理想の父親になれていない人へ
僕の父は知ったかぶりな人だった。
「父さんはなんでも知ってるんだ」が口癖の人。
僕は小学6年生の頃には、それが無理してるって内心わかってた。
“父親”というものになると、なんだか途端にしっかりしていないとダメなんじゃないかと思わせられる。
大手教育機関や明治安田生命が行った意識調査によると、『立派な父親でいたい』という意識の人は全体の7割〜8割だそうだ。
しかしその中の6割〜7割の人が、『理想の父親になれていない』と思っているらしい。
あれは僕が小学4年生の頃だったか。いつも夕飯の食卓では家族揃ってテレビを見ながら食べるのが日常だった。
あるとき手話がテーマの番組が放送されていて、僕はなんの気なしに聞いてみたことがある。
「僕たちの苗字って手話だとどうなるん?」
まさかこの質問が家族の食卓を困らせることになるとは。
僕の苗字は「にしこり」という。漢字で書くと「錦織」。
少し珍しいが故に、手話での表し方も難しそうだ。僕は難題を振ってしまったことに少し後悔もしていた。
パチンッ。
僕のそんな後悔をよそに、父が力強く箸を置いた音が部屋に響く。そしておもむろに前方に突き出される右手。
指を2本にして、「に!」
指を4本にして、「し!」
……………しかしここで止まった。
完全なる見切り発車。「に」と「し」だから指2本と4本でいけると思ったのだろう。だがこの後には「こ」と「り」が控えていた。これは数字では表せられない。どうする。
父は指を5本にして、「こ!」と言い放った。
いや無理がある。それは「こ」ではなくて「ご」だ。濁点はどこに行った。
最後の難関「り」がまだ後ろに控えているというのに、そこで完全にフリーズしてしまった。食卓はしんっと静まり返ったままだった。
「わからない」
子どもに対してこれを隠したまま生きていくのは、なかなかにハードルが高い。
世界にはありとあらゆる知が溢れかえっているというのに、「なんでも知っている」は物理的に無理な話だ。
けれど『立派な父親』であり続けたいという健気な願いが、それを認めることを拒否してしまうのだろうか。
本当はわからない手話も、「わからない」とは言えず、ぶっつけ本番で挑むしかないのだろうか。
僕は「まめきちまめこ」さんのブログを頻繁に見ている。
この方の日記には、たまに「お父」が登場する。
まめきちまめこさんのブログに登場する「お父」は、『立派』というよりは『ネタになる』という印象が強い。
しかし実際に娘2人にツッコまれながらも堂々と生きている様子に、「父親ってこのくらいでいいんだ」と思わせてくれる。
『理想の父親」のモデルって、もっとカッコよかった。けれど案外そこに行き着くのは難しい。
我が子に会うとツッコまれるけれど、それでもたまに顔を見せに帰ってきてくれる。
そのくらいの立ち位置でいる方が、気楽に、そして新しい『理想の父親』の形なのかもしれない。
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路上にチップもらう用のシルクハットを置いてパントマイムするの、実はやってみたかったんです