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回覧板で語ってる

子どもたちが小学生のころ、
たまにこんな質問をしていた。

「どうして学校に行くんだと思う?」

天然ミラクルボーイ太郎くんは、
「友達に会うためー」

慎重派生真面目花ちゃんは、
「…頭よくなるため?」

うんうん。
どっちも間違ってない。
ていうか、間違いなんてないと思う。

だけど、

学校じゃなくても友達には会えるんじゃないか?

頭良くなりたかったら、ひとりで問題集解いた方が効率よくないか?

という問いも生まれる。

「ママは、なんでだとおもうの?」

うん。
ママはね、
「自分とはちがう人間」
と出会うために行くんだと思う。

自分が選んだ友達だけではなく、
ただ勉強を教えてもらうためだけでもなく、
たまたま同じ年に生まれて、
たまたま近くに住んでいたという、
ただそれだけで寄せ集められた、
そういう、不都合な環境のなかで、
違和感を感じたり、
理解されない苦しみを感じたり、
分かりあえる喜びを知ったり、
誰かを大切にしたいと思えたり、
うまくできなくて苦しんだり。

全部、生きていくうえで必要な経験なんじゃないかと思う。

だから、問題は起きたほうがいいし、
起きたときこそ、ほんとうの対話ができるんじゃないかと思う。
学校ってそういう場所であってほしいと思う。

ようさんのこちらの記事を読んでうれしくなった。

別に詮索したいわけじゃないんです。

ただ、ちょっとだけ気になります。
皆さんの普段の暮らしが。

この場所ではいろんなことを書く人がいて、ありがたいことに私の記事を読んでくださる方もいます。

どういう暮らしを送っていたらこういう風に書けるのだろう、私の記事からどんな感情を受け取ったのだろうかと気になるのです。

最近、自分の内面世界から少しずつ外のことが気になり始めているからでしょう。海から陸へ上がろうとしている最中です。

『海からこんにちは』

ようさん、最近他の方がどんな生活をして、
何を感じているかに興味が湧いてきたと。
そう、そうなんです。
自分のことをじっとみていても、意外と自分のことはわからない。
他の人との対話や観察のなかで、自分との違いが見えてくる。
そうして、やっと自分の形がぼんやりと見えてくるんじゃないかと思うんです。
自分以外のふつうがこの世にはたくさんあるんだ。と、知ることは心を広くしてくれます。

何年か前にテレビで伊集院光さんが、
「この世に自分しかいなかったら、僕は自分が太っていることに気がつかないと思う」
と、おっしゃってて、わたしはこの言葉がすごく好きです。

若い頃は、わたしもじっと自分ばかり見て、自分がなぜこうなのか。どうして他の人と同じようにできないのか。と、悶々としていた時があります。
あの頃は、集団の中にいる方がさみしくなった。
ひとりでいる方が楽だった。

だけど、だんだんこの世のあれこれを失敗しつつ経験し、慣れてくると周りを見る余裕も生まれました。
今では図々しいくらい人と関わろうとしているかもしれません。

ようさんにも、もしかしたら周りをみる余裕が生まれてきたのかもしれません。
そして、自然と他の人へと興味が湧いてきたということが、私はとてもうれしいんです。

永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』という本。
わたしのお気に入りの一冊です。

永井玲衣さんは、小学校や町の集まりなどいろいろなところで、「哲学対話」ということをしています。

日常のささやかな問いを、哲学者ではないふつうの人たちが考え話し合い、それぞれの答えを探します。
ぼんやりとしてうまく言葉にできないものも、
じっと耳を傾ける。
ぐるぐるとしたものをみんなで見つめ、なかなか
掴めない答えのようなものに微かに触れるような
その時間はとても貴重な大切な時間に思えます。

とてもおもしろいので、良かったらぜひ読んでみて
もらいたいです。

ようさんが今まで、ひとりでいらした海にたくさんの人と手をつないで潜ることができるのが、この
「哲学対話」かもしれません。
きっと、今までとは違ったものに触れられると思います。

その一歩として、海から陸へ。
とても、芯のついた表現だと思います。
さすが、ようさん。

こちらのようさんの記事最後にこうあります。

この電子の海でなら、私たちはご近所さん。
こんにちは。どうぞ、回覧板です。

そして、この回覧板を真っ先に受け取ったのが
我らが発光さんです。

そして、発光さんのこの記事を読んで、わたしも書きたくなったのです。

ようさん。
わたしはこんなふうに誰かの記事を読むと書きたくなります。
手紙の返事を書くように、思ったことをわーっと書きたくなります。
なので、下書きはありません。
基本的には書かずに人様の書いたものを読んでいたいと思っています。
でも、人様のを読むとだいたい書きたくなります。
わたしが何かを書くのは、いつも何かを書いて読ませてくれる皆さんのおかげです。
ありがたや。ありがたや。

ところで、わたしからもようさんにひとつ質問があります。
「発光さんを初めて見たとき、怪しいと思いませんでしたか?」
わたしは思いました。

わたしの記憶では、発光さんは急にフォローしてきました。
なんの記事にもスキを押さず。
AIかしら?
と、思いました。
アイコンを押して発光さんのページに飛んでみて
「チップをください」
と、みすぼらしい身なりの太陽が言ってるのを見て絶対ヤバいと思いました。

でも、一応。と、恐る恐る記事を開いて読んだら、
内容は真っ当、しかも面白い。そして、
「あ!同じ感覚の人だ!」
と、思いました。
わたしはこの人と同じなのか。
と、ちょっと複雑でしたが、記事にスキをつけて
フォローしました。
まさかこんな竹馬の友のような関係になるとは…
縁とは不思議なものです。

そういえば、見る専だったTwitterで、一度だけコメントを送ったことがありました。
夜中に永井玲衣さんが疲れたようなツイートをされてて心配になり、抑えきれずコメントしたのです。

翌朝、わたしのコメントに「イイね」がついていました。
どなたかしら?
と、ドキドキしながらボタンを押すと、
「うんこブリブリ左衛門」
と出てきました。
うんちだったかもしれない。
でも、だいたいこんなお名前でした。
冷やかしですか?
と、思いましたがこの方のツイートを見に行きました。
どんだけ、うんこブリブリ言ってるのかしらと思って見たら、とてもまともなツイートでした。
なんなら、難しいこと喋ってました。
ちょっと理解できないくらい。
頭の良い方のようでした。

人を名前で判断してはいけない。

あと、もうコメントはしない。

と、強く心に刻みました。

回覧板で長々語ってしまいました。
最後までお付き合いありがとうございました。
次の方、どうぞ。

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