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そうだ、コロッケ食べよう! #ショートショート

小さい子供の「コロッケ食べたい!」という声が聞こえた。

「ねえ、コロッケ食べたーい」
声はスーパーのずっと奥にある、惣菜コーナーから聞こえてくる。出張で来てからよく行く地方ローカルのスーパー。少し早く退社できたので、スーツ姿のままふらっと寄ったら、いきなり聞こえたのがこの声だ。

黒い買い物カゴを取りながら、つい声の主を探してしまう。目を細めると、ショッピングカートに乗った幼児とその母親らしき若い女性が見えた。

母親は、身をかがめて惣菜コーナーに並んだパックを物色している。その横でカートに乗った子供が、「コロッケ食べたーい」と叫んでいる。あの子は本当にコロッケが食べたくて叫んでいるのか、それとも買い物に夢中な母にかまってほしくてあんな大声を出しているのか。いずれにしろ、子供の声に惑わされず、真剣に選んでいる母親がどこか微笑ましい。どことなく中学生の娘に似ている。

店内には、私の好きな女性アイドルグループの曲が流れている。けれど、誰も子供の声を気にしていない。ただ「コロッケ食べたーい」という声を妙に意識してしまった私だけが、黒いカゴをもったまま野菜コーナーの前にいる。まるで子供の声に洗脳されたかのように、脳内に揚げたてのコロッケが浮かんでくる。妻が作ってくれたコロッケだ。なんだか私もコロッケが食べたくなってきた。

「なに見てんのさ?」
後ろから声が聞こえて我に返って振り向く。目線の下にカートを押した白髪のおばあちゃんがいた。私のことを鬱陶しそうに睨んでいる。私が親子のほうばかり見ているから不審人物と思ったのか、それとも山と積まれたキャベツの前で立っているものだから邪魔だったのか。「……すいません」と言いながら慌ててどくと、おばあちゃんはブツブツ言いながらキャベツを比べ始めた。

地元の常連客から見れば、スーツ姿の会社帰りの中年男性ほど場違いな客はいないのだろう。出張期間ももう終わりだ。明日には帰る。よそ者は目立たないほうがいい。他の客の邪魔にならないよう、野菜の山から少し離れてジャガイモや玉ねぎを見定める。

この一週間はずっと外食のラーメンかチャーハンだったので、最後くらい、しっかり栄養を摂るべきというのはわかっている。でも、やっぱり面倒だ。惣菜とビールだけでチャチャっと済ませるか。とすると……やっぱりコロッケだ。さっき脳内再生したコロッケのイメージのせいで、もう頭の中がコロッケいっぱいになってしまった。口の中にほくほくしたじゃがいものジューシー感と衣のサクサク感がよみがえって思わずつばを飲み込む。

そうだ、今夜はコロッケにしよう。

そう思って惣菜コーナーに目をやると、あの親子はまだそこにいた。カートの座席から突き出した短い足をブラブラさせながら、あいかわらず「コロッケ食べたーい」と歌うように繰り返す子供。私もコロッケを手に入れなくては。急いで惣菜コーナーに足を向けた。

棚には、サラダ、焼き鳥、唐揚げなどが所狭しと並んでいた。もちろんコロッケもあった。『本日17時揚げたて』のシールも貼ってある。サクサク感がにじみ出ていて美味しそうだ。ただ……三個入った透明のパックと、小ぶりのコロッケが五個入ったパックの二個、それぞれ一つずつしかない――

カートに乗った子供が「コロッケ食べたーい」と言いながらこちらを見上げた。不覚にも目が合ってしまう。

「……コロッケ……」さっきまで威勢よく叫んでいたその子の声が萎んでいく。急に現れた不愛想な大人の男に身構えたのか。すると、その異変を察した母親が、すぐに子供と私を交互に見た。
「あ、すいません……」
たぶん、棚の前でずっと陣取っているのがまずいと勘違いしたのだろう。母親はカートに何も入れずに慌てて惣菜コーナーを離れた。そのとたん、「コロッケ食べたーい!」という子供の声が復活する。しかし、その抗議の声を無視して、カートはあっという間に反対側の肉・魚コーナーへと行ってしまった。

あれだけ迷って思案していたのに、私のせいで立ち退かせてしまった。悪いことしたなあと申し訳なく思いつつ、自分の分のコロッケは確保できそうだと安心して棚に目を向けたとき、ふいに後ろから手が伸びてきて、コロッケのパックが見えなくなった。

びっくりして振り返ると、さっきキャベツ売り場で私をどかせたおばあちゃんだ。キャベツおばあちゃんは、私の顔をちらっと見ると、何食わぬ顔で五個入りと三個入り、二つのパックをカートのカゴに入れた。やられた!と思ったときは、もう彼女は悠々とカートを押して行くところだった――

結局、私の収穫物は焼き鳥パックだけ。ゆっくり店内を回ってレジに向かった。今夜はこれで晩酌しよう。頭の中はまだコロッケでいっぱいで今でも食べたいが、ないものは仕方ない。

そう思ったとき、前をサーっと横切るカートと女性の姿があった。さっきの親子だ。つい立ち止まって目で追うと、さっきより品物が増えたカートを押しながら、また惣菜コーナーに素早く突進していく。なんでそんなに急ぐのかと見ると、スーパーの店員が立っているのが見えた。手には……そういうことか! 「コロッケ食べたーい」の声がまた聞こえる。

しかし……そこにはもうコロッケはない。あのキャベツおばあちゃんが最後の二つをかっさらってしまったのだから。ああ、こんなことなら、先に持っていかれる前に、せめて一個でも私が手に入れておけばよかった。そうすればあの親子に譲ってあげられたかもしれないのに……

そう思ったとき。

惣菜コーナーに戻った母親が、「これは?」という顔で店員に何か見せた。店員が無表情に母親の手にあるそれに赤いシールを貼る。その瞬間、「食べれるの?」と嬉しそうな子供の声が聞こえた。

なんとそれは、五個入りと三個入りの二つのコロッケのパックだった。いったいどうして……

茫然としている私の前を、カートを押した白髪の女性が悠然と通り過ぎた。さっきの……キャベツおばあちゃんだ。しかし、彼女が押すカートのカゴには、コロッケのパックが見えない。

そこへ親子のカートが近づき、母親がおばあちゃんに頭を下げた。
「フミさん。ありがとう。助かりました」そう言いながら、赤い割引シールを貼られた三個入りのパックをおばあちゃんに渡す。
「間に合って良かったわ」
フミと呼ばれたキャベツおばあちゃんが安心したように微笑むと、母親もニコリとした。子供が、シールを貼られた五個入りのパックを大事そうに小さな胸に抱えている。そういうことか……

そのまま親子とおばあちゃんのカートは、私の前を通り過ぎてレジに向かう。ホッとした表情の母親の姿が娘に重なって見えて、自然に口元が緩んだ。

ふとポケットのスマホが震えた。メッセージは妻のタエ子からだ。
「明日帰るでしょ。お土産忘れないで」
「了解」
「うちは今夜、コロッケよ!」

なんで私がコロッケ食べたいってわかったんだ?

「コロッケ食べれるー!」
ほぼ同時に、レジのほうから元気のいい歓喜の声が店内に響いた。


え? ってことは、結局、コロッケを食べられないのは、私だけ――?



<了>

(作者より)
魔女のタエ子さんシリーズのスピンオフでした。他の作品も併せてお読みいただますと幸いです。