多言語観察|「みんな」って、誰のこと? / Multilingual Observation|Who Counts as “Everyone”?
【他者の言葉 2】
“外” にいる人をどう見ているかを観察したら、今度は “うち” にいる人たち ー つまり「みんな」って、誰のことなんだろう?と、ふと気になった。
「みんなが言ってる」「みんな持ってる」「みんなしてる」。
日本語の「みんな」は、どこかぼんやりしているのに、不思議と安心をくれる言葉だ。
今日は、そんな「みんな」という言葉を見てみよう。
日本語:曖昧なまま、包み込む
「みんな」は誰を指すのか、はっきりしない。でも、その曖昧さこそが優しさで、「あなたも含まれているかもしれない」という余白を生んでいる。
境界線を引かずに “包む” ことで、安心を生む。
英語:個の集合体
"everyone" や "everybody" は、一人ひとりの「個」が集まって「みんな」になる。
「自分」と「他者」が明確に分かれている言語だからこそ、ひとつにまとめる時は、“全員”というカウントが重視される。
個の尊重の上に成り立つ集合体、というイメージ。
中国語:「家」の拡張
"大家" は文字通り「大きな家」=家族のようなつながり。家という単位をそのまま社会に拡張した言葉。
"血よりも濃い、信頼" が、そこにある。
フランス語:世界中の「みんな」
"tout le monde" は、直訳すると「全ての世界」。つまり、地球全体を含む「みんな」。日常的に、"tout le monde fait ça(みんな、それをやってるよ)" のように使われる。
でもこの表現、どこかに “人類” のような広がりを感じさせる。だから、「いや、さすがに、世界中全員はさすがにやってないぞ」と心の中でひとりでツッコんでしまう笑。
「みんな」=世界の一部、という視点を持つフランス語らしさは、こんな風にも表れている。
インドネシア語:一緒にいる人たち全員
"kita(あなたを含む私たち)+semua(全員)" =私たちみんな。
「みんな」は、同じ空間にいて、共に笑い合う存在。
時間と場の共有を重んじる、インドネシア語らしい言葉だ。
「みんな」という言葉の中には、その社会がどんなふうに「つながりたい」と願っているかが、静かに映っている。
「よそ者」と「みんな」のあいだには、ほんの一歩の距離しか、実はないのかもしれない。その一歩をどう近づけるか ー それが、それぞれの言葉が描く “人との関わり方” なのだと思う。
今日もひとつ、あなたへの問いかけを。
あなたの言う「みんな」って、誰のことですか?
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