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「やる気が出ない」のは性格じゃない。アドラー13年実践の作業療法士が、目的論で読み解く"動けない自分"の正体

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プロローグ——「どうせ断られる」と、私は提案を飲み込んだ

先日、職場のミーティングでのことだ。
私は機能訓練指導員として、利用者さんの歩行状態をずっと見ている。ある方について、私はこう思っていた。「この方、歩行器を使えば、おおむね安全に歩ける。もう少し自分で歩く機会を増やしてもいいんじゃないか」と。

提案しようと思った。口を開きかけた。

でも、その瞬間、頭の中でこんな声がした。

「どうせ、なんだかんだ理由をつけて断られる」「人手が足りない、見守りが付けられない、転倒したら責任が——そう言われて終わるに決まっている」

そう思った瞬間、私は提案を飲み込んだ。「まあ、今日はやめておこう」と。

——これを読んでいるあなたにも、心当たりがあるんじゃないだろうか。

やった方がいいのはわかっている。やろうと思えばできる。なのに、なぜか動けない。動かない。

私は作業療法士16年目、特養勤務のHSP・ISFJだ。アドラー心理学を13年実践してきて、100人近くの方の最期に立ち会ってきた。

このアドラーシリーズでは、これまで「課題の分離」や「怒りの目的」について書いてきた。今日はその流れを受けて、目的論の第2弾——「やる気が出ない」「動けない」という、誰もが抱えるあの感覚を、目的論で解剖していきたい。

先に結論を書く。

やる気が出ないのは、あなたの性格でも、意志の弱さでもない。「動かないこと」で、あなたが何かを守っているからだ。

第1章——目的論は「原因」ではなく「目的」を見る

まず、目的論をおさらいしておきたい。

アドラー心理学の出発点は「目的論」だ。フロイトが「人は過去の原因に動かされている」と考えたのに対し、アドラーは真っ向から反対した。

人は過去の原因で動いているのではない。今、自分が達成したい目的のために、その行動を「選んでいる」のだ、と。

「やる気が出ない」という状態を、原因論で見ると、こうなる。

「疲れているから、動けない」「忙しいから、できない」「才能がないから、やらない」

全部、過去や状況のせいだ。

でも目的論で見ると、景色が一変する。

「動かないでいたい、という目的があるから、疲れを言い訳にしている」「やらないでいたい、という目的があるから、忙しさを盾にしている」

——これは、きつい。読んでいて反発したくなるかもしれない。13年前、私も初めてこの考え方に触れたとき、「いやいや、本当に忙しいんだよ」と本を閉じたくなった。

でも、ここで大事なのは、目的論は「あなたを責めるための道具ではない」ということだ。

「動かない目的」が見えると、人は初めて、その目的と向き合える。向き合えれば、選び直せる。

目的論は、自分の人生に主導権を取り戻すための道具だ。「過去のせい」「状況のせい」にしている限り、人はずっと、自分の人生のハンドルを誰かに預けたままになる。

冒頭の私の話に戻ろう。

「どうせ断られるから、提案しない」——これを目的論で読み解くと、こうなる。

私は「断られたくなかった」のだ。正確に言えば、「提案して、否定されて、傷つきたくなかった」。だから「どうせ断られる」という予言を立てて、提案そのものをしないことを選んだ。

提案しなければ、断られることもない。傷つくこともない。

「動かないこと」で、私は自分のプライドを守っていた。

これに気づいたとき、私は逃げ場を失った。「忙しいから」「どうせ無駄だから」という言い訳が、全部ただの煙幕だったと、認めるしかなくなった。

第2章——「変わらないこと」には、必ずメリットがある

ここで、目的論の核心を書く。

人が動かないとき、そこには必ず「変わらないことのメリット」がある。

これは、私がダイエットで106kgだった頃の話とも地続きだ。あの頃の私は「忙しいから運動できない」「太っているから恋愛できない」と言い続けていた。でも本当は——本気で痩せて、それでも恋愛がうまくいかなかったら、自分という人間そのものが否定される。その恐怖から逃げるために、「太ったままの自分」という安全な隠れ場所にとどまっていた。

太っているうちは、「もし痩せたら、自分もモテるかもしれない」という可能性を、永遠に持ち続けられる。挑戦しなければ、失敗もしない。

これが「変わらないことのメリット」だ。

動かないでいる限り、私たちは「やればできるかもしれない自分」を温存できる。本気を出して、それでもダメだったときの絶望を、味わわずに済む。

やる気が出ないとき、自分にこう問いかけてみてほしい。

「動かないでいることで、私は何を守っているんだろう?」

答えは、たいてい3つのどれかだ。傷つくのを避けている。失敗を認めたくない。今の心地よさを手放したくない。

そのどれもが、悪いことではない。人間として、ごく自然な防衛反応だ。

ただ、その目的に「気づいているか、気づいていないか」で、人生はまるで変わる。気づかないままだと、人はずっと「自分は意志が弱いダメな人間だ」と自分を責め続ける。でも「ああ、私は今、傷つくのを避けているんだな」と気づけたら、責める必要がなくなる。そして初めて、「じゃあ、それでも動くか、動かないか」を、自分で選べる。

第3章——現在進行形の告白。私が今、動けていないこと

ここで、目的論の出番だ。

「時間がない」は、本当に原因だろうか。それとも、目的を隠すための言い訳だろうか。

正直に、自分の内側を覗き込んでみる。

YouTubeの新しい試み。これは、ここ2週間ほどで「やってみたいな」と思い始めたことだ。まだ手をつけていない。新しいからこそ、うまくいくかわからない。今やっているnoteやYouTubeは、毎日続けてきて、自分なりのやり方が固まってきた。慣れた場所だ。そこから一歩出て、新しいことに手を出して、もし反応が薄かったら——「あ、自分にはこれは向いていなかったんだ」と、また一つ、可能性の扉が静かに閉じる。

それが、こわい。

Kindleの第2弾もそうだ。第1弾は、まだ2冊しか売れていない。数字だけ見れば、誰かに胸を張れるような結果ではない。それでも私は「次も書きたい」と思っている。でも、ふと弱気になる。「2冊しか売れなかったのに、第2弾を出して意味があるのか」「また売れなかったら、今度こそ自分の文章に価値がないと、はっきりしてしまうんじゃないか」と。

つまり私は、「時間がない」を盾にして、新しい挑戦で——もっと言えば、結果を突きつけられて傷つくことから、自分を守っている。

これが、目的論で自分を解剖した結果だ。

きついけれど、書いていて、少しだけ楽になる感覚もある。「時間がない自分」を責めるより、「ああ、自分は結果が出ないのがこわいんだな」と認める方が、ずっと前に進める気がするからだ。

そして気づく。「時間がない」のは事実でもある。でも、本当に時間がないなら、優先順位をつけて削ればいい。それをしないのは、心のどこかで「動かないでいたい」という目的があるからだ。

事実と、目的。この二つを切り分けることが、目的論を正しく使うコツだ。

第4章——ポケモンGOが、私を動かした

逆の話もしたい。「ずっと動けなかったのに、あるきっかけで急に動き出せた」話だ。

これは、昨日投稿した記事にも書いたのだが、私はポケモンGOをやり込んでいた。

レベル80。カンスト、つまり最高レベルだ。必要な経験値は約2億。再開してから約1年半、ひたすら経験値を稼ぎ続け、noteを始める少し前に、ついに到達した。

実は、私が副業を始めたのは、このレベル80到達がきっかけだった。

私は、一つのことが終わらないと、次に進めない性格だ。ポケモンGOがレベル80になり、「やっと区切りがついた」と感じた瞬間、ようやく「副業をやろう」と動き出せた。

——ここに、私の「動けなさ」の正体が、もう一つ隠れている。

それまでの私は、「ポケモンGOがまだ途中だから」を、副業をしない言い訳にしていたんじゃないか。

もちろん、本当に区切りをつけたかった気持ちもある。でも目的論で見れば、「終わっていないことがあるから、新しいことを始められない」という構造そのものが、新しい挑戦を先延ばしにするための、都合のいい仕組みだった可能性がある。

人は、動き出さない理由を、本当に上手に作る。「これが終わったら」「あれが片付いたら」「時間ができたら」。その「いつか」は、たいてい永遠に来ない。

でも、私の場合は、ポケモンGOの区切りが、本当に引き金になった。

ここで大事なのは、引き金は何でもいい、ということだ。締め切りでも、誰かの一言でも、環境の変化でも、自分なりの「区切り」でもいい。

動き出せない人に必要なのは、根性ではない。「動かない目的」を手放すための、小さなきっかけだ。

そのきっかけを、自分で意図的に作れるようになると、人はかなり自由になる。

第5章——娘の「ラーメン」と「何もいらない」

少し、家庭の話を挟みたい。

今日は私の休みだった。娘は12時から合気道の習い事がある。朝から娘は、私の洗車を手伝い、庭の草抜きをし、自分の上靴を洗っていた。よく働いた。お腹も空いているはずだ。

11時20分、習い事の前に急いで買い物に行った。私と妻は、惣菜パンをささっと買うつもりだった。

娘に「何が食べたい?」と聞くと、こう返ってきた。

「ラーメン」

——困った。帰ってから作る時間はない。でも、家にインスタントラーメンがあることは、娘も私も知っている。娘は、それを見越して言っている。それもわかった。

「作ってる時間、厳しいよ?」と声をかけると、娘はこう言った。

「じゃあ、いらない。何もいらない」

ここで、目的論だ。

娘は、本当にラーメンが食べたいだけなのか? お腹が空いているはずなのに「何もいらない」と言う。この矛盾の裏には、別の目的がある。

たぶん、娘は——朝からたくさん手伝った自分を、見てほしかった。「頑張ったね」と認めて、特別扱いしてほしかった。「ラーメン」は、その気持ちを確かめるための、小さなリクエストだったんだと思う。

時間ギリギリだったし、正直ラーメンはあまり与えたくなかった。でも私は「無理」「できない」とは言わなかった。それを言えば、娘の「見てほしい」という本当の気持ちまで、突き放すことになる気がしたからだ。

結局、なんとか作ってあげた。娘は満足そうだった。

人の「やりたい」「やりたくない」の裏には、いつも本当の目的が隠れている。それは、大人も子どもも同じだ。

そして、その本当の目的に気づいてあげられるかどうかで、関わり方はまるで変わる。これは、次の章の利用者さんの話に、まっすぐつながっていく。

第6章——「私、できないの」と言う、本当は歩ける人

特養に、こんな利用者さんがいる。

その方は、歩行器を使えば、自力で歩ける。腰椎の圧迫骨折をしたことはあるが、すでにコルセットも外していて、医学的な制限はない。

なのに、いつもこう言う。

「私、できないのよ。手伝って」

起き上がるときも「私、できんのよ。起こして」と、必ず職員に頼る。車椅子に座っているときも、職員が通りかかると「はぁー、はよ連れて帰ってよ」とため息をつく。

でも面白いことに、それ以外の時間は、他の利用者さんと普通におしゃべりをして、よく笑っている。

原因論で見れば、「骨折したから」「年だから」「不安だから」できない、となる。

でも目的論で見ると、「できない」と言うことで、この方は何を達成しようとしているのか? と考える。

深く推察すると、4つの目的が見えてくる。

ひとつめは、つながりを得るためだ。特養では、職員は常に忙しい。一人で問題なく動ける人は、どうしても「手のかからない人」として、声をかけられる回数が減る。この方は無意識に学習しているのかもしれない。「自分で動いてしまうと、誰も来てくれない。でも『できない』と言えば、職員さんがそばに来て、身体に触れ、言葉をかけてくれる」と。「手伝って」は、「私を見てほしい」という、つながりを求める声だ。

ふたつめは、特別な存在でいたいためだ。人は誰でも「価値ある存在でありたい」と願う。でも施設生活では、誰かの役に立ったり、能力を認められたりする機会が少ない。正の方法で価値を感じられないとき、人は時に「弱さ」を武器にする。「自分は職員に付きっきりで世話をしてもらう、特別な存在なのだ」と感じることで、自分の価値を確かめている。

みっつめは、絶対の安全を確保するためだ。身体は歩けても、「もし一人で歩いて転んだら」という恐怖がある。「できない」と言って職員をそばに立たせれば、転倒のリスクはゼロになる。挑戦して失敗するくらいなら、最初から「できない自分」でいた方が、安全だ。

よっつめは、期待と責任を避けるためだ。「一人で歩ける」と認定されたら、「ならトイレも一人で」「リハビリをもっと頑張りましょう」と、次々に自立を求められる。それがプレッシャーなら、今の心地よく守られた状態を手放したくないなら、あえて「できない自分」を演じる方が、ずっと楽だ。

——どれも、責められるべきことではない。

ここで、第1章の私の話を思い出してほしい。「どうせ断られるから提案しない」と動けなかった私と、「できないから手伝って」と動かないこの方は、構造がまったく同じだ。

「動かないこと」で、傷つくのを避け、安全を確保し、今の状態を守っている。

私たちは、この方を「依存的だ」と簡単に評価しがちだ。でも、もし私が同じ立場だったら? 私だって、「できない」と言って守りたい何かが、きっとある。

目的論は、相手を裁くための道具ではない。相手の「本当の目的」に気づき、その奥にある「見てほしい」「怖い」「期待されたくない」という声を、受け止めるための道具だ。

だから私は、この方が「できない」と言ったとき、頭ごなしに「できますよ、やってみましょう」とは言わない。まずは、その奥の声を聴く。つながりを求めているなら、できるときに、ちゃんとそばにいて話を聴く。そうやって「見てもらえている」という安心が満たされたとき、人は少しずつ、「ちょっと自分でやってみようかな」と動き出すことがある。

第7章——「動かない目的」と、どう付き合うか

ここまで、自分の先延ばし、現在進行形の動けなさ、ポケモンGOの区切り、娘のラーメン、利用者さんの依存——全部を「目的論」という一本の糸で見てきた。

最後に、では実際どうすればいいのか、を書きたい。

まず、自分を責めるのをやめる。

「やる気が出ない自分」「動けない自分」を、意志が弱いと責めても、何も変わらない。むしろ、責めることで「自分はダメだ」という無力感が強まり、ますます動けなくなる。これは脳の仕組みの話でもある。

次に、「動かないことで、何を守っているか」を、一度だけ言葉にする。

傷つくのを避けているのか。失敗を認めたくないのか。今の心地よさを手放したくないのか。名前をつけるだけでいい。名前がつくと、それは「正体不明の重さ」から、「向き合える対象」に変わる。

そして、その目的を「責めずに、認める」。

「ああ、自分は傷つきたくないんだな。当然だよな」と。怖がっている自分を、まず労ってあげる。これは、怒りの下の一次感情を見つける作業と、まったく同じだ。

その上で、小さな「区切り」や「きっかけ」を、自分で作る。

私にとってはポケモンGOのレベル80だった。あなたにとっては、何でもいい。「今月末まで」でも、「この本を読み終えたら」でも、「誰かに宣言する」でもいい。動かない目的を手放すための、小さな足場を作る。

最後に、ひとつだけ。

「動かない」という選択も、ちゃんとアリだということ。

すべてを「動け、動け」と急かすのは、それはそれで暴力的だ。目的論は「だから今すぐ動け」という鞭ではない。「動かないことには目的がある。それを知った上で、動くか動かないかを、自分で選んでいい」という、自由のための道具だ。

私は今、YouTubeの新しい試みも、Kindleの第2弾も、まだ動けていない。それを「怖いから」だと認めた。認めた上で、たぶん、もう少ししたら動き出す。私は一つの区切りがつくと動ける人間だと、もう知っているから。

あなたが今、動けていないことは、何だろうか。

それを「やらない」のは、本当に時間や才能のせいだろうか。それとも、動かないことで、何かを守っているからだろうか。

責めなくていい。ただ、一度だけ、自分にこう問いかけてみてほしい。

「私は今、動かないことで、何を守っているんだろう?」

その問いに答えられたとき、あなたはもう、自分の人生のハンドルを、自分の手に取り戻し始めている。

明日も私は特養に立つ。「できないのよ、手伝って」という声の奥にある本当の気持ちを聴きながら、誰かの隣に座る。そして家に帰って、いつか——たぶん近いうちに——怖いと認めたあの挑戦に、手をつける。

その日が来たら、またここに書こうと思う。


プロフィール

作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|中学からテニス継続|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。


📌 ハッシュタグ

#アドラー心理学 #目的論 #やる気が出ない #作業療法士 #HSP #課題の分離 #生き方 #エッセイ


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