多言語観察|「よそ者」に向けるまなざし、「よそ者」のまなざし / Multilingual Observation|The Gaze: Toward the Outsider and From the Outsider
【他者の言葉 1】
ひとやすみした後、ふと、こんなことを考えた。 ― じゃあ、「そと」にいる人は、どこから来たんだろう。
言葉の世界にも、「よそ者」と呼ばれる存在がいる。
外からやってきた言葉。混ざり合う途中の言葉。長い時間をかけて “うち” の一部になっていく言葉たち。
けれど、そのすべてが溶け合うわけじゃない。中には、どれだけ長くとも「よそ者」のまま残る言葉もある。発音、響き、リズム。”外” の匂いをどこかに残しつつ、あり続ける言葉もある。
そして、これは人の世界とも重なって見えてくる。
「よそ者」は、ときに拒まれ、ときに受け入れられながらも、社会や言葉の中で、静かにありつづける。そして、その存在は、まわりにゆるやかな変化をもたらしていくのかもしれない。
ひとやすみして少し落ち着いた今だからこそ、この言葉に近づいてみたい。
日本語:よそ者 - 「うち」を守るために境界線を引かれた人
この言葉には、見えない境界を越えてこようとする者を警戒し、排他するようなニュアンスが強く含まれている。フラットに「外の人」を指すのではなく、境界線からこちら側に「入ってはいけない人」という響きがある。
英語:outsider - 群れの外に立つ人
排除というより、むしろ独立の象徴という方がしっくりくる。自ら距離をとる自由を選ぶこともできる、そんなニュアンスを含んでいる。
フランス語:étranger - 未知の存在/外国人
フラットに ”自分の外側の人” のイメージ。ただ、そこには他者への好奇心が見え隠れしていて、不安と興味のあいだで揺れる感情が透けて見えるようだ。
トルコ語:yabancı - 見知らぬ人
もとは「野生」を意味していたそうが、今では「外国人」「義理の家族」にも使われる言葉。フランス語同様、フラットに ”自分の外側の人” というものの、”これから関係性が深まることへの余白がある” かのようなニュアンスを含んでいる。少し温かい目で相手を見ているような、そんなトルコ語らしさを持つ言葉。
アラビア語:غريب(gharīb)-(自分に使う時)異邦人/(人に使う時)不思議なもの、変わっている
主に使われるのは、「外の人」にではなく、「外にいる私」を表す時。まだまわりに馴染めてなくて、孤独や寂しさを感じている、でも、これからには希望を持っている、そんなアラビア語らしい言葉。
こうして見ていくと、「外の者」へのまなざしには、言語ごとに温度の差がある。逆に、「外にいる者」のまなざしの場合も。
そんな中、日本語の「よそ者」は、ときに排他的に響くけれど、それは「うち」を守る優しさの裏返しでもあるのだと思う。
でも、言葉が混ざり合うように、人のあいだにも “少し混ざる” 余白があっていい。完全にひとつにならなくても、となりにいられる。
「うち」を守りながら、「そと」をゆるやかに受け入れる。そんなまなざしの中で、新しい日本語のあたたかさが、これから静かに育っていくのかもしれない。
言葉は変わっていくもの。その移ろいを観察するのも、楽しみだ。
※類似観察記録のご紹介:日本語と他の言語で、ニュアンスが異なる言葉
のひとつ「勉強」を、以前観察しました。お時間ありましたら、ぜひ。
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