【医師のキャリア】 まだ身近な人に言葉は届いていない [第68回]
先日、地方で開催された学会に出席してきました。最先端の技術や新しい知識、これからの医療の展望について触れることができる非常に有意義な機会となりました。
最近の学会は、講演の多くが後日Webで配信されるため、単に知識を吸収するだけであれば、必ずしも現地まで足を運ぶ必要性は薄れつつあります。しかし、それでも現地に向かうのには理由があります。それは、普段はなかなか会うことのできない人たちと再会し、直接言葉を交わす場であるからです。
同じ医局の後輩であっても、それぞれの勤務先となる病院が各地に散らばっているため、日常の中で顔を合わせる機会は滅多にありません。他大学の知人も含め、直接会って話す時間は、やはり現地でしか得られない貴重なものです。
年齢を重ねるごとに、心を許せる友人は厳選され、孤独になっていくことを感じます。その一方で、同じ世界で長い時間をともに働き、生涯にわたる友人となれるような人は、一人でも多い方が良い、とも強く思っています。
だからこそ、気心の知れた後輩たちと久しぶりに集まって言葉を交わす時間は、私にとって本当に大切な、楽しいひとときでした。
しかし、そんな温かい時間の端々に、彼らが少なからず将来への不安を抱えていることが伝わってくる瞬間がありました。そしてそれは、かつての自分が通ってきた道でもあります。
1. 40代の医師が直面する、見えない舵切り
自分よりも一回り若い世代の後輩たちは、今まさに、かつて自分が抱えてきたさまざまな悩みを、そのままなぞるような形で迷いの中にいます。
私はたまま大学病院に残り、現時点では非常にやりがいを持って働くことができています。しかし振り返れば、教授選で敗れたときは大学を去ることを真剣に考えましたし、同じように人生の選択を迫られる局面は以前にも何度もありました。彼らも今、忙しい日々の業務をこなしながら、同じように悩み、自分の人生の舵をどちらに切るべきか、そのタイミングを必死に見定めているのです。
私の所属する科に限らず、同世代で大学病院に残り続ける医師の数は年々減少しています。私くらいの年齢になると、ある種の覚悟を決めて残っている人間が多いのですが、40代くらいの世代は極めて現実的な問題と対峙しています。
子供の教育費、自分の体力的な限界、開業を選択するならば銀行からの借り入れの返済期間。それらの条件を並べながら、開業すべきか、あるいは給与条件の良い一般病院へ転職すべきかという選択肢を、一つ一つ必死に吟味しているのです。
「自分は本当に研究が好きなのだろうか」 「たとえ研究が好きでも、この先良い実績を出せるのではないか」 「子どもの学費は一体いくらかかるのか」 「もっと経済的に恵まれた選択肢を選ばずに、大学に残り続ける意味はどこにあるのか」 「そして、慣れ親しんだ大学を辞めても、食べていけるだけの技量を自分は持っているのか」
学会で新しい知識を吸収し、仲間と楽しく笑い合いながらも、彼らの胸の内にはこうした切実な問いが渦巻いています。
このような医師の葛藤を共有する事も、note記事を書き始めた理由の1つです。
2. 経済的な土台と、人生の選択
経済的な土台がしっかりとしていて初めて、人は「自分の人生がどうあれば幸せと思えるか」という問いを、一歩引いた視点から俯瞰して考えることができるようになります。目先の生活費や教育費の工面に追われている間は、こうした本質的な思索にまで頭を巡らせる心の余裕はなかなか生まれないものです。
私自身、机上の空論になる可能性はゼロではありませんが、ある程度の信頼性を持って資産形成の見込みが立てられるようになったと思っています。その土台の上で、自分のこれからの身の振り方をじっくりと考えた結果、「自分はまだ大学でやるべきことがある」と、確信を持って思えるようになったのです。
私が考える「自由」とは、経済的な理由とは無関係に、本当に自分がしたいと思った選択ができる状態を指します。これは決して、「お金さえあれば何をしても許される」といった、利己的で即物的な意味での自由ではありません。あくまでも、医療の発展や次世代の育成といった、世の中を少しでも良くしたいという純粋な動機に基づいた上で、自らの意志を貫けることこそが本当の自由なのだと信じています。
もちろん、誰もが私と同じように考えるべきだとは思っていません。生き方や価値観は人それぞれであり、大学を離れて別の場所で力を発揮する選択もまた、等しく尊重されるべきです。
ただ、もし私のこれまでの試行錯誤やアドバイスにより彼らが抱える経済的な不安を減らすことができ、「人生の選択肢」を増やせるならばこれほど嬉しいことはありません。
しかし、現実にはリアルな人間関係のなかでお金や資産形成の話を切り出すのは、極めて難易度が高いものです。親しい間柄であればあるほど、かえってデリケートな領域には踏み込みにくいという側面があります。
だからこそ私は、このnoteという場所を選びました。匿名での発信であっても、記事を書き続け、それが拡散されていけば、いつか彼らの目に留まる日が来るのではないか、そう願って記事を積み重ねてきました。
これは、全体ビューが5000、350フォロワーを超えた時に記事にしています。
しかし、通算の投稿数が70本を超え、ありがたいことに16000ビュー、1,100フォロワーを超えた今なお、身近な彼らにこの言葉が届いているという兆しは見えていません。
もし、彼らの目に留まるよりも前に、経済的な理由から志半ばで大学を辞めるという決断を下してしまったとしたら、私は一体何のためにこの記事を書き続けているのだろうか――。そんなもどかしさと焦燥感を感じました。
3. 数字の向こう側にある、本当に届けたかった「一人」
自分の書いた記事がどれだけ読まれたか、フォロワーが何人になったか。
私は最近、そうした数字の変化をどこかで気にしてしまっていました。それは、自分の考えがもし多くの人の人生に何かしらの役に立つのならとても嬉しい、という純粋な願いの裏返しでもありました。
でも、今回久しぶりに後輩たちの生の声を聞いたことで、私は大切なことを忘れていたことに気づかされました。
私がこのnoteで記事を書き始めた本当の目的は、最大多数の誰かに届けることではなく、かつての自分と同じようにキャリアと現実の狭間で苦悩している、身近な「一人の後輩」の悩みを少しでも軽くすることだったはずです。
最近は地方の学会に参加する機会がやや減っていたのですが、この発信の原点を思い出せた事で、今回現地参加のメリットを再確認できました。
いつになれば、本当に届けたい仲間にこの思いが届くのだろうか。
それとも、直接伝えた方が良いのか。その答えはまだ出ていません。
それでも、現時点では今の形の発信を続けていこうと思います。
最後に
周囲の雑音や経済的な将来への焦りから、本来進みたかったはずの研究や臨床の道を諦めてしまうのは、日本の医療界にとっても、その医師個人の人生にとっても、本当に大きな損失です。
直接耳元で囁くことはできなくても、いつか私の言葉が彼らの足元を照らす小さな灯りになることを信じて、これからも自分のペースで一つ一つの思考を書き残していきたいと思います。
