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写真は”センス”なのか。

写真は「センス」なのか。


否。


一般的によく言われる「センス」ではないと僕は考えます。

むしろセンス良いよね!とかセンスあるから仕事にできるよね!とか言われると腹が立ちます。

それは「センス=生まれ持った才能」という方程式が前提にあり、”努力もせずに元々できる事”みたいなニュアンスを感じるからだと思います。

僕は、「センス」にも「才能」にも逃げたくない。
そこへ逃げたら、もう成長もなく終わりだから。

では「センス」とは何なのか。

自分なりの意見ですが、少し紐解いてみようと思います。


センスの正体

まずは一般的に言われる「センス」を噛み砕いてみようと思います。

イメージが先行している個人的な意見ですが「先天的に持ち合わせている才能」のようなニュアンスが強いと思います。こういう意味で使っている人多いのでは?

正解までの道のりが、他の人よりも2手・3手早い人
感覚だけで、すごい!と思われるものを作れる人
論理はなく、ひらめきが鋭い人 etc..

服装のセンスが良い。なら、雑誌とか全くみていないのになぜかオシャレな人とか。インテリアのセンスが良い。なら、学校で勉強しているわけじゃないのに、色の組み合わせがうまい人とか。

なんとなく簡単そうに良さげな雰囲気のものを生み出す事が出来る人って、「センス良い」って思われがちです。

でもそれは本当なのでしょうか?


センス=知識×経験


答えを書きましたが、センスにはこの方程式が成り立つと考えています。

「センス=知識×経験」

逆にしてみましょう。

「知識×経験=センス」

知識と経験を掛け合わせて、センス以外の言葉に置き換えてみます。

「知識×経験=自分が持つ”美しい”の基準」

つまり「センス=自分が持つ”美しい”の基準」

だと考えています。

自分が何を美しいと感じるのか。
美しいを”かっこいい”とか”可愛い”に言い換えても大丈夫です。

これは比較対象があるから、美しいと思うわけですね。
長澤まさみと、僕だけの世界があるとしたら、きっと僕は長澤まさみに対して”美しい!”と思う事はないわけです。というか、美しいという概念さえないわけです。

少なからず比較対象がいるわけで、美しいと感じる。

自分が見てきた物事、事象、経験した事、体感した事。
それが積もっていくから、「基準」が生まれます。

知識として、〇〇が美しいと知る。
経験として、〇〇を美しいと感じる。

これの掛け算が最大化した時に「センスが良い!!」となるわけです。

センスが良い人は、一見直接関係のないような事象も知識や経験として自分の中に積み上げている。それをアウトプットする瞬間の思考が幅広いんだと思います。

服のセンスが良い人が、インテリアもオシャレ。はどこか繋がっている気がします。服と部屋、全然違う要素だけど重なる部分もある。全てのものがどこかで繋がっている。意識的にしろ、無意識的にしろ、脳内で繋いでいると思うのです。

それが出来るのは、インプットの蓄積が多いから。


知識×経験の掛け算の答えが多くの人にハマれば「センスが良い人」になるし、ハマる人が少なければ「個性的」とか「独創的」とか「センスがない」とかになるわけです。

センスは決して生まれ持ったものじゃない。
「センスを磨く」という言葉があるように、センスは後天的なもので誰でも育てる事ができるものです。

センスが良い写真は、自分次第で誰にでも撮れるものなのです。


センスを磨くために

センスが後天的なもので、誰でも「センスが良い人」になる事が出来る事がわかりました。

ただセンスが良い人になる為には、”センスを磨く必要がある”事もわかりました。

ではセンスを磨くにはどうしたら良いのか。

センスには第一段階から第三段階があると考えています。
少し話が長くなりそうなので、続きはこちらの記事で・・・。



余談ですが・・・

こちらの本も、とても面白い。「センスの哲学」
「センス=リズム」と定義して話が進んでいきます。

ぶっちゃけ途中で何言ってんだこの著者は!!と???となるところもあるのですが、頑張って読み進めると伏線回収かのように全てが繋がっていく1冊。ぜひ読んでみてください。




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中澤紘大 ||写真家 サポートありがとうございます。今後の写真活動の資金にしていきたいと思っております。写真を通して”幸せを目に見える形に”していきます。

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