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見えにくいと引っ込み思案になる?

「お久しぶりです!」
よくある当たり前の挨拶に、僕は驚くことがある。
そう声をかけてくる相手は、まだその人があどけない頃に僕がメガネを作った子どもだからだ。


メガネ屋で働いていると、時折こういうことがある。
初めてメガネを作ったときはまだ小学生や、中には幼稚園や保育園に通っている年齢。
それが小学校の高学年や中学生になって、僕に対して「お久しぶりです」と丁寧に挨拶してくれる。

その子の成長を見ていくことができるのも、メガネ屋ならではの楽しみかもしれない。
メガネの度数も進んでて、「近視もこんなに大きくなりました」と思うこともあるけれど。


景色がボヤけて見えにくい子どもは引っ込み思案になる。
そういう話を聞いたことがある。

見えにくいと周囲の状況が掴めない。
周りが何をしているのかわからなかったり、急にボールが飛んできたことがあるとそれが不安にも繋がって、余計に一歩下がってしまうことがあるそうだ。

目は受け取る情報の約80%を担っているとも言われるので、それを聞くと見えにくさが引っ込み思案な性格に繋がるのも、あり得る気もする。

けれどこれは科学的には証明されていないらしい。
もともとの性格もあるかもしれないし、確かに証明のしようがないなと思う。


ただ僕はこれについては科学的な証明なんかいらないと思っている。

引っ込み思案な子が成長の過程で明るくなったのだとしたら、
それは何かのきっかけで本人が自分から変わったのかもしれないし、
家族の努力や影響があったのかもしれないし、
友達との関係で何かあったのかもしれない。
もしかしたらメガネがやったことなんて、せいぜいその中の1割くらいなものかもしれない。


冒頭に書いた、僕に「お久しぶりです」と挨拶をしてきてくれた子もそう。
初めて出会ったときは、おとなしいというか、どこかビクビクしているようにも見えた。

それがもともとの性格だったのかもしれないし、やはりそこは景色のボヤけがそうさせていたのかもしれない。
僕が恐かったという可能性も2%くらいはあるかもしれないけれど。でもきっとそれはないと思う自負はある。一応。たぶん。

もしもそれはメガネを含めて色々なことが重なった結果で明るい性格になったのであれば、それもそれで素敵やん?と思うわけだ。


それはそれでいいのだけれど、そんな子どもたちを見るたびに、僕自身も着実に年を重ねているという揺るぎようのない事実がダイレクトに響いて、「大きくなったね〜」という言葉の後ろ側で背中に嫌な汗をかいているのだ。


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コリ|メガネ屋エッセイスト 路上にチップもらう用のシルクハットを置いてパントマイムするの、実はやってみたかったんです

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