても生きていける」という余裕(精神的な自由)があるからこそ、上層部の顔色を伺うことなく、組織のためになる正しい主張ができ、リスクを取って新しい打席に入ることができます。
その「しがらみのない真摯な姿勢」と「挑戦の数」が、時間を経て掛け合わされることで、周囲からの揺るぎない「信用」へと変わっていくのです。
時間はただの「拡大鏡」である
一つの組織に長く所属するということは、それ自体が良いことでも悪いことでもありません。時間は、その人の本質を映し出す「拡大鏡」に過ぎないからです。
「自分の軸」と「経済的な自立への道筋」を持った人間が長く留まれば、それは巨大な「信用」として拡大され、何度でも打席に立てる武器になります。しかし、不安と保身から組織に依存する人間が長く留まれば、それは単なる「しがみつき(淀み)」として拡大されるだけです。
もしあなたが今、一つの組織に長く所属している、あるいはこれから長く所属しようと考えているなら、ぜひ自分に問いかけてみてください。
「自分は今、この時間を『信用』に変え、打席に立とうとしているだろうか? それとも、ただ『しがみついて』いるだけだろうか?」と。
環境を変えることだけがキャリアアップではありません。自ら経済的な不安を減らし、今いる場所で腹を括って「信用という資本」を極大化させることもまた、非常に強力で、やりがいのあるキャリア戦略なのです。
