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車内恋愛~朝の電車で始まる恋~


プロローグ「朝、同じ電車の同じ車両」


四月の朝、通勤の混雑はまだ少なかった。

春の空気は、少し冷たく、電車の窓には薄い水蒸気がかかっていた。

藤原恒一は、たった今、高校生活の「最初」の朝を、同じ電車の同じドア前に、ぼんやりと待っていた。

――公立高校の野球部、高校一年生。

と、書けば、どこにでもいる、普通の男子高校生だ。

でも、この電車に乗るようになってから、彼の一日は、少しずつ、少しずつ変わっていった。

ある駅から、白い制服の少女が乗り込んできた。

その少女が、同じ車両に立つようになった。

同じ時間。

同じ場所。

それだけなのに、なぜか、藤原の目は、彼女を見つけるのを、止められなくなった。

彼女は、決して近くに寄ってこない。

でも、避けるわけでもない。

電車が揺れると、少しバランスを取るように、カバンを握り直すだけで、顔を逸らすこともない。

――存在するだけで、空気を変える。

そんな少女が、高校一年の藤原の、朝の電車には、毎日、いる。

名前も知らない。

挨拶もしたことがない。

ただ、同じ電車の、同じ車両に立っている。

この春、高校一年生の藤原には、野球部の稽古と、同じ電車の、同じ場所にいる少女が、「初めて」の、二人の世界が、ここから始まる予感が、あった。

第一章「阪急の朝、同じ車両」

朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車は宝塚南口駅のホームへ静かに滑り込んでくる。まるでそれが世界の決まりごとであるかのように、毎朝きっかり同じ時刻に。

彼女はいつも、同じ場所に立っていた。白い制服の裾が、電車の起こす風にわずかに揺れる。その揺れ方には特別な意味はない。ただ、そうなるべくしてそうなっているだけだった。

小さなファミリアのバッグを腕にかけ、彼女は車内に入る。中ではほとんど表情を変えない。何かを考えているようにも見えるし、何も考えていないようにも見えた。

彼女の名前を知る者は、まだいなかった。

電車は宝塚南口を離れる。そしてすぐに、次の駅である逆瀬川に到着する。

そこで、藤原恒一が乗り込んでくる。

彼は丸坊主の高校生で、野球部のピッチャーだった。毎日ボールを投げているのに、自分の投げる球がどこへ向かっているのか、うまく説明できないでいた。自分の「青春」と呼ばれるものがどこにあるのかも、まだよくわからなかった。

最初は偶然だった。ただ同じ時間の電車に乗り、同じ車両に入り、たまたま同じあたりに立っただけだ。

次の朝も、その次の朝も、似たようなことが続いた。やがてそれは、偶然と呼ぶには少しだけ繰り返しが多くなった。

彼は気づけば、同じ時間に、同じ車両に、同じ場所に立つようになっていた。理由を言葉にしようとすればできるのかもしれないが、しないほうが正確な気がした。

彼女は、門戸厄神で降りる。それに気づいたのは、三日目の朝だった。

ドアが開き、彼女は何事もなかったかのように電車を降りる。振り返ることもなく、人の流れの中に自然に溶けていく。

彼はそのまま車内に残る。電車は再び動き出し、次の駅、西宮北口へ向かう。彼が降りるのは、その次の駅だ。

ドアが閉まる直前まで、彼女の白い制服の端が見えていた気がした。しかし、それが本当だったのかどうか、彼にはよくわからなかった。

彼はまだ、彼女の名前を知らない。声も知らない。ただ、降りる駅だけを知っている。

それだけで十分だと思える朝もあれば、まったく足りないと思う朝もあった。

電車はありふれた都市の中を走り続ける。その中で、ごく小さな距離だけが、毎朝同じように保たれている。

藤原恒一にとっての春は、阪急今津線のその朝、門戸厄神と西宮北口のあいだにある、ほんのわずかな距離から、静かに始まった。

第二章 「電車の距離が小さくなる朝」

朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車は宝塚南口駅のホームへ滑り込んでくる。それは毎朝変わらない、静かな習慣のようなものだった。

彼女は、いつもと同じ場所に立っている。白い制服の裾が、電車の起こす風にわずかに揺れる。今日も、それに特別な意味はない。ただ、そうなっているだけだ。

電車は宝塚南口を離れ、すぐに逆瀬川へ着く。そこで藤原恒一が乗り込んでくる。彼は今日も同じ車両に入り、同じあたりに立つ。けれど、その「同じ」は、ほんの少しだけ昨日と違っていた。

気づかない程度の差だった。測ろうとしても測れないくらいの、わずかな違い。それでも、彼は昨日より少しだけ前に立っていた。

彼女はドアの横にいる。彼は、その少し手前にいる。それだけのことだった。誰も何も言わないし、合図もない。けれど、その朝、ふたりのあいだの距離は確かに縮まっていた。

ある朝、電車がわずかに揺れた。彼女の体が、ほんの少しだけバランスを崩す。それは見逃してしまいそうな、小さな揺れだった。

彼は反射的に手を伸ばし、彼女の腕に触れた。ほんの一瞬のことだった。制服の布越しの体温は、妙に現実的だった。

彼女は顔を上げ、彼を見る。そのとき彼は、彼女の名前を知らないという事実を、はじめてはっきりと意識した。

「ありがとうございます」

彼女は小さな声でそう言った。それだけだった。けれど彼の中で、何かがわずかに動いた。歯車のようなものではない。もっと小さくて、もっと正体のわからないものだ。

電車は門戸厄神に到着する。彼女はいつものように降りていく。振り返ることはない。ただ、人の流れの中に静かに消えていく。

ドアが閉まり、電車は再び走り出す。西宮北口までは、あとひと駅だ。彼は同じ場所に立ったまま、何も変わらない車内を見ていた。

それでも、右手に、さっきの感触だけが残っていた。

彼は彼女の名前を知らない。それでもその朝、彼女はただの「同じ車両に乗る誰か」ではなくなっていた。

何がどう変わったのかを、藤原は西宮北口のホームに降りてからも、うまく言葉にできなかった。言葉にできないということは、つまり、それはまだ言葉になる前の段階にある何かなのだろう。彼はそういうものを、無理に言葉にしないことにしていた。

第三章「名前を持たないままの朝」

四月の終わりが近づいていた。

朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車は宝塚南口駅のホームへ滑り込んでくる。それは日付とは関係なく続いていく、静かな習慣のようなものだった。

彼女はその日も、同じ場所に立っている。白い制服の裾が、電車の起こす風にわずかに揺れる。

逆瀬川で、藤原恒一が乗り込んでくる。彼は少し早足でホームを歩き、迷うことなくいつもの車両に入る。そして、いつものあたりに立つ。ほんのわずかに顔を向ければ、彼女が視界の端に入る位置だった。

この位置は、数日前から変わっていない。あの朝、手が触れてから、彼の足は自然とここに止まるようになった。意図してそうしているわけではなかった。ただ、体がこの場所を覚えてしまっただけだ。

電車が発車する。揺れは小さい。

門戸厄神が近づいたとき、彼はふと気づいた。右手のことを考えていた。あの日の感触のことを。布越しの体温と、「ありがとうございます」という五文字のことを。

それは数日前の出来事なのに、時間の中で少しずつ形を変えている。記憶というのは不思議なもので、何度思い返しても同じ形をしていない。あの日よりも今日の方が、感触は鮮明で、声は近い。実際にはそんなはずはないのだけれど。

彼女は窓の外を見ていた。こちらを見ているわけではない。それなのに、彼女が視界の端にいるというだけで、車内の空気の配分が少しだけ変わる。そういう人がいるということを、藤原は高校一年の四月に初めて知った。

門戸厄神のアナウンスが流れ、ドアが開く。彼女は降りていく。いつもと同じ歩幅で、同じ方向へ。

彼はそのまま車内に残る。

名前を知らないまま、四月が終わろうとしている。名前を知ったら何が変わるのかは、まだわからない。ただ、知らないままの方が正しいような気もするし、知りたいと思う朝も確かにあった。

何かがひとつだけ、形を変えている。それが何なのかを、藤原は西宮北口のホームに降りてからも、相変わらずうまく言葉にできなかった。

ただ、ひとつだけ確かなことがあるとすれば、あの日の感触が、日を追うごとに薄れるどころか、むしろ輪郭を増しているということだった。普通、記憶は時間とともに削れていくものだと思っていた。けれど、これはどうやらそうではないらしい。

第四章「名前のある誰かになった日」

五月に入ると、朝の空気は少しだけ軽くなった。朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車は宝塚南口駅のホームへ滑り込んでくる。その習慣は、四月と同じように続いていた。

彼女はその日も、同じ場所に立っている。白い制服の裾が、電車の風にわずかに揺れる。

電車は宝塚南口を離れ、逆瀬川へ向かう。次の駅で、藤原恒一が乗り込んでくる。彼はいつものように車両に入り、いつものあたりに立つ。彼女の姿は、視界の端にある。

電車が発車する。揺れは穏やかで、何も起こらないまま時間が進む。

門戸厄神が近づく。彼女は、いつものように降りる準備をする。バッグを持ち直し、体の向きを少しだけドアに向ける。

電車が減速し、ホームが見えはじめる。そのとき、外から声がした。

「みれいー!」

甲高く、よく通る声だった。

彼女の肩が、ほんのわずかに動く。ホームに、同じ制服の少女が立っている。手を振りながら、もう一度呼ぶ。

「芦屋ー!」

その二文字は、はっきりと車内に届いた。

彼女が、小さく笑う。その表情は、これまで電車の中では見たことのないものだった。

ドアが開く。彼女――芦屋は、そのままホームへ降りていく。友達のほうへ歩いていく。振り返ることはない。白い制服がふたつ、並ぶ。

ドアが閉まり、電車は再び動き出す。西宮北口までは、あとひと駅だ。

藤原は同じ場所に立ったまま、何も変わらない車内を見ている。ただ、頭の中に、ひとつ言葉が残っていた。

芦屋。

それを、もう一度だけ、なぞる。

名前を知るということは、こういうことなのかもしれない。たった二文字で、世界の中にその人の居場所ができる。昨日までは「白い制服の少女」だったものが、今日からは「芦屋」になる。それだけのことなのに、電車を降りたあとの空気が、少しだけ違って感じられた。

それだけで十分な気がした。

第五章 「夏のグラウンドと空の電車」

六月の終わりには、朝の空気から春の気配はほとんど消えていた。七月に入ると、車内には汗ばむ空気が残るようになる。

朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車は宝塚南口駅のホームへ滑り込んでくる。彼女はその日も、同じ場所に立っていた。白い制服は夏用の生地に変わっている。裾の揺れ方だけが、春と同じだった。

逆瀬川で、藤原恒一が乗り込んでくる。丸坊主の頭は、春よりさらに短くなっていた。

夏の大会が始まる。電車はいつもと同じように走っているが、彼の頭の中にあるのは、別の場所だった。

県予選の三回戦。相手は、強くも弱くもないチームだった。藤原はベンチに入っていた。先発ではない番号を背負って。

試合は、うまく進まなかった。先発が崩れ、守備も乱れる。点差は、少しずつ開いていった。

五回が終わったあと、名前を呼ばれる。

「藤原、行くぞ」

マウンドに上がると、土のにおいがはっきりした。スタンドの音は、少し遠かった。

彼は二回を投げた。大きな崩れはなかった。失点もなかった。それでも、試合には負けた。

ゲームセットのあと、三年生たちはその場に残った。泣いている者もいたし、何も言わない者もいた。藤原は、自分のグローブを見ていた。

「ナイスピッチングやったぞ」

ベンチへ戻る途中で、肩を叩かれる。彼は、うなずいた。

球場を出るころには、陽射しは完全に夏だった。

帰りの電車は、朝とは違う時間に走っている。車内は空いていた。彼女はいない。

窓に映る自分の顔を見ても、何が変わったのかは、よくわからなかった。ただ、二回を無失点で投げたということと、試合には負けたということが、同じ午後のなかに並んでいる。その二つを同時に持っていることの重さが、まだうまく量れないでいた。

電車の外を流れる景色を見ながら、朝の車両のことを思い出す。

宝塚南口。逆瀬川。門戸厄神。白い制服。小さなバッグ。「ありがとうございます」という声。芦屋、という名前。

それらはここにはない。けれど、同じ線路の上にある。

夏休みが始まれば、朝の電車にはしばらく乗らない。そのことを、藤原は考える。

さびしいのかどうかは、まだわからない。ただ、何かが少しだけ空いた。その空いた場所に何が入るのかは、まだ決まっていない。

電車は、西宮北口へ向かって走る。彼は窓の外を見たまま、ひとつだけ考えていた。

夏が終わったあと、またあの電車に乗るとき、自分は何かひとつ、言葉を持っているだろうかと。

第六章 「夏休みのあいだの空白」

夏休みに入ると、朝七時ちょうどの電車は、少し違う顔を見せるようになった。同じ阪急今津線でも、制服の数は減り、代わりに私服の子どもや、時間に追われていない大人たちが増える。

藤原恒一は、その時間の電車に乗らなくなった。朝はグラウンドへ向かう。日によって時間は違い、ときどき自転車で行く。七時ちょうどに宝塚南口へ入る電車とは、しばらく関係がなくなった。

宝塚南口。逆瀬川。門戸厄神。その順番は変わらない。ただ、その中に彼はいない。

彼女が夏のあいだも同じ電車に乗っているのか、藤原は知らなかった。考えようとすれば考えられるが、いつも途中でやめた。考えることと知ることのあいだには距離がある。考えているだけでは何も確かめられないし、確かめる手段も持っていない。だから途中でやめる。それは諦めとは少し違う。保留だ。

グラウンドには、別の匂いがある。土と汗と、少し湿った芝の匂い。ボールを投げると、指先が削れる。声を出すと、すぐに喉が乾く。

その合間に、ふと思い出す。

白い制服。小さなバッグ。「ありがとうございます」という声。芦屋、という名前。

それは遠くの駅のアナウンスのように、はっきりしているのに、どこか自分の外にあった。

練習の帰り、自転車を漕ぎながら空を見る。その空の下のどこかで、芦屋は別の一日を過ごしている。

ある朝、藤原は電車に乗った。自転車のチェーンが外れたままになっていたからだ。

時間は少し遅かった。七時ちょうどの電車ではない。車内は空いていた。見慣れない制服がいくつか混じっている。

逆瀬川で乗り込み、彼は一度だけ車内を見回す。

白い制服は、なかった。

それだけだった。

ジュースの自販機の前を通りすぎるとき、ふと、グレープフルーツジュースに目が止まった。理由はない。ただ、白い制服の少女が飲みそうなものを考えていた自分に気づいて、少し驚いた。

窓に映る自分の顔は、少し焼けていた。

八月の終わりが近づくころ、風がわずかに変わる。夕方の空気に、少しだけ涼しさが混じる。その頃には、自転車も直っていた。朝の電車に乗る理由は、またなくなっていた。

夏休みのあいだ、藤原は一度も、七時ちょうどの今津線に乗らなかった。彼女がそこにいたのかどうかも、わからないままだった。

ただ、夏が終われば、同じ電車が、同じ時間に、同じ駅へ入ってくる。それだけは、変わらない。

藤原は、そのことだけを考えていた。そのとき、自分が何かひとつ、言葉を持っていればいいと思った。

第七章 「夏のあとで戻る朝」

夏休みが終わると、朝の空気は少しだけ固くなった。同じ七時でも、窓の外の色はどこか薄く、線路の影だけがはっきりしている。

朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車は宝塚南口駅のホームへ滑り込んでくる。その光景は、六月の朝とほとんど同じだった。

彼女は、その日も同じ場所に立っている。白い制服は夏用のまま、肌の色も春からあまり変わっていない。電車の風を受けて、裾がわずかに揺れる。

藤原恒一は、久しぶりに通学用の制服を着てホームに立っていた。夏のあいだ、ほとんど毎日着ていた練習着と違って、制服の襟は少し硬い。首まわりにまとわりつく感覚も、ずいぶん久しぶりだった。

逆瀬川に電車が入ってくる。ドアが開き、彼は乗り込む。

いつもの車両。いつものあたり。

ただ、同じ場所に立ってみると、少しだけ景色が違って見えた。

窓に映る自分の姿が、春よりも濃い色をしていた。日焼けで黒くなった肌。肩まわりは、少しだけ厚くなっている。制服の袖の中に、夏の練習でついた筋肉が収まりきらない感覚があった。

体は変わった。夏のグラウンドがそうさせた。けれど、言葉の方は、まだそれに追いついていない。体が一歩前に進んだぶん、心が半歩遅れている。そういうアンバランスを、藤原は何となく感じていた。

顔を少し動かすと、視界の端に白い制服が入る。

芦屋は、ドアの横に立っていた。春と同じ姿勢。夏のあいだの時間が、彼女の輪郭を変えたようには見えない。彼女は白いままだった。

電車が発車する。揺れは小さい。

彼は、一歩前に出るかどうか、一瞬だけ考えた。結局、その朝は踏み出さなかった。

門戸厄神が近づく。アナウンスが流れ、芦屋はバッグを持ち直す。その動きに合わせて、隣で立っていた同じ制服の少女が、彼女の方へ少し顔を寄せた。

「文化祭、どうする?」

その一言だけが、彼の耳に、はっきり届いた。

芦屋は、少しだけ笑った。

「どうって?」

「誰呼ぶん? 今年」

彼女の友達は、声を落とすつもりもないまま続ける。電車の揺れと同じくらいの自然さで、彼には関係のないはずの会話が、目の前で進んでいく。

「別に、誰も」

芦屋はそう言って、窓の外に視線を向けた。

「家族は?」

「来るんじゃない?」

「なんか冷たいわ」

友達が少し大げさにため息をつく。

そのやりとりの意味を、藤原は最後まで追いきれなかった。ただ、「文化祭」という言葉だけが、彼の頭の中に残った。

芦屋の学校にも、文化祭がある。当たり前のことだが、朝の電車の中だけを共有していると、その当たり前は、少し特別なものに聞こえた。

芦屋の学校の文化祭は、どんなものなのだろう。白い制服が、廊下を行き来しているのか。ピアノの音が、教室のどこかから聞こえてくるのか。絵や写真が並ぶ教室があるのか。

彼は、見たことのない風景を、少しずつ想像で埋めていった。それは、小説の行間を読むのに似ていた。書かれていない部分に何があるのかを考える作業だ。正解はない。けれど、考えること自体に意味がある。

「外の人も来れるん?」

友達の声が、また聞こえた。

「あんまり、呼ばへんけどね」

芦屋は、はっきりとそう言った。

「ふーん。じゃあ、内輪で楽しもか」

門戸厄神に電車が止まり、ドアが開く。芦屋と友達は、ふたり並んでホームへ降りていく。白い制服が、二つ並ぶ。

藤原は、その後ろ姿を目で追いながら、「呼ばない」という言葉を、自分の中で何度か反芻した。

ドアが閉まり、電車は再び走り出す。西宮北口までは、あとひと駅だ。

一年後、芦屋の文化祭に誘われることになる未来のことなど、彼はまだ知らなかった。その朝の彼にとって、文化祭はただ、秋の予定のひとつでしかなかった。

ただひとつだけ、完全に変わったものがあるとすれば、夏の前なら見過ごしていたはずの会話を、彼はちゃんと耳で拾おうとしていた、ということだった。

第八章 春のかたち、夏の予感

四月になって、二年生になった。朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車は、相変わらずの音を立てて宝塚南口駅のホームへ滑り込んでくる。

一年ぶりの春の匂いは、去年と同じようで、少しだけ違っていた。線路の向こうに見える桜は、花の量よりも、枝の黒さの方が目に入る。同じ景色を見ているはずなのに、見えてくるものの順番が変わっているような気がした。

電車のドアが開く。人の流れに乗って乗り込むと、藤原恒一は、ほとんど迷わず、いつもの位置に体を運んだ。

その場所に、彼女がいた。

芦屋は、相変わらず白かった。ただ、その白さの中身が、去年より少しだけ大人びていた。

髪は肩のあたりでゆるく結ばれていて、去年よりも高い位置でまとめられている。耳の後ろからうなじにかけての線が、前よりもはっきり見えた。

ふとした拍子に顔を動かしたとき、耳たぶのところに、小さな穴が空いているのが見えた。ピアスそのものはつけていない。それでも、その小さな穴が、去年の春と今年の春のあいだにあった時間を、さりげなく示しているようだった。

こういうことに気づいてしまう自分のことを、藤原はどう理解すればいいのかわからなかった。耳たぶの穴が彼の人生に何の関係があるのかと問われれば、何の関係もない。ないはずだ。けれど、それが目に入ってしまった以上、なかったことにはできない。人間の視覚というのは、そういう厄介なところがある。

藤原は、何も言わなかった。言葉より先に、体がいつもの位置で止まる。吊り革に手を伸ばす。

窓に映る自分の顔は、去年の春よりさらに黒くなっていた。肩まわりは、シャツの生地を少し持ち上げるようになっている。

彼はポケットからスマートフォンを取り出し、画面をスライドして、野球部のグループLINEを開く。新しいメッセージがひとつ増えていた。

「今週から朝練入るで。火木は七時集合な」

メッセージを送ったのは、キャプテンの名前だった。画面を見ているうちに、「火」と「木」の文字だけが、妙に濃く見えてくる。

火曜日と木曜日の朝は、七時の電車には乗れない。一本早い電車に乗って、まだ冷たい空気のグラウンドに立つことになる。

月・水・金は、これまで通り七時の電車に乗れるはずだった。それなのに、藤原の頭の中では、「会える日」よりも「会えない日」の方が先に数え上げられていく。

その足し算を始めてしまったことに対して、彼は自分自身に少し驚いた。人は、得たものの数よりも失ったものの数を先に数える生き物なのかもしれない。あるいは、まだ手に入れてすらいないものの不在を数えてしまう生き物なのかもしれない。

西宮北口のホームに降り立つと、同じクラスの野球部のやつが、手を振った。

「おー、藤原。黒さ更新してるやん」

「お前ほどちゃうやろ」

そう言い返しながら笑う。言葉のやりとりだけは、まだ去年と同じ調子で続けられた。

それでも、頭の片隅では、さっき見た白い横顔と、耳たぶの小さな穴のことが、何度も反芻されていた。

第九章 七月のスタンドで

――芦屋の朝は、その日、テーブルの上の新聞から始まった。

パンかじりながら地方版めくってたら、端っこの方にちっさい見出しが目に入った。

「○○高校、県大会決勝へ」

あ。

何回も見てきた漢字の並びやのに、その朝だけは別の言葉みたいに見えた。記事には球場の名前も書いてあった。明石球場での決勝戦。勝てば、甲子園。

「今日や……」

つぶやいたら、テーブルの向かいでお母さんが顔上げた。

「何が?」

「野球。決勝」

「ああ、また暑いのにようやるなあ」

それだけ言うて、天気予報のページに戻ってもうた。

記事のちっさい写真、ユニフォーム姿の選手たちが肩組んで空に向かって何か叫んでる。顔はよう見えへん。写真の中に、藤原恒一がどこかにおるんかもしれへん。そう思うと、ピントの合ってない印刷の粒子が、急に重さ持った。

電車の中で、友達に何気なく切り出した。

「明石球場って、ここから遠い?」

「え、急にどうしたん」

「決勝、見に行ってみよかなって」

「誰か出るん?」

「……朝の電車で一緒になる人の学校」

友達は、すぐに察したみたいやった。わざと大げさな声出す。

「なにそれ。そういうの、早よ言いや」

「別に、そういうのじゃない」

そう言いながら、自分でも「そういうのじゃない」って言い切れへんことを知ってた。

友達はスマホ取り出して、乗り換え案内開く。

「電車一本で行けるで。ほら、明石まで出て、そっからちょっと歩き。帰り混むやろけど」

画面に表示された経路を見てるうちに、試合が急に現実のものになった。

「一緒に行こか」

友達があっさり言った。

断る理由は、どこにもなかった。

明石球場は、夏休みの手前をそのまま固めたみたいな熱を持ってた。

外野の向こうに見える海の色は、遠目には涼しげなのに、スタンドのコンクリートは容赦なく熱を吸ってる。

アルプススタンドに近い内野の一角に、一般の観客席があった。芦屋と友達は、そこに腰を下ろす。

「どれが、その人?」

友達が、日傘の影からグラウンド覗き込むみたいにして聞く。

「背番号……一番」

自分の口から出た声が、思ったより小さかった。

「エースやん」

友達はちょっとだけ感心したような声を出す。

マウンドに立つ背番号1の選手。帽子のつばの下で、横顔までは見えへん。それでも、投球フォームのどこかに、朝の満員電車で見てきた輪郭が重なった。

藤原恒一が、そこに立ってた。

試合は、最初から息が詰まるようやった。

一球目のストライクが、ミットに収まる音が響く。

速い。

ボールの軌道の細さと、ミットに吸い込まれるまでの短さに、芦屋は軽く息を呑んだ。

三回まで、両チーム無得点。四回の裏、○○高校が先に一点を取った。打球が外野の頭を越え、スタンドが一気に沸く。

「かっこよすぎやろ」

横で友達が小さく笑う。

芦屋は、返事をせえへんかった。まばたきの回数だけが、いつもより確実に増えてるのを自覚してた。

七回表、相手の四番打者に、ようやく一本のタイムリーを打たれた。同点。八回表、さらに一点。犠牲フライでの勝ち越し。

藤原は、それでも、顔をあまり変えへん。バックネット越しに見える顎の線だけが、さっきより少し固くなってるように見えた。

九回裏。最後のチャンス。先頭打者が出塁する。送って、一死二塁。ツーアウト三塁。

ブラスバンドが、最後のフレーズを繰り返し始める。

四番打者が打席に入る。ツーボール・ツーストライク。

五球目。

打球は、高く上がった。内野フライ。

ショートがグローブを構える。落ちてくる白い球が、ゆっくりと、その中に収まる。

ゲームセット。

相手校の歓声だけが、時間差で大きくなった。

○○高校の選手たちは、しばらくのあいだ動かへんかった。マウンド上で、藤原が帽子のつばをつかむ。

整列、礼。

○○高校の選手たちが、一塁側の応援席へ向かって歩き出した。ヘルメットを脱いだ野球部員たちが、スタンドに向かって一斉に頭を下げる。

顔を上げたその瞬間、藤原は、スタンドの一角で、白い制服を見つけた。

距離は遠い。それでも、その制服の持ち主が誰なのか、考えるまでもなかった。

視線が、合った。

芦屋は、泣いてた。

自分でもいつの間に泣いてたんか分からへん。九回のフライが上がった瞬間なのか、整列のときなのか。気づいたら、頬に沿って光るものが落ちてた。

あかん。なんで泣いてんねん、うち。

出てる人間でもないのに。グラウンドの土、踏んだこともないのに。

でも、止まらへんかった。

負けたんや。あの人、負けたんや。

そのことが、胸の奥からじわじわ押し上げてきて、涙腺の蓋をぜんぶ外してしまった。

友達が、何も言わんと、ハンカチだけ差し出してくれた。

帰りの電車は、混んでた。疲れた体をシートに預けて、芦屋はぼんやり窓の外を見てた。

「泣きすぎやろ」

友達が、缶ジュースを渡しながら言う。

「……暑かったから」

「嘘つけ」

「暑かったんよ、ほんまに」

自分でも苦しい言い訳やと思った。でも、他に何て言えばええんか分からへん。

「あの人、泣いてへんかったで」

友達が、少し小さい声で言う。

「……うん」

知ってる。マウンドで帽子のつば掴んで、顔上げたとき、藤原は泣いてへんかった。泣けないのか、まだ悔しさに追いついてないだけなのか。

でも、泣いてへん彼と、スタンドで泣いてる自分。

その構図が、なんか、すごく恥ずかしかった。

「顔、見られたかな」

「え?」

「泣いてるとこ。遠かったし、分からへんかな」

「さあ……でも、白い制服、結構目立つで」

芦屋は、缶ジュースの冷たさを額に押し当てた。

夏が終わった。いや、自分の夏は何も始まってすらいないのに、彼の夏が終わったことだけが、胸に残ってた。

第十章 九月の電車で

九月になって、二学期が始まった。
夏休みのあいだだけ緩んでいた朝の空気が、また元の形に戻ろうとしている。
朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車は、少しだけ冷たさを取り戻したホームへ滑り込んでくる。
蝉の声は、まだ完全には終わっていない。けれど、線路の向こうから吹いてくる風の中に、どこか乾いた匂いが混じっていた。
藤原恒一は、電車に乗り込んで、いつもの位置へ体を運んだ。
その場所に、彼女がいた。
芦屋は、夏前と同じ白い制服を着ていた。肩のあたりで結ばれた髪は、少しだけ長くなっているように見えた。
七月のあの日、明石球場のスタンドに白い制服が見えたことだけは、不自然なくらい鮮明に覚えていた。
言葉をかけるタイミングは、夏休みのあいだにいくらでもあったはずだった。メッセージアプリの画面を開いては閉じ、短い文を打っては消し、結局、何も送らないまま日付だけが進んでいった。
彼にはそもそも彼女の連絡先がなかった。そのことに気づいたのは、文面を考え始めてからだった。送る手段のない文章を何度も推敲していたことになる。それは、投げる相手のいないキャッチボールのようなものだった。
だからこそ、九月の最初の七時の電車で、彼はようやく口を開いた。
「この前……」
最初の二文字が、思っていたよりも大きな音になった。芦屋が、窓から視線を外してこちらを見た。
「この前?」
「決勝、来てたやろ」
言ってから、問いかけの形になっていることに気づく。見間違いの可能性を、どこかで残そうとしている自分がいた。
芦屋は、少しだけ目を丸くした。
「分かったん?」
「……あんだけ泣いてたら、分かるやろ」
言ってから、また少しだけ後悔する。「泣いてた」という言葉が、思ったよりもまっすぐになってしまった。
芦屋は、視線を一瞬だけ足元に落として、それから小さく笑った。
「あれは、暑かったから」
七月のスタンドでの言い訳と、ほとんど同じ言葉だった。
藤原も、少しだけ笑った。
「わざわざ、ありがとう」
その一言を口に出すまでに、あの決勝から二十日以上かかっていた。言ってしまえば、それだけのことだ。それだけのことなのに、夏休みのあいだのどの日よりも、今の一瞬の方がよほど暑く感じられた。
「別に。近かったし」
芦屋は、そんなふうに言った。
明石球場までが本当に「近い」のかどうか、藤原にはよく分からなかった。けれど、あのスタンドの距離よりも、今のこの車内の距離の方が、少なくとも近いのだということだけは、はっきりしていた。
会話は、そこでいったん途切れた。
門戸厄神のアナウンスが流れる少し前、芦屋が、制服のポケットから小さな紙片を取り出した。二つに折られた、そのまた半分を、さらに丁寧に折りたたんだような、薄い長方形だった。
ドアが開く音とほとんど同時に、芦屋は藤原の方を見ずに、その紙片を彼の手のあたりへ押し付けるようにして渡した。
「これ」
小さく、それだけ言う。
藤原が反射的に指を閉じると、紙は掌の中に収まった。
「じゃあ」
芦屋は、それだけを残してホームへ降りていった。
藤原はしばらくのあいだ、開きかけていた手をそのままにしていた。
すぐに開くこともできた。けれど、彼はそのままポケットにしまい込んだ。今、この揺れの中で読むよりも、一度だけ深呼吸のできる場所で開いた方がいいような気がした。
手紙を開くという行為に、彼は準備を必要としていた。それが何であれ、揺れる電車の中で読むべきではないと思った。大事なものは、安定した場所で開くべきだ。それが彼のルールだった。

第十一章 折りたたまれた一日

――文化祭の朝は、校門の前からもう空気が違ってた。

いつもは静かな植え込みのあたりまで、焼きそばとフランクフルトの匂いが流れてきてる。中庭のステージからは、まだリハーサルっぽい音量のバンド演奏。

芦屋は制服の袖を一度だけ引っ張って、しわ伸ばした。胸ポケットの内側には、何度か折り目をなぞった跡のある、一枚の紙が入ってる。

二週間ほど前、九月の電車の中で渡した、あの紙。

そこには、文化祭の日付と時間、最寄り駅からの行き方、校門を入ってからの簡単な案内図、そして最後に、短い一文だけ書いてある。

「よかったら、来てください。」

句点つけるかどうかで迷って、結局つけたままにした。

返事は、まだもらってへん。電車の中では、その話に一度も触れへんかった。

「人多そう」

隣で友達が言う。

「クラスの出し物、午前中から人来るかな」

「どうやろ。お化け屋敷やし、午後の方が混みそう」

校門をくぐると、制服姿の生徒と、私服の友達と、保護者らしい大人が、同じ方向へゆっくり流れてる。

「門のとこ、ちょっとだけ見とく?」

友達がそう言って、校門の方を振り返る。

「誰か来るん?」

「……かも」

「かも、て。来るか来んかどっちやねん」

「分からんから、かも、て言うてんねんやろ」

「めんどくさい子やなあ」

友達は笑いながら、それでも一緒に門のあたりをしばらく眺めてくれた。

校門には案内の立て看板が立ってる。家族連れ、小学生のグループ、他校の制服。いろんな人が入ってくるけど、野球部の坊主頭は、どこにも見えへん。

「中入らんと怒られるで」

友達に軽く腕引かれて、芦屋は一度だけ頷いた。

「うん。行こか」

午前中は、クラスの出し物でほとんど埋まった。

廊下は暗い。教室はさらに暗い。悲鳴と笑い声が交互に響く。受付の担当をしてるあいだ、廊下の向こうに見える窓のあたりを、何度かちらっと見る癖がついてた。

紙の地図の通りに来たら、ここを通るはずやった。

お昼を過ぎても、それらしい黒さは現れへんかった。

午後、当番から外れた時間に、芦屋は友達と校内を回った。

「さっき、野球部の子見たで」

廊下歩きながら、友達が言う。

「え」

「うちのやつ。なんか模擬店の手伝いしてた」

「そっちか」

藤原の学校やなくて、自分の学校の野球部。がっかりしたのが顔に出たんか、友達がにやっとした。

「ちょっと、外見てくる」

気づいたときには、口が先に動いてた。

「一人で大丈夫?」

「うん。門のとこだけ見てくる」

校門の近くまで出ると、午前中より人は減ってた。

「探してる?」

後ろから、友達の声がした。結局ついてきてくれてる。

「……別に」

「うち、聞いたで」

「何を」

「今日、練習試合入ったって。藤原くんとこ」

芦屋は、そこで初めて足を止めた。

「いつ?」

「昨日の夕方。相手が強いとこで、急に決まったらしい」

誰から聞いたんかまでは、聞かん方がええような気がした。

「そっか」

試合なら、仕方ない。そう思うまでに、時間はかからんかった。むしろ、来られへん理由がちゃんとある方が、まだましやとさえ感じた。

「来るって言うてたん?」

「……何も言ってへん」

紙を渡しただけ。言葉にはしてへん。

「じゃあ、しゃあないやん。文化祭なんか、毎年あるし」

「そうやな」

自分の声が少しだけ上ずってるのを感じた。

夕方、片づけをするクラスメイトの声と、テープや紙くずの散らばった廊下の匂いの中で、芦屋はぼんやり立ってた。

「来なかった」という事実が、今日一日のいろんなものの中に、薄く混ざり込んでた。

胸ポケットの内側は、朝から何も変わってへん。折りたたんだ紙は、そこからどこにも動いてないのに、今日一日で、その重さだけが少し変わったような気がした。

明日の朝、電車の中で、藤原が何か言うんかどうか。

芦屋は、そこまで考えて、いったん思考を止めた。まだ終わってない一日の終わりを、これ以上先回りしてしまうのが、少しだけ怖かった。

第十二章 約束の入り口

文化祭の翌朝の電車は、いつも通りの顔をしていた。

藤原恒一は、少しだけ早めにホームに立っていた。昨日一日、金属バットの音と、土の匂いに包まれていた身体は、まだ完全には日常に戻りきっていない。

練習試合は、延長戦の末に勝った。監督は、「いい経験になったな」と短く言った。

帰りのバスの窓から見えた夕焼けは、文化祭が終わる校舎の空と、どこか同じ色をしているように見えた。もちろん、文化祭の校舎の空を見たことはないのだから、それは想像でしかない。けれど、想像の中の空と、バスの窓の外の空が、同じ色をしていると感じたことだけは確かだった。

電車に乗り込んで、いつもの位置へ歩いていくと、そこに彼女がいた。

藤原は、吊り革に手をかける前に、一度だけ息を吸った。

「昨日」

いつもより少し低い声だった。

芦屋が、顔を上げる。

「ごめん。行かれへんかった」

謝る、という行為が、思っていたよりも場所を取ることを知った。言葉を置いた瞬間、電車の揺れが一拍だけ遅れたような気がした。

芦屋は、少しだけ目を細めた。

「試合やったんでしょ」

「うん。急に入って」

「どうやった?」

「……勝った」

「ええやん。おめでとう」

おめでとう、と言われることを、あまり想像していなかった。

「ありがとう」

そう返した自分の声が、どこかよそ行きのもののように聞こえた。

「昨日、忙しかった?」

藤原が、少しだけ視線をずらしながら尋ねる。

「まあ、それなりに。クラスでお化け屋敷して。途中でステージも見に行って。来てるかなって、一応ちょっとだけ門のとこも見て」

最後の一文は、少しだけ声が小さかった。

「ごめん」

藤原は、もう一度だけそう言った。

「別に。来てください、とは書いたけど、来てください、って言ったわけじゃないし」

「あの紙、読んだ?」

「読んだ」

「そっか」

それ以上、芦屋は何も聞かなかった。

「来年は」

藤原が、不意に口を開いた。自分でも、何が自分にその言葉を言わせたのか、よくわからなかった。

「来年?」

「来年は、行く」

頭の中で何度か転がした言葉ではあったが、口に出すつもりまではなかった。口というのは、ときどき脳の許可なく動く。

「来年って、高三?」

「うん。夏で引退するから。そのあとやったら、どこでも行ける」

「来年の文化祭、いつかまだ分からんけど」

藤原は、吊り革を握る手に少しだけ力を入れた。

「その日がいつでも、行く。絶対行くから」

絶対、という言葉は、あまり得意ではなかった。世の中に絶対的なものはほとんどない。あるとすれば、太陽が東から昇ることくらいだ。けれど、そのときは他の言い回しが見つからなかった。

芦屋は、一瞬だけ目を丸くした。

「うちの文化祭、そんなおもしろくないで」

「昨日の紙、図まで描いてくれたやん」

「迷われたら困るし」

「迷われへんようにって描いたんやろ」

「……まあ」

「来年は」

芦屋が、バッグを持ち直す。

「じゃあ、来年のぶん、予約だけしとくわ」

「うん」

「今年のは、キャンセルってことで」

「キャンセル料、かからへん?」

「試合で勝ってるから、チャラ」

「ならよかった」

ドアが開く。芦屋はいつものようにホームへ降りていった。

藤原は、その背中を見送りながら、吊り革から手を離した。

来年のカレンダーの、まだ何も書かれていない十一月あたりのマス目に、小さく印をつけるような感覚があった。約束というのは、こうやって形になるのかもしれない。言葉にした瞬間に、未来の一点が固定される。それは星座を結ぶのに似ている。二つの点を線で結んだだけで、空の見え方が変わる。

「来年、行く」

さっき口にした言葉を、彼は心の中で、もう一度だけなぞった。

第十三章 新聞の文字で見る春

――朝ごはんのテーブルで、芦屋はまた新聞をめくってた。

スポーツ欄の下の方に、見慣れた漢字が並んでる。

「○○高校、秋季大会優勝 春の選抜へ前進」

「また勝っとる」

お母さんが、コーヒー飲みながらちらっと紙面覗き込む。

「どこか知り合い出てるん?」

「……同じ電車の人」

「へえ」

それ以上何も聞かへんのが、お母さんのええとこやと思う。

朝七時の電車で、いつもの位置。そこに、彼がいた。

芦屋は、少しだけ歩幅をゆるめて、その近くに立った。

「新聞、見た」

最初の一言は、それやった。

藤原が、わずかに目を見開く。

「秋の。優勝してたやろ」

「ああ……」

少しの間のあとで、藤原は、照れたように笑った。

「見てたんや」

「うちんとこの新聞にも載ってた。おめでとう」

その二文字を口に出すまでに、思ったより時間がかかった。夏の決勝のときには、スタンドで、心の中でしか言えへんかった言葉。今度は、同じ電車の中で、ちゃんと音にして届ける。

「ありがとう」

藤原は、まっすぐにそう返した。

「選抜、行くんやろ」

「まだ決まってへんけど……まあ、行けたらええな」

「テレビ、映るん?」

「映るはず。春やし」

「そっか」

芦屋は、窓の外に視線を向けた。頭の中で、甲子園のグラウンドと、今目の前に立ってる制服姿の彼が、同じ人間でできてることを、何度か確認する。

「なんか、どんどん遠く行ってる感じする」

「遠く?」

「甲子園とか、テレビとか。新聞に載ったりとか」

「電車は、同じやけどな。朝七時のここは、一緒やし」

「そうやけど」

「遠く行ってる感じするけど、ちゃんとここにもおるから」

藤原は、自分でも何を言ってるのか分からんまま、そう続けた。

「春、テレビの前で応援していい?」

「……してくれたら、うれしい」

藤原は、そこでようやく、少しだけ視線を合わせた。

門戸厄神のアナウンスが流れる。

「じゃあ、秋のおめでとうと、春のがんばって、先に言っとくわ」

芦屋は、ドアの前に立ちながらそう言った。

「秋、おめでとう。春、がんばって」

言葉は、思ってたより、すっきりと声になった。

ドアが開き、芦屋はホームへ降りていく。

新聞の文字で決まっていく春と、七時の電車で続いていく朝。その両方の上に、彼女の「おめでとう」が乗っていることを、藤原は、ようやくはっきりと意識したような気がした。

第十四章 さいごの二年生の朝

三学期の終わり、二年生として最後の登校日だった。

朝七時ちょうどの電車で、いつもの位置。もう何度繰り返したか分からない春の入口。

藤原は、冬のあいだに少しだけ伸びた前髪を横に流して、吊り革を握っていた。肩のあたりに積もっているものは、もう「二年生」と呼ぶには少し重たく見えた。

「いよいよやね」

芦屋が、窓の外を見ながら言った。

「うん」

「二日目の二試合目、やろ」

「そう」

「時間も覚えてる」

「マジで?」

「ちゃんと、時間割のとこに書いてあるもん」

「変な負け方せんといてな」

芦屋が軽く笑いながら言った。

「プレッシャーやな」

「高校の文化祭キャンセルした分、ちゃんと試合で返してもらわんと」

「まだ言う?」

「一生言う」

「重いな」

そう言いながらも、藤原の声には、どこか嬉しそうな響きがあった。

「最初からちゃんと投げて」

「最初からちゃんと投げる」

「途中で崩れんといて」

「途中で崩れへんようにする」

「最後まで、見てられる試合にして」

「それが一番むずいねん」

二人とも、少しだけ笑った。

「緊張してる?」

芦屋がふと尋ねる。

「してへん、って言ったら嘘になるな」

「寝れへんとか?」

「それはない。疲れすぎて、逆にすぐ寝れる」

「じゃあ大丈夫やん」

門戸厄神のアナウンスが流れる。

「じゃあ、二日目の二試合目、テレビの前から見とく」

「頼む」

「ちゃんと映ってな」

「できるだけ映るようにするわ」

「ピッチャーやし、映るやろ」

ドアが開く。

芦屋はホームへ降りていく。振り返りはせえへんかった。振り返らんでも、電車の中で吊り革握ってる彼の姿が、頭の中に鮮明に浮かんでた。

「勝っても負けても、ちゃんと『やった』って顔で戻ってきて」

最後に言うたその一言だけが、三月の空気の中に静かに残っていた。

第十五章 画面の向こうのマウンド

――選抜の初戦は、三学期の終業式の翌日やった。

芦屋は制服やなくて、部屋着に近い楽な格好でリビングに座ってた。テレビでは朝から甲子園球場の映像が流れてる。

玄関のチャイムが鳴る。

「来た」

「おじゃましまーす」

友達が学校のジャージの上にパーカー羽織ったまま入ってきた。

「本気やな、その服装」

「今日のメインイベントやし」

「イベント言うな」

テーブルの上には新聞。対戦カードと開始時刻は、もう暗記するくらい繰り返し読んだ。

「せっかく西宮やねんから、球場行ったらよかったのに」

友達が言う。

「行ったら、顔ほとんど見えへんやん」

「え?」

「アルプスとか外野からやったら、ピッチャーの顔なんか豆粒やろ」

「まあ、そうやけど」

「テレビやったら、投げる前の顔とか、帰ってくるときの顔とか、ちゃんとアップで写るし」

「つまり、顔が見たいと」

友達がすかさずニヤニヤする。

「……まあ、そういうこと」

「出た」

「何が」

「好きな人の顔を一番よく見えるところから見る選抜理論」

「そんな理論ない」

「ある。いま作った」

画面が切り替わり、両校の選手が整列する。○○高校の名前が呼ばれたとき、芦屋は無意識に膝の上で指を組んだ。

「うわ、ほんまにおる」

背番号1。帽子のつばの影で顔まではっきり見えへん。でも姿勢と立ち方だけで、いつもの電車の輪郭とつながる。

一回表。マウンドに藤原の顔が画面いっぱいに映った。

「ほんまに、テレビのピッチャーやん」

「テレビのピッチャーやし」

「そやけどさ。朝の電車におった人と同じとは思えん」

芦屋は、画面から目を離せへんかった。帽子の下で少し細められた目も、唇の横の緊張の線も、全部正面から映ってる。電車の中では、横顔と、まぶたの線と、たまに視線がぶつかるタイミングしか知らんかった。

一球目。ストレートがミットに吸い込まれる。

「141km/h」

「速」

「前から速かったやろ」

「数字で出ると、なんか別物に見えるねん」

一回表を三者凡退で終えると、二人とも同時に息を吐いた。

試合は少しずつ膠着していった。○○高校が中盤で先に一点を取る。相手も終盤でランナーを出す。

九回表、最後の打者を打ち取った瞬間、画面の中で帽子が宙に浮いた。

「勝った」

「うん」

芦屋は、胸のあたりを軽く押さえた。そこまで緊張してるつもりはなかったのに、終わってみると、どこかがじんわりと疲れてた。

「次もテレビ?」

「どうしよかな」

「次は、球場行ってもよくない?」

「……顔見えへんで」

「そこ?」

「そこ」

第十六章 泣き顔の距離


――二回戦の日も、テレビの前から始まった。

「ほんまに行かへんの?」

友達が聞く。

「うん」

「今日もテレビ?」

「テレビ」

「また顔の話?」

「また顔の話」

「変わらんな」

友達は苦笑いした。

「球場やったらさ、負けたとき、たぶん顔見えへんねん」

「でも、テレビやったら?」

「負けたときもアップで写るかもしれん」

「それ、逆にしんどない?」

「しんどいと思う」

「じゃあなんでテレビなん」

芦屋は、一度だけ言葉を飲み込んだ。

七月の終わりの、明石球場。整列のあと、遠くの白い制服を見つけた彼。その視線の先で、自分が泣いてたこと。

「球場で泣いたらさ、ばれるやん」

「何が?」

「泣き虫なの」

「ばれてるやろ、もう」

「明石のは、見られたとは思ってへん」

「視線合ってたって言うてなかった?」

「それと、涙がちゃんと見えてたかどうかは別やろ」

「細か」

「大事なんよ、そこ。テレビからなら泣いても向こうに届かへんし」

「めんどくさいなあ」

「自分でも思う」

二回戦の相手は、一回戦よりも名前の知られた強豪校やった。

試合は、最初からピンチの連続やった。相手の打線は簡単には手を出さへん。ファウルで粘り、甘い球を狙ってくる。

二回に一点、四回にもう一点。○○高校も反撃はする。でも、あと一本が出えへんかった。

九回裏、最後の打球が内野の正面に飛んだ。送球、一塁アウト。

ゲームセット。

画面が、整列する選手たちを映す。○○高校の列の中に、藤原の姿がある。

カメラが寄る。

目元が少し赤い。唇もきゅっと結ばれてる。涙がこぼれてはいなかった。けど、こぼれる手前のところにいるのが分かった。

芦屋は、喉のあたりに少し熱いものがこみ上げてくるのを、奥で押さえ込んだ。

テレビは、負けたチームの選手たちがベンチに戻っていく姿を映す。藤原は、帽子のつばに手をかけたまま、一度だけ空を見上げた。

その横顔を見てるうちに、芦屋の頬を、一筋だけ何かが落ちた。

「泣いてるやん」

友達が小さく言う。

「テレビの前なら、ええねん。ここからやったら、ばれへんから」

「本人には、な」

「本人にばれへんかったら、それでええ」

ティッシュを一枚取りながら、芦屋は画面の中の選手たちが甲子園の土をすくっている姿を見てた。

そこには、春の終わりと、まだ終わってない夏への入口が、同時に混ざっているように見えた。

第十七章 三年の春、まだ言わない

四月になって、三年生になった。

朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車が、宝塚南口駅のホームへ滑り込んでくる。

芦屋は、いつもの場所に立っていた。白線から少しだけ離れた位置。ドアの前ではなく、そのひとつ横。一年の春から、二年の冬まで、ずっと同じ場所で電車を待ってきた。

藤原恒一は、いつものように人の波の最後の方で乗ってきた。野球部の坊主は、高一の春からずっと変わらない。ただ、その下に積もっているものだけが違う。

明石球場の夏。春の甲子園。テレビで何度も映された背番号と、マウンドでの横顔と、二回戦の最後にこぼれそうでこぼれなかった表情。全部、同じ坊主頭の下にある。

「おはようございます」

「おはよう」

その一言だけで、三年の春の朝が始まる。

本当は、他にも言いたいことがある。

春の甲子園のこと。最初の試合でのストレートのこと。二回戦の、あの最後の打席のこと。

テレビの前で口の中だけで何度も反芻した言葉たちが、喉の手前で小さく立ち止まる。

――すごかった。――かっこよかった。――怖かった。――悔しかった。

全部、飲み込んだ。

飲み込んだものは、夏まで預けておくと決めてた。

高三の夏は、一回しかない。その一回に、自分の「好き」や「泣き虫」を混ぜてしまったら、彼の中の夏の形が、少し変わってしまう気がした。それが嫌やった。

電車は、毎日の場所。泣く場所にしてまうと、日常がぐらぐらになる。

だから、言わない。夏が終わるまでは。

藤原も、同じように何かを飲み込んでいた。

三年になって最初に電車に乗った朝、彼はいつもより少しだけ早く駅に着いた。ホームで電車を待つあいだ、視線を落としてスポーツバッグの紐をいじる。

甲子園から戻ってきたあと、ふつうの朝に電車に乗るのが、少しだけ不思議だった。テレビの中の、自分とは別の誰かのように見えていた姿が、今日からまた「朝七時の坊主」に戻る。

お嬢さん学校の白い制服と、公立の坊主。

一年の春からずっと、自分たちの組み合わせはどこかアンバランスだと感じている。そのアンバランスさを、甲子園という場所が、いったん別の意味に置き換えてくれた。

「電車で一緒になる子」ではなく、「画面の向こうから応援してくれている人」。

それをそのまま「好きだ」に変えてしまうと、野球の全部が、恋愛の文脈に書き換えられてしまう気がした。マウンドの上で投げている自分と、誰かのことを好きな自分が同じ人間であることを、彼はまだうまく処理できないでいた。

高三の夏が終わるまでは、野球は野球のままで置いておきたい。だから、電車の中の関係も、電車の中のままで置いておく。

――終わるまで、待ってくれるか。

心の中でそうつぶやいて、彼は一歩だけ電車の中へ踏み込む。白い制服が、いつもの位置に立っている。

それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。

口に出すのは、結局いつも同じ一言だ。

「おはよう」

それだけ言えば、とりあえず今日も一日は始まる。

本当は、「春、全部見てくれてありがとう」と言いたい。「二回戦、負けてごめん」と言いたい。

けれど、夏が終わるまでは、そういう言葉も全部、喉の奥にしまっておく。

高三の春は、そういう「まだ言わない」でできている。

吊り革一本ぶんの距離。一駅ぶんの時間。

そのあいだに、本当は何度でも言えるはずの一言を、二人とも何度も飲み込む。

まだ言わない春は、じれったさごと、その約束を育てる季節だった。

第十八章 夏が始まる電車

――改札抜けた瞬間、むわっとした熱気が顔にまとわりついた。朝やのに、もう空気が白く揺れてる。

門戸厄神の駅前には、見慣れた制服の群れがあった。

芦屋が改札入る前に立ち止まると、駅ナカの売店の上に出てる温度計が目に入る。三十度に届きそうな数字。まだ朝の八時前やのに。

(もう、夏や)

ホームに降りると、線路の上から熱がのぼってくる。

「おはよ」

横から声がした。振り向かんでも、誰か分かる。

「……おはよう」

藤原やった。短く刈られた頭に日差しそのまま受けてる。首筋に浮いた汗が、少しだけ光って見えた。

「今日からやな」

ホームに貼られたポスターを顎でしゃくる。「全国高校野球兵庫大会」。

「うん」

分かってた言葉を改めて口にされると、胸の奥がきゅっとする。

後ろの方から男子の笑い声が聞こえた。

「おーい藤原、今日いけるか? 初戦、楽勝やろ!」

同じ学校の野球部の子たち。バットケース抱えて、わざとらしく肩ぶつけ合いながら歩いてくる。

「知らん。やってみな分からん」

藤原はいつもの調子で返す。でもその指先だけは、スポーツバッグの持ち手をきゅっと握りしめてた。

電車が入ってくる。ドアが目の前で止まった。

「行こか」

藤原が少しだけ顎を上げた。二人はいつもの吊り革の前まで進む。

「緊張してる?」

少ししてから、藤原が聞いた。窓の外を見たままの声。

「……してるのは、そっちやろ」

芦屋は、わざとそっけなく返す。本当は、自分のほうがずっと落ち着いてないくせに。

「まあ、ちょっとはな。でも、楽しみもある」

「楽しみ?」

「うん。春からずっと、この夏のこと考えて練習してきたから。やっと、やってええ」

「……変なの」

「芦屋」

「ん?」

「今日、もし勝ったらさ」

藤原が、言いかけて口をつぐんだ。その一瞬だけ、視線がこちらに向く。

「……なんでもない」

「なによ、それ」

「勝ってから言う」

そう言って、彼はまた窓の外を見た。その横顔は、いつもより少しだけ大人びて見えた。

芦屋は、自分の中でそっと決めた。

(この夏のこと、ちゃんと全部見届けよう)

勝っても、負けても。テレビ越しでも、球場でも。目をそらさずに最後まで見ていよう。

第十九章 テレビの前の夏

――試合の日の昼は、家の空気まで少し落ち着かんかった。

芦屋がソファの端に座ると、すぐ横に友達が二人、勝手知ったるふうで腰を下ろした。テーブルの上には開けかけのポテトチップスと、ぬるくなった麦茶。テレビは最初から野球中継に合わせてある。

「おまえ、今日ほんまに真面目に見るやつやん」

「別に」

「別にって顔じゃないけど」

そう言いながら、友達は袋からポテチを一枚つまんだ。芦屋は返事のかわりに、テレビの音量を少しだけ上げる。

「で、」

別の友達が、芦屋のほうを見ずに言った。

「あれ、ほんまに彼氏なん?」

「違う」

芦屋は即答した。

「彼氏じゃないよ」

「えー、でも毎朝会ってるんやろ?」

「会ってるけど、彼氏じゃない」

「会ってるのに?」

「会ってるだけ」

「それを世間では何て言うんやろなあ」

「野球を見るのにそんな話いらん」

台所のほうから、お母さんの声が飛んでくる。

「なに、彼氏?」

「ちがう! お母さん、野球の話!」

「なんや、野球の話かいな」

お母さんは笑いながら、氷の入ったコップを三つまとめて持ってくる。

「でも、よく見る人やねえ」

「だから違うって」

「はいはい」

まったく信じてへん顔で、お母さんはリビングの隅に戻っていく。

「完全に彼氏やと思われてるやん」

「ほんまやめて」

画面の中で、整列が始まった。

一球目のサイン。ピッチャーがセットに入る。部屋の空気が少しだけ固くなる。

打球が上がる。一拍遅れて、部屋の全員が声を上げた。

「うわっ」

「行った! 行ったやろ、あれ!」

「ホームランちゃうかこれ!」

「入った!」

リビングも一緒に弾けた。

「やば、強い!」

「これは勝つやつやろ!」

友達が騒ぐ中で、芦屋だけは少し遅れて笑った。嬉しいのか、ほっとしたのか、自分でもよく分からへん。

「なあ、ほんまに彼氏ちゃうの?」

またその話。

「ちゃう」

「じゃあ、なんなん」

「野球部の人」

「雑すぎるやろ」

「雑でええねん」

お母さんが台所からまた顔出した。

「その人、よう打つの?」

「……打つ」

「ほな、ええ人やね」

「そういうことでもない」

「そういうことやろ」

お母さんは笑って引っ込んだ。友達がそれ聞いて腹抱える。

「お母さんのほうが一番雑やん」

試合はそのまま、簡単には終わらんかった。点を取って、取られて、また静かになる。

そのたびに芦屋は、いちいち反応してしまう。

「今のアウト、取れるって」「いや、無理やろ」 「どっちやねん」 「知らん! でも見てて腹立つやん」

そんなやり取りしながら、リビングの時間はゆっくり進んでいく。外では蝉が鳴いてる。冷房の風がカーテンを少しだけ揺らす。

試合の終盤。画面の中で、彼がまたバットを握る。

「……打って」

誰にも聞こえへんくらいの声で、芦屋はつぶやいた。

「今なんて言った?」

「なんでもない」

「今の、完全に恋する声やったけど」

「違う」

「もうその否定、信用ないって」

試合が終わるころには、ポテチの袋は空になってた。お母さんが空のグラス下げながら言う。

「で、結局、彼氏じゃないんやね?」

「だから違う!」

芦屋は即答して、友達たちと一緒に笑った。笑いながら、画面の中の選手たちが整列して礼をするのを見送る。

その横顔のどこかに、自分でも気づかんくらい、少しだけ誇らしさが混じってた。

第二十章 明石球場の夏

――決勝まで勝ち進むあいだ、テレビの前はすっかり夏の指定席になってた。

ポテチの味が変わり、ジュースが麦茶になり、友達の顔ぶれだけが同じ。

「今日勝ったら、決勝やで」

「うん」

勝った。また勝った。気づけば、本当に決勝まで来てた。

決勝だけは、明石球場。

「なあ、明石行こや」

友達がすぐにスマホ取り出した。

「え?」

「決勝やで? 行かん意味ある?」

「いや、でも——」

「出た。芦屋の"でも"。彼氏じゃない言い訳と同じやつ」

「だから彼氏じゃないってば」

そこへお母さんが、グラスをテーブルに置いた。

「行ったらええやん」

「お母さん」

「ここまで来たんやから。テレビで見るのと、球場で見るのは全然違うで」

友達が、にやにやしながら芦屋の肩つついた。

「公認やって」

「公認ちゃう」

「じゃあ内定?」

「内定でもない」

口ではそう言いながら、芦屋はスマホ取り出してた。明石球場への行き方。最寄り駅。試合開始の時間。

決勝の日、芦屋は一人で電車に乗った。

友達はみんな、部活や家の用事で行けへんくなった。ドタキャンの連絡見たとき、一瞬だけ肩の力抜けた。それでも、行かないという選択肢は、なぜか浮かばへんかった。

(ここまで来たんやもん)

窓の外を流れていく景色は、いつもの通学とあんまり変わらへん。でも今日は制服やなくて、涼しいブラウスとスカート。手には小さなリュックと、お母さんが持たせた凍らせたペットボトル。

明石の駅に着く。ホームに降りた瞬間、熱気が一段階上がった。

球場のゲートが見えてくる。コンクリートの壁の向こうから、アナウンスと歓声が漏れ聞こえる。

階段を登りきったところで、視界がぱっと開けた。

白いグラウンド。緑の外野。その真ん中に、白いユニフォームの列。

芦屋は空いてる席を探して、内野席の少し高いところに腰を下ろした。

藤原は、すぐには見つからへんかった。でも、ベンチ前でキャッチボールしてる中に、見慣れた肩のラインがあった。

(あ)

あの背番号。何度テレビの画面で追ったか分からへん。

試合は、最初から簡単やなかった。

相手も強い。序盤から簡単には点が入らへん。一つのエラー、一つの甘い球が、そのまま失点につながる。

スタンドの声はずっと大きい。応援の太鼓が、胸の奥まで響いてくる。

芦屋は、声を出さへんかった。ただ、指先に力込めて、膝の上の手を握りしめる。

藤原は守備につき、打席にも立った。ヒットもあったし、凡退もあった。ただ、バットを構えるたび、「打って」という言葉が喉の奥まで上がってきて、そのたびに飲み込んだことだけは覚えてる。

試合は、じわじわと相手に傾いていく。一点。また一点。

九回。最後の回。

最後の打者が打ち上げたフライが、高く、高く、空に上がる。外野の選手が、落下点に入る。グラブが、しっかりとボールを飲み込む。

試合は、終わった。

負けたのだと理解するのに、数秒かかった。

グラウンドに立つ選手たちが、ゆっくりと整列する。帽子を取る。スタンドに向かって、一礼する。

芦屋は、ずっとこらえてた。

(泣かない)

そう決めてた。自分が泣いても、何も変わらへん。ここまで頑張ってきたのは、あのグラウンドの中にいる人たちで、スタンドで見てただけの自分が泣くのは、どこか違う気がしてた。

——そのときまでは。

選手たちが、ひとり、またひとりと、ベンチの前にしゃがみ込む。

その中で、藤原はしばらく立ったままやった。帽子を目深にかぶって、顔が見えへん。肩のあたりだけが、かすかに上下してる。それでも、最後まで崩れへんかった。

(強いな)

悔しいのはきっと自分なんかよりずっと、ずっと大きいのに。

選手たちがスタンドに向かって最後の挨拶を終えて、ベンチへ戻っていく。

そのとき、藤原がふと顔を上げた。遠くて、表情までは見えへん。それでも、グラウンドの真ん中で、彼がほんの一瞬、上の方のスタンドを見たような気がした。

その瞬間、芦屋の視界が、ふっとにじんだ。

(あ)

ぽとり、と。膝の上に、透明なものが落ちる。

手の甲で拭ったところで、もう一つ、また一つと、涙は勝手にあふれてきた。

声は出さへん。出したら、全部崩れてしまいそうやったから。

(泣かないって決めてたのに)

自分に腹が立つ。でも、止まらへん。

テレビの前で、電車の中で、ずっと少し離れたところから見てきた夏が、ここで大きな音を立てて終わった。その終わりを、目の前で見せつけられて、泣くなというほうが無理やった。

ふと気づくと、隣の席のおじさんが、何も言わんと、ポケットからハンカチを差し出してた。

「……すみません」

そのときやった。

グラウンドの隅で、藤原が顔を両手で覆った。

ようやく、泣いた。

帽子のつばがゆっくりと上を向き、そのまま、その場にしゃがみ込む。肩が大きく上下する。さっきまで必死にこらえてたものが、全部ほどけてしまったみたいに。

芦屋の中で、何かの堰が完全に切れた。

もう涙を拭うことすらできへんかった。ただ、グラウンドの真ん中で泣いてる彼を、スタンドの上から見てることしかできへんかった。

ひとりは、グラウンドで。ひとりは、スタンドで。

それだけが、この日のいちばん正しい終わり方やった。

第二十一章 門戸厄神の朝

二学期の始業式の朝。

朝七時ちょうどに、阪急今津線の電車は、いつもの音を立てて走っている。

藤原恒一は、この電車に乗るために、今日は三十分早く家を出た。

理由はひとつだ。言わなければならないことがある。

夏が終わった。三年間続けてきた野球が終わった。マウンドの上で投げていた自分は、もういない。引退した。

引退というのは、不思議なものだった。昨日まで毎日のように握っていたボールが、今日からは握らなくていい。そのことの自由さと、その自由の中にある空白を、彼はまだうまく処理できないでいた。

ただ、ひとつだけはっきりしていることがあった。

野球が終わったのだから、もう言い訳はできない。

電車の中のことは電車の中のままで、という自分ルールは、野球が続いているあいだだけの時限措置だった。マウンドを降りた以上、そのルールも終わりだ。

彼はホームで電車を待ちながら、何度もシミュレーションをした。

門戸厄神で降りる。彼女が降りるタイミングに合わせて、自分も降りる。ホームで声をかける。そして、言う。

何を言うのかは、決まっていた。決まっていたというより、ずっと前から喉の奥に溜まっていた。

電車が入ってくる。乗り込む。

いつもの車両。いつもの位置。

芦屋が、そこにいた。

髪は夏のあいだより少し伸びている。芦屋は窓の外を見ていた。

「おはよう」

「おはよう」

いつもの挨拶。

藤原は、吊り革を握った。手のひらに汗をかいている。試合前のマウンドよりも、明らかに緊張している。百四十キロのストレートを投げるよりも、これから言おうとしている言葉の方が、はるかに難しかった。

電車は逆瀬川を過ぎ、門戸厄神に向かっている。アナウンスが流れるまで、あと数分。

その数分のあいだに、彼は自分の中にある言葉を何度も並べ替えた。

好きだった。ずっと。高一の春から。

それだけのことを言うのに、なぜこんなに時間がかかったのか。

理由なら、いくらでもある。野球があった。大会があった。自分は公立の坊主で、彼女はお嬢様学校の生徒だった。釣り合わないと思った。電車の中だけの関係を壊したくなかった。

全部、本当だ。全部、本当だけれど、全部、言い訳だ。

アナウンスが流れた。

「まもなく、門戸厄神です」

藤原は、吊り革から手を離した。

「……ここで降りる」

芦屋がすぐに顔を向ける。

「え?」

「ちょっと、話したいことがある」

もう迷っていない顔をしていた。というより、迷っている余裕がなかった。迷っていたら、一生言えない。今日降りなかったら、明日も降りない。明日降りなかったら、来週も降りない。来週降りなかったら——

そういう未来が、はっきりと見えた。だから、今日降りる。

電車が門戸厄神に滑り込む。ドアが開く。

藤原は先にホームへ降りた。芦屋も、そのあとに続く。

朝のホームは、静かだった。通学の生徒たちがそれぞれの学校へ散っていく。その流れの中で、藤原だけが立ち止まった。

「芦屋」

名前を呼んだ。

心臓がうるさい。耳の奥で自分の鼓動が聞こえる。マウンドの上では聞こえたことのない音だった。

ここから先は、もう村上春樹みたいに気取っている場合ではなかった。

彼はこの二年半、電車の中で、言葉を飲み込んで、感情に名前をつけず、何かが動いたとか、何かが変わったとか、そういうぼんやりした言い方で自分をごまかしてきた。

もう、やめだ。

「高一のときから、ずっと好きやった」

出た。

声にした。人生で初めて、この言葉を、この人に向けて、声にした。

語尾が震えた。かっこ悪い。マウンドの上で百四十キロ投げてた男の声とは思えない。

でも、出た。

芦屋はすぐには返せなかった。電車が走り去る音が、背中のほうへ遠ざかっていく。

「……なんで、今まで言ってくれへんかったの」

その声は、怒っているようにも、泣きそうなようにも聞こえた。

「俺、公立で、坊主で。君は女子校のお嬢様やろ。なんか、釣り合わへん気がしてた」

「そんなの、気にしたことないよ」

芦屋は即座に首を振った。

「坊主のあなたが好きやったのに」

そう言ってから、芦屋のほうが先に赤くなった。

「ほんまに?」

「ほんまに。今の髪型も好きやけど、あの坊主姿のあなたが好きやった」

藤原は一瞬、何を返していいか分からなくなった。

「そう……だったんだ」

「そうだったんだ、じゃないよ。二年半ずっと同じ電車乗ってて、明石球場まで見に行って、テレビの前で泣いて、文化祭に招待して、それで気づかへんかったん?」

「……いや、なんとなくは」

「なんとなくって何」

「なんとなくは、そうかもしれへんとは思ってた」

「なんとなく思ってたなら、もっと早く言えたやろ」

「ごめん」

「謝らんでええ。ただ、遅い」

「ほんまにごめん」

「だから謝らんでええって」

芦屋の目が少し赤くなっている。泣きそうなのか、怒っているのか、たぶん両方だ。

藤原は、深呼吸をした。マウンドの上で何度もやってきた、あの深呼吸。ここはマウンドではないけれど、人生で一番大事な一球を投げる前の呼吸だった。

「付き合ってくれる?」

言った。

ストレート。ど真ん中。変化球も何もない。ただまっすぐに。

芦屋は、迷わず頷いた。

「うん」

その一言で、朝の空気が変わった。ホームの白さも、駅のざわめきも、さっきまでと同じなのに、どこかやわらかく見えた。

ちょうどそのとき、次の電車がホームに入ってきた。風が吹いて、藤原の少し伸びた髪が揺れる。

「じゃ、行くわ」

藤原はその電車に乗り込んだ。西宮北口まで行って、そこからいつものように学校へ向かう。告白するために門戸厄神で一度降りただけだった。

扉が閉まる前、藤原が軽く手を上げる。芦屋も、小さく手を振った。

電車が動き出す。

芦屋がホームに立ったまま、電車を見送っていると、少し離れたところから、聞き慣れた声がした。

「見たぞ」

友達が、改札のほうから、にやにやしながら歩いてくる。

「なにを」

「今の」

「……」

「門戸厄神で降りて、何話してたん」

「別に」

「別に、じゃないやろ。顔見たら分かるって。完全に告白やん」

芦屋は少しだけ目をそらした。

「……うん」

友達は一拍置いてから、ぱっと笑った。

「付き合ったん?」

「うん」

「うわ、ほんまやん。朝から青春すぎるって」

「うるさい」

「いやでも、あれは言うわ。門戸厄神で降りて告白して、西北まで乗っていくとか、ちゃんと筋が通ってるのに、めっちゃドラマやん」

芦屋は困ったように笑った。ホームにはまだ九月の朝が残ってる。

夏は終わった。その終わりのあとで、ようやくふたりは同じ気持ちにたどり着いた。

西宮北口に向かう電車の中で、藤原恒一はひとり、吊り革を握っていた。

さっき言ったことが、まだ全身に残っている。心臓はまだ少し速い。右手が微かに震えている。

窓に映る自分の顔は、夏の大会のときよりも、甲子園のマウンドにいたときよりも、赤かった。

でも、言えた。

二年半、喉の奥にしまい込んでいた言葉を、ようやく外に出した。言葉というのは、飲み込んでいるあいだはどんどん重くなるのに、口から出した瞬間に、びっくりするくらい軽くなる。

「好きやった」

たった五文字。百四十キロのストレートよりも速く、芦屋のところに届いた。

彼女は「うん」と言った。その「うん」は、二年半分の言葉を全部受け止めたあとの、一音だった。

電車は西宮北口に向かって走る。いつもの景色が、いつもと同じ速さで流れていく。

何も変わっていないように見えて、全部変わっている。

藤原は、小さく笑った。誰にも見せたことのない笑い方だった。

エピローグ 図書館のあと

図書館の午後は、思ってたより静かやった。ページめくる音と、鉛筆が紙走る音だけが、机の上に細く落ちてる。

芦屋は参考書開いたまま、少しだけ顔を上げた。藤原は隣で、数学の問題を見つめてる。

「これ、合ってる?」

藤原が小さな声で言う。芦屋は問題文をのぞきこんで、鉛筆で途中式をなぞった。

「ここ、違う」

「ほんまや」

「ほんまや、じゃないよ」

「いや、ほんまやったわ」

二人とも声をひそめて笑う。図書館の静けさの中で、その笑い声だけが少しあたたかい。

やがて閉館の時間が近づき、ふたりは教科書を鞄にしまって、静かに外へ出た。

夕方の空は、もう少しだけ秋寄りやった。駅へ向かう道を並んで歩きながら、藤原がぽつりと言う。

「また、来週も来よか」

「うん」

それだけで、次の約束になる。

芦屋の家に着くと、玄関の奥からお母さんの声がした。

「あれ、今日も一緒なん?」

扉が開く。お母さんは二人の顔を見て、すぐに笑った。

「ほんま、よう来たわ」

藤原は靴を揃えながら、かすかに頭を下げる。

「おじゃまします」

「ええよええよ。もう、そんな改まらんでも」

テーブルにはお茶とお菓子が出された。三人で向かい合って座る。最初は勉強の話をしてたのに、お母さんがすぐに別の方向へ話をずらす。

「それにしても、ほんま仲ええねえ」

「……そうですか?」

「お似合いやわ」

芦屋は急にお茶を飲みたくなった。藤原のほう見ると、彼も少し耳を赤くしてる。でも逃げるでもなく、困ったように笑ってた。

「前から思ってたけど、あんたら、並んでるとちょうどええ感じやね」

芦屋は、もう返す言葉が見つからんかった。けれど、嫌じゃなかった。むしろ、ちゃんと見られてるようで、少しだけうれしかった。

お母さんがお菓子の袋開けながら、何気なく言う。

「勉強も、恋も、がんばりや」

「……え」

「え、じゃないわ」

お母さんは笑う。藤原もつられて笑う。芦屋だけが少し赤くなって、でもその赤さを隠そうとはせえへんかった。

窓の外では、夕方の光が少しずつ薄くなっていく。

芦屋はそっと、隣の藤原を見た。彼もこちらを見て、少しだけ笑う。それだけで十分やった。

2年半、朝の電車の中だけで膨らんでた気持ちが、いまはこうして、電車の外の時間に置き場所を見つけてる。

これは車内恋愛やった。2年半、朝の車内で育って、今はもう、その続きを電車の外で生きてる。



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