メガネをかけた子どもは、かわいそう?
「最近はメガネの子どもが増えてかわいそうよね」
お客さんとの話の中でそんな言葉が出てきた。僕はなにも言えなかった。
時には子どものお客さんにもメガネを販売する僕は、かわいそうな子どもに、かわいそうな物を売っているのだろうか。
確かに最近子どものメガネ率は増えている。
僕が子どもだった頃はクラスでもメガネの人は2〜3人。それが今では教室の半数を占めているのもザラらしい。
文部科学省が出した2025年の調査結果では、裸眼視力1.0未満の子どもの割合は、
幼稚園20.29%
小学校36.07%
中学校59.35%
高校71.51%
となっている。
中学校以上は裸眼視力1.0ある方が少数派となってしまう。
この中にはいわゆる小児弱視という“脳の見る力が未発達”という状態も含まれるため、必ずしも生活習慣に理由があるとも言えない。
近視や乱視が理由だったとしても、遺伝という可能性もある。
原因がどこにあるにせよ、誰もが“なりたくて”裸眼視力1.0以下になったわけじゃない。
僕が初めてメガネをかけたのは中学2年。
その頃はまだ教室のメガネ人口は2人くらいだったか。僕はそれに続く3人目の仲間入りをしたわけだ。
“珍しい”となれば、必然的にイジる対象となる。
それまでのあだ名は消え失せて、「ハカセ」というあだ名が付けられた。
スクエアという長方形のメガネを選んでしまったのもあっただろう。いかにも賢く真面目そうに見えたのだ。
初恋の人にも「ハカセ」と呼ばれるようになったのが嫌で、僕はメガネをかけたくなかった。
黒板の字を目を細めて見て、画数が10を越える文字を見るその一瞬だけメガネをかけ、後は隠すように机にしまった。
しかし車を運転するようになって、僕はメガネをかけざるを得なくなった。見えにくいまま運転することは危険だ。命には代えられない。
コンタクトレンズという選択肢もあったが、目に物を入れるという作業がどうしてもできなかった。
ただ、“見える”ということは何とも心地いい。
今や文字の画数が10を越えたところで僕の敵ではない。
ちょうどその頃からか、メガネがおしゃれアイテムとしても確立し始めた。
「かけるのは仕方ないとして、どんなメガネをかけるか」
そこに楽しさを見出してから、僕のメガネに対する意識が変わった気がする。
「物足りない」
知人の前でメガネを外したときに、そう言われた。
顔のパーツの数はその人と同じはずなのに、僕がメガネを外したらパーツが足らないそうだ。
ただその言葉のおかげで、メガネは僕の顔の一部となった。
やっぱり僕は、かわいそうな子どもに、かわいそうな物を売っているとは思えない。
メガネが必要となったことをきっかけに、メガネという楽しさに出会えた。そう思ってもらいたい。
もちろん、裸眼視力1.0あったとしても、楽しむためだけにメガネをかけたっていい。
「かわいそう」という意識に、僕は立ち向かう。
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路上にチップもらう用のシルクハットを置いてパントマイムするの、実はやってみたかったんです