読めるはずのない本 #ショートショート
「これ、日本語で書いてないよ」
娘からその書籍を受け取ると、やけに重い。それに古そうだ。そもそも、こんな書籍を自分は買った記憶がない。表紙にはタイトルも書いてない。なんだこれは……
◇
急に引っ越しをすることになり、家の荷物を減らさなければならなくなった。やり玉にあがったのが自分の本だ。本、まあ、格好よくいえば自分の蔵書だが、それらの一部を、いや大部分を処分しないといけない。
引っ越しで家の床面積が増えるのはいい。広くなるのはいいことだ。でも2LDKのままだ。中学生の娘はやっと自分の部屋が広くなると喜んでいる。けれど、これまで自分が「書斎(仮)」として使っていたトランクルームはなくなる。
「どういうことか、わかっているわよね」
妻の命令は絶対だ。そんなこと言われなくたってわかっている。結局、それまで自由を謳歌していた自分の荷物を極力減らすしかないのだ。
本は自分の宝物だ。ずっとそう思ってきた。小説の単行本、文庫本、アニメ雑誌、サブカル系の資料本……一つひとつ見ていたらきりがないが、(自分だけは)歴史的価値があると信じている古いアニメ雑誌は捨てられないし、推しアイドルグループの絶版写真集もダメだ。妻に内緒の推し活だし……
そんなこんなで、なかなかはかどらない書籍の仕分けをしていると、「これって何の本?」と娘が一冊の本を取り上げた。黒い装丁の分厚い書籍だった。
何も書いていない左開きの表紙を開くと、わけのわからない言葉が横書きで書いてある。英語じゃない。アラビア文字とも違う。全く読めない。五線のない楽譜のようにも見えるけれど、ページをめくっていくと途中で挿絵らしきものもある。その絵も、幾何学模様のようで意味不明だ。出版社はどこだと、巻末の奥付を探してみる。どこにも書いてない。
「これ、何の本かな……」
「覚えてないの?」
娘はあきれて自分を見ている。
「……こんな読めない文字の本、買うわけないだろ」
「誰かにもらったんじゃない?」
「まったく記憶にないな」
「まだ片づけすんでないの?」
そこへ洗濯物をまとめていた妻が通りがかった。
「……なんか見たことのない本が混じってたんだって……」
娘が自分からその本をとりあげて妻に見せた。
「なにこれ……」
妻は洗濯カゴを床に置いて、その本をパラパラとめくってみる。黒い丸眼鏡のフレームをくいっと中指で押した。
「全然、読めないんだけど」
「だから、なんでこんな本がここにあるのかなって話してたんだ」
妻は感心なさそうに「ふーん」というと、本を娘に渡した。
「たぶん、これ、あなたのじゃない? ほら、魔法少女のおもちゃの……」
魔法少女という単語を聞いたとたん、娘の顔がぱっと明るくなった。
「あ! あのときの?」
「そう。あなた小さかったら覚えてないかもしれないけど、ペンダントと一緒にこんな本がセットになってた気がする」
「そっか!」
いつのまにか、妻と娘で盛り上がっている。なんだ、おもちゃの付録か。それがどういうわけか紛れ込んでいただけのことか。まったく人騒がせな。
「……だったら、ちゃんと持っとけよ。お前のなんだから」
「は~い」
娘は懐かしそうに本を抱えると、さっさとリビングに行ってしまった。
「はやく片付けてよ。プラモデルの箱とかもあるでしょ!」
すぐに妻の態度が無慈悲な魔女のように変わった。残念ながら、うちでは彼女に逆らえるものは誰もいない。
あれ?
あれ、そういえば、いままで娘と何の話をしていたんだっけ。
ま、いいか。さっさとプラモデルを片づけないとまた怒られる――
◇◇
リビングのソファで寝っ転がって、黒い本をパラパラと見ていた。
全然読めないけど、なんか懐かしい気がする。そういえば、小さい頃はアニメの魔法少女に夢中だった。あんなふうに魔法が使えたらいいのに、じゃなくて、使えるはずだって思ってたっけ。そうだ。それでこの本を読もうとしてたんだ。
すると、ママが洗濯カゴを抱えてきた。
なんでママは黒っぽい服ばっかり着ているんだろう。黒い丸眼鏡も地味だし。それに、ぽっちゃりした体形。あたしもママみたいに背が低いし、いずれああなっちゃうのかなあ。それは嫌だな。もっとダイエットしなくちゃ。
「あなた、その本のこと覚えてなかったの?」
「うん、忘れてた」
ママはちょっと首を傾げた。そして「まだなのかな」とつぶやくと、あたしからその本を取り上げた。
「小さいときにはすごく熱心に読んでたのよ」
「なにいってんの。そんなの読めないよ」
「たしかにそうね」
ママはそう言って一人でハハと笑うと、その本をカゴの中に無造作に放り込んだ。
「え?……なんで」
「準備ができたら教えてあげる」
「……」
何言ってるの? ただのおもちゃの付録でしょ。しかも、あたしの本なのに勝手に持って行かないでよ。
そう文句を言おうと思ったら、ママはあたしにウインクして、そのままカゴをぶら下げて洗濯機のほうに行ってしまった。
あれ?
あれ、そういえばあたし、いま何してたんだっけ。
あ、それよりダイエットだ。ママみたいにならないように、トマトジュース飲まなくちゃ――
◇◇◇
――洗濯物を洗濯機に入れてため息をついた。
手元のカゴの中には、黒い本がある。
さっきは危なかった。
なんでこの本が夫の荷物にあったのか。たぶん自分のミスだ。私としたことがうっかりしていた。なんとか魔法で二人をごまかしたけど、引っ越し先でもちゃんと隠しておかないとダメね。
「乱暴に扱わないでよ」
突然、少年のような声が聞こえた。カゴの中から黒い本を取り出す。
「いま起きたの?」
「あの娘が僕を見つけたときに目が覚めた」
黒い本が少し震えた。
「二人の会話を聞いたけどさ。僕が突然話したら気絶しちゃうだろうから黙ってた」
本には口とかスピーカーとか音の発生器官はないが、声となって聞こえる。昔からそれが不思議だったけれど、そういうものらしい。
「まだ、あの娘に言ってないの?」
「……タイミングが難しいのよ」
「魔女も大変だねえ……」
ページをめくって「引っ越したら、あの娘に本当のことを打ち明けたいんだけど」と話すと、本は「そろそろかもね。じゃ、そのときまた起こして。おやすみ」と言ったきり黙り込んだ。なんとまあ。眠るのが好きなこと。まあ、昔からそうだけど……
たしかに、本が話し始めたら普通はびっくりするだろう。でも私は小さい頃からそれが普通だった。
そもそも、この本は読めるはずがないのだ。読むのではなく、声を聞くものだから。もちろん、夫も娘もそんなことは知らない。私が魔女の家系だってことも。夫なんか、私が魔法を使えるなんて知ったら、怠けるに決まっている。
でも、娘は違う。そろそろ時期が近付いている。
魔法は万能じゃない。できることと、できないことがある。魔法のことも、この世界のこともちゃんと教えないといけない。でもまあ、うちの娘は小さいときにこの本の声を聞くことができたんだから、素質はあるはず。今はダイエットのことで頭がいっぱいだけど、すぐに身につくだろう。
トランクルームのほうから、夫の声がした。
「タエ子~ この掃除道具、君のじゃないか? なんでわら帚があるんだよ」
私はパチンと指を鳴らして、洗濯カゴに入った『魔女の教本』を誰にも見つからないように消し去った――
<了>
(作者より)
魔女のタエ子さんの別のお話です。併せてお読みいただけますと幸いです。緩やかにつながっていますが、単独でお読みいただけます。
