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自分業の種が見つからないとき、足元の地味な仕事を見る

「自分業の種を探す」という言葉を見たとき、最初に思ったのは、何か新しいものを身につけないといけないのか、ということでした。

資格を取るのか。
副業になるスキルを探すのか。
人に売れるような商材を考えるのか。

そう考え始めたところで、手が止まりました。

自分には、分かりやすく名前を付けられる武器がない気がしたからです。エンジニアとして何か尖った技術を語れるわけでもない。すぐ商品になるような得意分野があるとも言い切れない。

自分業と言われると、どうしても外に探しに行く話に聞こえる。まだ持っていない何かを取りに行くものに見えてしまう。

でも、そこから考えが進まなくなりました。

種を「探しに行くもの」だと思っていた

自分業の種を探すなら、まずは得意なことを棚卸しするのだろうと思っていました。

ただ、その「得意なこと」が厄介です。

趣味と言えるほど極めたものがあるわけではない。資格を前面に出して何かを教えられるほどでもない。仕事でやっていることも、派手な成果物として見せやすいものではありません。

日々やっているのは、運用ドキュメントを整えること。
引き継ぎ資料を作ること。
手順書を読み直して、初めて読む人が止まりそうな箇所を直すこと。

書いてみると、かなり地味です。

たとえば手順書のレビューで、「ここで読み手が一回止まるな」と感じることがあります。作業する本人は分かっている。でも、初めて読む人には、どの画面を見ているのか、何を確認したら次に進んでいいのかが少し曖昧になっている。

その曖昧さを見つける。
順番を入れ替える。
判断条件を一文足す。
表現を少し削る。

やっていることは小さい。でも、現場ではそこが抜けると、読む人の手が止まります。

種は、毎日の文書づくりの中にあった

以前、手順書の修正検証を進めていたとき、内容としては大きく間違っていないのに、検証の流れとしては使いにくい資料がありました。

手順は並んでいる。
確認項目もある。
でも、実際に読むと「この確認は、どの状態になったらOKなのか」がすぐ分からない。

作業そのものより、読み手の頭の中で迷子になる場所が問題でした。

そこを直すときに考えていたのは、技術的にすごいことではありません。

この順番で読むと、相手は何を想像するか。
この言葉で、同じ画面を見られるか。
ここに前提を書かないと、次の作業が急に飛んで見えないか。

そんなことばかりでした。

レビューでも同じです。誤字を直すだけなら早い。でも、実際には「この一文だと、読む人は別の意味に取るかもしれない」と考えている時間のほうが長い。

ずっと、特別な仕事だとは思っていませんでした。 
むしろ、地味で、表に出にくくて、成果として説明しにくい仕事だと思っていました。

成果として説明しにくい仕事は、たいてい自分でも価値を見落とします。

でも振り返ると、自分はかなり長い間、「どう書けば伝わるか」を考え続けてきました。引き継ぎ資料でも、手順書でも、レビューコメントでも。

年単位で何度も同じことをしてきたはずです。
それなのに、自分では「ただ仕事で必要だからやっているだけ」と見ていました。灯台下暗しに近い。

それは、ただ文章を整える作業ではなかったのかもしれません。

相手が迷う場所を先に見つけること。
曖昧な前提を言葉にすること。
作業する人の頭の中に、順番どおり道を作ること。

そう考えると、自分業の種は外に探しに行くものではなかった。

すでに毎日の仕事の中で、何度も触っていたものだった。

もちろん、これがすぐ何かの商品になるとは思っていません。そこまで急ぐと、また手が止まります。

今はまだ、名前を付け直している途中です。

次に引き継ぎ資料を作るときは、ただの資料作成で終わらせず、自分の中の種を育てる作業として動こう。

種は、探しに行く前に、もう手のなかにあったものでした。


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