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ヨブ記文語訳を終えて:OJT「On The(Book Of)Job Training」の振り返り(7千文字)

ヨブ記文語訳を終えて:OJT「On The(Book Of)Job Training」の振り返り

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【注釈】本稿は、筆者個人による調査・読解・考察をもとに構成されたものであり、筆者は本稿で扱う分野における専門家ではありません。内容の作成にあっては、公開されている資料の参照や、近年一般化しているAIを用いた情報収集・整理・ファクトチェックを活用していますが、それらはあくまで理解を助ける補助的な手段であり、記載内容の正確性・完全性・最新性を保証するものではありません。本稿には、事実として確認可能な情報の紹介に加え、比喩的表現、仮説的な推論、個人的な解釈や読み替えが含まれています。これらは特定の立場や結論を断定する意図によるものではなく、読者に思考の材料を提供することを目的としています。最終的な判断や解釈については、必ず一次資料や他の視点も参照したうえで、読者自身で行ってください。

1. はじめに

ヨブ記の文語訳とヘブル語併記の記事を、全21本としてまとめ終えた。

タイトルには、OJTという語を置いた。通常のOJTは、On The Job Training、つまり実地訓練を指す。ここでは、Jobに(Book Of)を補い、On The(Book Of)Job Trainingと読ませる。ヨブ記という書物の上で、読み、訳し、調べ、言葉を整えながら訓練を受ける。そのような意味でのOJTだった。

ヨブ記を読むことは、長い対話の中を歩く作業に近い。正しい人が苦しむ。友人たちが説明する。ヨブは納得しない。神は最後に語る。しかし、その語りは、読者が期待するような簡潔な理由説明とはかなり違う。

今回の記事群では、文語訳、ヘブル語本文、読み、語順に近い補助訳を並べた。ヨブ記を要約として受け取るより、言葉の連なりとして追い直せるようにするためである。

文語訳とヘブル語併記という形式を取ると、読書感想の範囲を越えた作業になる。日本語として読める響きを作りながら、原語の語順や言葉の手触りも横に置く必要がある。意味を整える作業と、違和感を残す作業が、同時に必要になった。

2. ヨブ記の輪郭

ヨブ記は、旧約聖書に収められた書物である。主人公のヨブは、正しく敬虔な人として登場する。

ヨブ記1章1節では、ヨブが「完全かつ正しくして神を畏れ悪に遠ざかる」人として紹介される。ヨブは、神を畏れ、悪から遠ざかる人として物語に現れる。ここがヨブ記の出発点である。

ところが、そのヨブに次々と災いが降りかかる。財産を失い、子どもたちを失い、自身も病に苦しむ。ヨブ記1章21節で、ヨブはこう語る。

「我裸にて母の胎を出たり。また裸にて彼処に帰らん。ヤハウェ与え、ヤハウェ取りたまふなり。ヤハウェの御名は讃ふべきかな。」

さらにヨブ記2章10節では、妻に対してこう答える。

「我ら神より幸いを受くれば、災いをも受けざるを得んや。」

ここまでのヨブは、信仰者の模範のようにも見える。しかしヨブ記は、そこから深く沈んでいく。ヨブ記3章3節で、ヨブは自分の生まれた日について、こう語る。

「我が生れし日、滅び失せよ。男子、胎に宿れりと言いし夜もまた然あれ。」

ここから、ヨブと友人たちの長い対話が始まる。友人たちは、神は正しいのだから、ヨブの苦しみにも理由があるはずだと考える。ヨブは、自分の身に起きたことを納得できず、神に向かって訴える。

ヨブ記19章25節には、有名な言葉が置かれている。

「我知る、我を贖う者は生く。後の日に彼かならず地の上に立たん。」

この箇所は、キリスト教的な読みの中で、贖いの希望と結びつけて読まれてきた。

そしてヨブ記38章に至ると、神が大風の中からヨブに答える。ヨブ記38章4節では、こう問われる。

「我地の基を据えし時、汝何処に在りしや。悟りあらば告げよ。」

ヨブ記の神の応答は、人間が期待する原因説明とは違う。世界の広さ、創造の深さ、人間の理解を超える秩序が、問いの形で示されていく。

今回の連載は、ヨブの言葉、友人たちの言葉、エリフーの言葉、神の言葉を、順に追うための形として作った。

3. 先行記事

ヨブ記そのものについては、すでに別の記事で詳しく扱っている。

まず、「古田割(こだわり)さん、ヨブ記を語る:カイロのカフェにて」では、古田割(こだわり)さんの物語形式を通して、ヨブ記を読み直した。
https://note.com/kuwaikei/n/nef469836e04b

この記事では、ヨブ記を、苦難、普遍的教訓、因果応報の限界、神への畏怖、贖い、象徴体系を含む書として扱った。古田割(こだわり)さんという人物を通すことで、解説の論理だけでなく、語りの中でヨブ記を眺める形にした。

また、「ヨブ記大法廷:深堀って味わい尽くす」では、ヨブ記をひとつの法廷劇として読み、ヨブ、友人たち、エリフー、そして神の言葉を、より立体的に掘り下げた。
https://note.com/kuwaikei/n/na78e11e83a1c

こちらの記事では、ヨブ記の対話構造や、神の応答をどう読むかという点に踏み込んだ。ヨブ記の全体像を論じる記事としては、すでにかなりの範囲を扱っている。

本稿は、それらの先行記事と役割を分ける。因果応報の問題、友人たちの発言、エリフーの位置づけ、神の応答、メシア的な読みなどについては、先行記事に譲る。

ここでは、文語訳とヘブル語併記という形で、ヨブ記全体を通読した作業の振り返りを記す。

4. 文語訳

文語訳には、現代語訳とは異なる読書の速度がある。

現代語訳は、意味をすばやく伝える力がある。文語訳は、読者を少し立ち止まらせる。言葉が硬くなり、響きが遠くなる。その距離によって、ヨブ記の嘆き、抗議、沈黙、神への問い、友人たちの断定、神の言葉が、日常語とは異なる重さを帯びる。

ヨブの言葉には、自分に起きたことを納得できない人間が、それでも神に向かって言葉を投げる激しさがある。悲しみ、怒り、正しさへの執着、神への問いが、ひとつの声の中で絡み合っている。文語の硬さは、その激しさを受け止める器になり得ると思った。

今回の文語訳は、文語の響きを借りながら、ヨブ記の言葉を日本語の中で再構成する試みとして作った。伝統的な聖書翻訳への敬意を保ちながら、各回の記事として読める調子も意識した。

逐語性、読み物としての響き、文の流れ、ヨブ記らしい重さ。その均衡をどう保つかを考えながら整えた。ここには翻訳という作業に加えて、創作的な編集の性格もある。

5. ヘブル語併記

文語訳を日本語として整えるほど、訳文は独自の美しさを持ちはじめる。その一方で、ヨブ記はもともとヘブル語の書物である。そこには、日本語とは別の語順、音、息づかいがある。

ヘブル語本文を横に置くことで、日本語訳が原文そのものではないことが見える。訳文は、原語から離れた自由な創作でもなく、原語を完全に移し替えた写しでもない。原語の存在を意識しながら、日本語として読める形を探る作業である。

カタカナによる読みや、語順に近い補助訳を添えたのも、原語の存在を見える形で残すためである。ヘブル語を専門的に読める人に限らず、ヘブル語を読めない読者でも、そこに別の言葉があることを感じられる形にしたかった。

この併記形式によって、文語訳の美しさに閉じない読みができる。文語訳は日本語として響く。しかしその横に、ヘブル語が残っている。読者は、日本語の中に収まりきらないものがあることを感じる。

ヨブ記には、説明、教訓、善悪の整理だけでは受け止めきれない広がりがある。だからこそ、訳文だけで閉じず、原語の存在を横に置いておきたかった。

なお、実際にヘブル語聖書の読み上げを聞きたい場合は、以下のサイトから確認できる。

Hebrew Bible Audio
https://www.wordproject.org/bibles/he/18/1.htm

文字だけでヘブル語に触れるのと、実際の読み上げを聞くのとでは、受け取る印象がかなり変わる。とくにヨブ記のように詩的な応酬が続く書物では、音としての反復、呼吸、切れ目に触れることにも意味があると思う。

ここで注意しておきたい点がある。本記事では、本来の音と表記を尊重する趣旨で「ヤハウェ」と記載している。一方、上記の読み上げサイトでは、ユダヤ教における「神の名をみだりにとなえてはならない」という戒めを踏まえ、該当箇所は「アドナイ」と発音されている。

したがって、本記事で「ヤハウェ」と記した箇所について、読み上げ音声では必ず「アドナイ」と読まれる。その箇所については、頭の中で読み替えていただきたい。これは誤読ではなく、神の名をめぐるユダヤ教の伝統的な読み方に関わる問題である。

6. AIとの制作

今回の文語訳とヘブル語併記は、AIとの共同作業を含んでいる。

この点は、隠す必要がないと思っている。むしろ、明示したうえで、その限界と効用を見ておくべきだと思う。

AIは、情報収集、語句の整理、文語調の候補作成、対訳形式の整備などにおいて有効だった。特に、長大な本文を一定の形式にそろえる作業では、大きな助けになった。

一方で、AIが出すものをそのまま信じるわけにはいかない。聖書本文、原語、翻訳、神学的解釈が関わる以上、誤りや過剰な整形が混じる可能性は常にある。だから、今回の記事群は、専門的な校訂本文ではなく、筆者個人による創作的読解と編集の成果として位置づける。

AIとの共同制作で面白かったのは、文語訳という形式そのものが、AIの出力をそのまま受け入れにくい形式だったことだ。文語は、少しでも調子が崩れるとすぐに不自然になる。逆に、整いすぎても作り物めいてしまう。

そのため、出力された言葉を見ながら、どこを硬く残すか、どこを読みやすくするか、どこで意味を補うかを何度も調整した。AIは作業を速くしたが、最終的には人間の読みと違和感が必要だった。

この意味でも、今回の作業は、AIを使いながら、ヨブ記の言葉と文語の響きに向き合った記録である。

7. 筆者の現在地

正直にカミングアウトすると、筆者はいまだにヘブル語を理解できていない。

ヘブル語のアルファベットの識別は、少しずつできるようになった。だが、子音に付く記号や母音記号を見て、本文を自力で読み進める段階には達していない。語形変化や構文を追いながら、ヘブル語聖書を原文で読んでいるとは、とても言えない。

だから今回の試みは、筆者にとってヘブル語教材の整備でもあった。

ヘブル語本文、読み、語順に近い補助訳を並べておけば、後から何度でも戻れる。文語訳だけではなく、原語側の情報も一緒に置いておけば、将来の自分が読み直すときに使える。

ただし、教材を整えることと、理解が深まることは同じではない。写経や暗唱のように、本文を身体に入れる作業をしない限り、理解の深度は大きく進まないのではないかとも感じている。

そういう意味では、今回できたのは、到達点というより、教材の整備である。ヨブ記を読むための材料を並べた。ヘブル語に近づくための準備をした。

つまり、本記事を一番活用するのは、読者ではなく筆者かもしれない。

この認識は、今回の記事群の限界を示すと同時に、作った意味も示している。分からないところを残したまま、分かるための形を整えた。そのことが、この連載の性格に近い。

8. 分冊の形

ヨブ記を分けて記事化した理由には、制作上の事情もあった。

各回をおおむね2章ごとに区切ったのは、AIと共同で作業する際の処理量を考えたためである。ヘブル語本文、読み、語順に近い補助訳、文語訳、必要な注記を一度に扱うと、作業量はかなり大きくなる。長く取りすぎると、訳文の調子、語句の対応、表記の統一が崩れやすい。そこで、1回ごとの範囲を絞り、確認と修正をしやすい単位にした。

この分け方は、結果としてnoteへの投稿にも合っていた。

大きな記事を一度に仕上げようとすると、完成までの負担が重くなる。小さく区切ると、読み直し、修正、公開までの流れを作りやすい。毎日、一定の分量を整えて公開する習慣もできた。ヨブ記を読む訓練であると同時に、書き続ける訓練にもなった。

OJT「On The(Book Of)Job Training」という題には、その感覚も含まれている。ヨブ記そのものを読む訓練であり、ヘブル語に少しずつ触れる訓練であり、AIと共同で長い本文を整える訓練であり、noteに継続して記事を上げる訓練でもあった。

分けたことで、ヨブ記の長さをそのまま受け止めやすくなった。長い対話を一気に片づけるのではなく、少しずつ読み、少しずつ整え、少しずつ公開する。その積み重ねが、今回の連載の形を決めていった。

9. 全21本

以下に、全21本を並べておく。

各記事は、文語訳、ヘブル語本文、読み、語順に近い補助訳を併記する形にした。解説を先に読みたい方は、上に挙げた2本から入っていただくのがよいと思う。本文そのものに触れたい方は、以下の記事を順に辿っていただければありがたい。

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 1
https://note.com/kuwaikei/n/nb5e5f675b7a1

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 2
https://note.com/kuwaikei/n/n5e6711cc1102

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 3
https://note.com/kuwaikei/n/nc952c4dd0fb9/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 4
https://note.com/kuwaikei/n/n680b5ad8d624/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 5
https://note.com/kuwaikei/n/na651a0b3384a/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 6
https://note.com/kuwaikei/n/n030e8e5838e1/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 7
https://note.com/kuwaikei/n/n28cf6d386804/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 8
https://note.com/kuwaikei/n/n4341969d7b70

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 9
https://note.com/kuwaikei/n/n0d253ad12a0f/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 10
https://note.com/kuwaikei/n/n2ddbd87dc51c/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 11
https://note.com/kuwaikei/n/ncc320467680c/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 12
https://note.com/kuwaikei/n/nec32b87bd524/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 13
https://note.com/kuwaikei/n/n6b3d834cf911/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 14
https://note.com/kuwaikei/n/nf92a36bc972d/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 15
https://note.com/kuwaikei/n/n9f18da7ece07/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 16
https://note.com/kuwaikei/n/n47affcce2d48/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 17
https://note.com/kuwaikei/n/n7f4167836fbd/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 18
https://note.com/kuwaikei/n/n7917b8faef08/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 19
https://note.com/kuwaikei/n/n85564812809e/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 20
https://note.com/kuwaikei/n/n63e0b3c839bf/

ヨブ記文語訳とヘブル語併記 21
https://note.com/kuwaikei/n/n872bda866f2d/

10. おわりに

連載を作り終えて残ったのは、解釈の結論よりも、言葉そのものの重さだった。

ヨブ記は、分かりやすい慰めへ急がない。苦しみには意味がある、とすぐに言葉を与えることにも慎重である。正しい人は必ず報われる、という単純な保証へも畳み込まない。

整った言葉が、苦しむ人の前でどのように響くのか。神について語る言葉が、本当に人を支えているのか、それとも追い詰めているのか。ヨブ記は、その問いを長い対話の中で読者に渡してくる。

文語にしても、ヘブル語を添えても、ヨブ記は手なずけられない。形式を整えれば整えるほど、その奥にある荒さや深さが見えてくる。

だから、分冊にして、言葉を置いた。文語訳を置き、ヘブル語を置き、読みを置き、補助訳を置いた。すぐに分かるためではなく、もう一度読みはじめるためである。

OJT「On The(Book Of)Job Training」という題には、その感覚を込めた。ヨブ記を読むことは、ヨブ記について知識を得ることだけではなかった。言葉を急がないこと、説明で片づけないこと、分かったつもりにならないこと。その訓練でもあった。

これらの記事が、ヨブ記を読み直すきっかけになればありがたい。

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