将来の夢は、職業じゃない
なぜ将来の夢を職業で答えるのだろう。
小学校の卒業文集に将来の夢を書けと言われて、僕は「タクシーの運転手になりたいです」と書いた。でも本当はタクシーの運転手は目指してなかった。
職業で書けと言われて無理やり書いただけだった。
「将来の夢を書きなさい」
担任のN先生からそう言われて、全員がさっそく作文を書き始める。
僕は困った。将来のなりたい職業なんて、その時はなかった。
どうするか困っていると、同じように書くことがなくてエンピツが止まっていたK君と目があった。
そこでK君と話して、お互いにお互いの職業を決めることにした。僕たちは卒業文集を利用して完全に遊び始めた。
こうなったらもう楽しんだ者勝ち。いかに理由作りに困らせるかというゲーム。
僕はイタズラ心で、K君の職業を『コンビニ店長』にしてやった。
K君からの仕返しで決まったのが、『タクシーの運転手』だった。してやられた。
そのおかげで僕たちはお互いに無理矢理な理由作りに苦戦した。ただ、ライティング能力を磨くきっかけにはなったかもしれない。
思えば、なぜ「将来の夢」を「職業」で言う必要があるのだろう。
「将来の夢は?」と聞かれて、「世界一周」と答えたら、「そうじゃなくて職業で答えて」なんて言われる。
それは必ずしも何かの職業に就くことが前提かのような、どこか自由が限られていないだろうか。
「株で大儲けして一生遊んで暮らしたい」なんて言うと、「真面目に考えろ」とも言われる。
職業を選ぶ以外は不真面目らしい。今になると株はけっこう真面目な話のような気もするけれど。
僕は職業というのはあくまで手段だと思っている。
生活していくための手段という意味もあるが、それだけではない。自分のありたい姿になるための手段だ。
「お花屋さんになりたい」
と言った人の夢は、エプロンを付けてたくさんの花に囲まれている、その姿にある。
「学校の先生になりたい」
と言った人の夢は、生徒に慕われて勉強を教えている、その姿にある。
そんな人にとって、「お花屋さん」と「学校の先生」は、その姿になるための手段だ。
自分のありたい姿が職業には存在しないことだってある。
「毎日魚釣りをしたい」という人にとって、職業は魚釣りの時間が作れたらなんだっていい。
それを夢として語ったっていいじゃないか。
職業縛りで夢を語るのなんて、全ての人には当てはまらない。
『コンビニ店長』になりたい理由を「お客さんを笑顔にしたいから」と書いたK君は、その後に料理人になった。
「お客さんを笑顔にしたい」ということが、K君の夢の本当の姿だったのかもしれない。そしてそれを叶えたのだろう。
夢を職業でしか語らないから、それになれなかったときに“夢に敗れた人”になってしまう。
でも僕たちはそんなに負けた人生は歩んでない。
「自分のありたい姿」
それがあなたの夢なのだ。しかもいつでも追い続けてる。
いいなと思ったら応援しよう!
路上にチップもらう用のシルクハットを置いてパントマイムするの、実はやってみたかったんです