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“文章”という一つの作品

前回の記事で、まるでお役立ち情報のようなテイストのことを、ともすれば上から目線に受け取られるような書きっぷりでつらつらと書いてしまった後。
ゲボを吐くような嫌悪感に苛まれたのはここだけの話。
やはりワタシは人に何かを教えるなどという傲慢な行為は全く向いてなさそうで、このnoteに多く蔓延るノウハウ系やらHow to系、自己啓発の一助になりまっせ系etc…の著者たちのような技量と自信に満ち溢れた、あるいは鉄の面の皮を持った方々にある種の憧れまたは侮蔑を感じる次第でした。

さて。話は変わり、ワタシの書く文章について聞いてください。
読者様に読まれ、ゆくゆくはチップ乞食になろうという目的を持っている以上、ここに二つの条件が存在していると考えます。

一つは意図が汲み取られ易いこと。
ワタシが何を言いたいか、何を感じ何を思っているか、思い出しているか。そういったことを分かりやすく書き表さねばなりません。

一つは独特な作品とすること。
そこらに溢れる内容と似た作品であれば、わざわざワタシを選び取って応援(飼育?)してあげようとは思ってもらえません。故に陳腐な表現は避け、オリジナルなものを提示する必要があります。

この間でバランスを取ることが些か難解であるというのが今日のワタシの印象です。

伝わり易いのであれば陳腐化し易く、独創性を高めようとすると何を言っているのか分からなくなる。
同じ心から発せられるものだとしても、選ぶ言葉によって全く異なる作品になる。
さらにさらに、言葉は発した瞬間ワタシの意思を離れ、受け手にその意味づけが一身に委ねられてしまう。つまり発言は受け取る相手次第でどんな意味にもなりますよということですが、そのジレンマの中でもがいている最中です。

探り探り完成させていくことになるでしょう。ワタシがワタシを変容させていく。

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