「疲れているから怒る」は嘘だった。アドラー13年実践の作業療法士が伝える、怒りの"目的"という残酷な真実
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プロローグ——先週、私は本気でムッとした
先週、職場で本気でムッとした瞬間があった。
ある利用者様の話だ。少し前まで、その方とは将棋を指して笑い合える関係だった。歩行器を使ってだけど、自分の足で歩けていた。ところが心療内科のDr.の往診で抗精神病薬が増量されてから、その方は急速に変わってしまった。話せなくなった。歩けなくなった。将棋ももうできない。
それだけで十分つらかった。ただ、Dr.の処方判断は私の課題ではない。私にできることは、その方の今の状態に対して、できる限りのケアをしていくこと。そこは課題の分離で切り分けていた。
そんなときだ。ある職員がぽろっと言った。
「これを機に脳が1回リセットされたらいいのに」
その瞬間、私の中で「これは違うな」と感じた。
でも、声を荒げなかった。怒鳴らなかった。ただ静かにこう返した。
「それは絶対に思ってても、口にしてはいけないよ」
それだけだ。
——なぜ私は、怒らなかったのか。
13年前、私はもう少し違う反応をしていたかもしれない。子どもの頃の私なら、たぶんその場で声を荒げていた。
私を変えたのは、アドラー心理学だった。
私は作業療法士16年目、特養勤務のHSP・ISFJだ。アドラーと出会って13年。その中で繰り返し腹落ちしてきた一つの真実がある。
怒りは「湧いてくるもの」ではない。「選んで使う道具」だ。
今日はその話をしようと思う。「目的論」というアドラー心理学の中核概念を、現場のリアルな場面とセットで書いていきたい。
このアドラーシリーズも、第1弾「課題の分離」、第2弾「アンガーマネジメントの本質」、第3弾「5本柱」、第4弾「誤解されすぎている5つの真実」と書いてきて、今日が第5弾になる。今回からいよいよ「目的論編」に本格的に入っていく。
1.「疲れているから怒った」は、本当か
子どもを叱った後、こう言い訳したことはないだろうか。
「今日は疲れていたから、つい怒鳴ってしまった」 「仕事でストレスが溜まっていたから、感情的になってしまった」 「あの人があんな態度を取ったから、ムカついた」
世の中の怒りの説明の99%は、この「原因論」で語られる。疲れが原因。ストレスが原因。相手の態度が原因。
——でも、本当にそうだろうか。
冷静に考えてほしい。同じ日に同じくらい疲れていても、上司の前では怒鳴らない。同じくらいストレスがあっても、お客さんの前ではニコニコしている。同じように相手が無礼でも、自分より強い相手には怒らない。
つまり、私たちは「怒鳴っていい相手」と「怒鳴ってはいけない相手」を、無意識にちゃんと選んでいる。
疲れていても、ストレスがあっても、相手を選んで怒っている。これは何を意味しているか。
怒りは「湧いてくる」のではなく、「選んで出している」ということだ。
13年前、アドラー心理学の本でこの一節を読んだとき、私は反発した。「いや、自分は本当に湧いてきていたんだ」と。でも自分の人生を振り返ると、認めざるを得なかった。子どもの頃、私はよくキレる子だった。兄と殴り合いの喧嘩をして、ガラス障子に手首を刺して8針縫った日もある。
でもあの怒りも、振り返れば「選んでいた」のだ。次の章でその話をする。
2.アドラーの目的論——怒りは目的のために選ばれる
アドラー心理学の出発点は「目的論」だ。
フロイトは「原因論」を唱えた。今のあなたの問題は、過去のトラウマや経験が原因だ、という考え方。アドラーはこれを真っ向から否定した。人は過去の原因で動いているのではない。今、自分が達成したい目的のために、その行動を「選んでいる」のだ。
怒りも例外ではない。
アドラーはこう言う。「人は、相手を屈服させるために怒りを"捏造"する」と。
捏造、という言葉が強烈だ。でも実際に自分の怒りを振り返ると、これがしっくりくる。
私たちは怒るとき、何かを達成しようとしている。相手を黙らせたい。自分の正当性を認めさせたい。場の主導権を取りたい。相手をコントロールしたい。距離を取りたい。あるいは、誰かに自分の苦しさをわかってほしい。
その「達成したい目的」のために、私たちは怒りという道具を取り出す。
冷たく聞こえるかもしれない。でもこの視点に立つと、自分の怒りの構造がはっきり見えてくる。そして、見えるようになると、選択肢が増える。「この目的のために、本当に怒りを使う必要があるか?」と、立ち止まれるようになる。
3.小さい頃の私の怒りも、目的のための道具だった
正直に告白する。
子どもの頃の私の怒りも、全部「道具」だった。
兄と喧嘩して、たいてい負けるのは弟の私だった。負けて、泣いた。あの涙は、純粋な悲しみだけじゃなかった。「親に心配されたい」「自分の側に立ってほしい」という目的のために、私は涙を使っていた。
これは今になってわかる。当時は無自覚だった。でも振り返れば、私は怒りと涙を組み合わせて、家族の中で「弱い立場の自分を守ってもらう」という目的を達成しようとしていた。
中学の頃、若白髪を茶化されて柔道部の同級生に殴りかかった事件もそうだ。あれは怒りに見えて、本当は「これ以上バカにされたくない」「自分の弱さを覆い隠したい」という目的のために、怒りという道具を使った行動だった。
社会人1年目、毎晩23時まで罵倒され続けた女性上司も、たぶん同じだ。あの上司は本当に怒っていたんじゃない。「私の言うことを聞かせたい」「下の立場の人間を支配することで自分の不安を打ち消したい」という目的のために、怒りを使い続けていた。
目的論で振り返ると、怒りの正体は「コントロールの道具」だったのだ。
——では、なぜ私は今、怒らなくなったのか。
それは「怒りという道具を使わなくても、自分の目的を達成できる」ことを13年かけて学んだからだ。冒頭の職員への対応がそうだ。怒鳴らなくても、「それは口にしてはいけない」と冷静に伝えるだけで、私の目的(その発言を撤回させる・場の倫理観を守る)は十分達成できた。
道具は、より効率の良いものを選べばいい。怒りは、コストの高すぎる道具だ。
4.他人の怒りに「目的」が透けて見えるとき
目的論を腹に落とすと、他人の怒りも見え方が変わる。
職場にいる、ある看護職員のことだ。その人は怒ることで相手を屈服させ、自分の機嫌を取る節がある。だからこそ、自分がミスを指摘されたときには平気で知らんぷりをする。悪びれもない。
この人の怒りの目的は、おそらく「自分のミスを認めるのが怖い」だ。自分の不完全さを認めることが脅威だから、相手を怒りで圧倒して、その脅威から逃れている。怒っているように見えて、本当は怯えている。
別の同僚もいる。会議で自分の思うようにならないと、瞬間湯沸かし器のように怒り出す人だ。この人もまた、自分のミスを指摘されると逆ギレする。
二人に共通しているのは、自分のミスに対しては寛容になれないが、他人のミスは執拗に指摘するということだ。
目的論で読み解くと、こうなる。この二人の怒りの目的は「自分の弱さを認めないため」だ。自分が傷つかないために、先制攻撃として怒りを使う。受容する器が小さいのではなく、器を持たないことを「目的」として選んでいる。だから怒りという道具がいつも手元にある。
冷たい分析に聞こえるかもしれない。でも、この視点を持っていると、相手の怒りに飲まれずに済む。
「ああ、この人は今、自分のミスを認めたくないという目的のために怒っているんだな」とわかれば、こちらは冷静でいられる。相手の感情に巻き込まれずに、必要な対応だけができる。
これがHSPにとっての、目的論の最大のギフトだ。他人の怒りを「現象」として見られるようになる。
5.消極的な怒り——黙る、ため息、不機嫌
ここまでは「怒鳴る怒り」の話だった。でも怒りには、もっと厄介な形がある。
「黙る」「ため息をつく」「不機嫌な態度を見せる」「会話を打ち切る」——これらの消極的な怒りだ。
私の父が、まさにこのタイプだった。
子どもの頃、父は家の中で気分を害すると、すごく怒る人だった。0か100しかない人。外食に行こうとして店がなかなか決まらないと、「もういかん」と激怒して、その日は何も食べないという日もあった。
でも父の怒りは、怒鳴ることばかりじゃなかった。むしろ多かったのは「不機嫌な顔をする」「黙り込む」「ため息をつく」というタイプだった。今でいう「フキハラ(不機嫌ハラスメント)」だ。
家の空気が、父1人の機嫌で決まる。母は近所にお弁当を買いに行ってくれて、私と母で食べた。父は買ってきてもらっても食べなかった。
繊細だった私は、その空気を全部受け取ってしまっていた。だから父のことが大嫌いだった。
——目的論で振り返ると、父の不機嫌の目的が見えてくる。
父は言葉で説明する代わりに、不機嫌という道具を使っていた。言葉で「俺はこうしてほしい」と伝えるには、相手と対等な立場に降りる必要がある。お願いし、交渉し、ときに反論されるリスクを引き受けなければならない。
でも「不機嫌になる」だけなら、説明の労力を省きながら、相手に「私、何か悪いことしたかな…」「ご機嫌をとらなきゃ」と顔色を窺わせることができる。自分が安全な場所に立ったまま、相手を精神的にコントロールできる。
「言わなくても察するべきだ」「察しないお前が悪い」という被害者かつ裁判官のポジション。これが消極的な怒りの目的だ。
怒鳴る怒りはわかりやすい。周囲から「パワハラだ」「感情的だ」と非難されるリスクもある。でも「ただ黙っているだけ」「ただ機嫌が悪いだけ」なら、「私は何もしていない」と言い逃れができる。
消極的な怒りは、責任を回避しながら相手を攻撃できる、コストパフォーマンスの良い道具なのだ。
そして、周りがオドオドして機嫌をとってしまうと、「この道具は効く」と学習させ、行動を強化してしまう。我が家もそうだった。父の不機嫌は、母と私が機嫌を取ることで強化され続けていた。
——では、消極的な怒りをどうすればいいか。
目的論の視点で言えば、「機嫌を取らない」ことが一番効く。相手の不機嫌は相手の課題だ。こちらが先回りして機嫌を取り続ける限り、その道具は強化される。逆に「あなたが不機嫌なのは、あなたの問題ですよね」というスタンスを淡々と保つだけで、道具の効力は徐々に薄れていく。
これも13年かけて、私が現場と家庭で実感してきたことだ。
6.娘の「わかんない!」に隠れた目的
子どもの怒りは、目的論で見るとさらにわかりやすい。
7歳の娘の話だ。進研ゼミの「考える力」をやっている時、娘は時々こう叫ぶ。
「わかんない!もうやだ!」
問題を解く途中で怒ってしまったり、すぐに諦めようとしたり、逃げようとする場面がある。
原因論で見れば、こうなる。「問題が難しいから、イライラして怒っている」と。
でも目的論で見ると、景色が違う。
娘の怒りは、たぶん本当の怒りじゃない。「親の気を引きたい」「ヒントが欲しい」という目的を達成するために、怒りという道具を使っている。
普通に「教えて」と言っても、私は「もう少し自分で考えてみて」と返す。だから娘は、ヒントを引き出すために「怒る」という道具を持ち出す。怒れば、親は心配して側に来る。何か声をかけてくれる。それで目的は達成される。
もう一つの目的もある。「主導権を握りたい」という権力争いだ。
「やりなさい」と親に言われて始めた勉強の場合、子どもの中に「親に従わされている」という不快感が生まれる。それを覆して「私がこの場の空気を支配する」という目的のために、怒りを使う。
我が家では「やりなさい」を使わないので、純粋な権力争いは少ない。でも「考えるのが面倒くさい」「ヒントが欲しい」という目的のための怒りは、よく見られる。
——目的論を知っていると、対応が変わる。
娘が「わかんない!」と怒っているとき、以前の私なら「じゃあ、ここまでヒントね」と先回りしていた。でも今は、娘の目的を理解した上で対応する。
「うんうん、難しいね。お父さんも一緒に考えていい?」と、まず娘の感情を受け止める。怒りの裏にある「見てほしい」という目的を、別の形で満たしてあげる。そうすると、怒りという道具を使う必要がなくなる。
これは65番(アンガーマネジメント)で書いた「一次感情を見つける」という話とも繋がっている。怒りの下にある本当の感情・本当の目的を見つけてあげれば、怒りそのものは自然と消えていく。
7.HSPと目的論——「神経過敏」と「目的」を切り分ける
ここで一つ、大事な話をしておきたい。
69番で私は「HSPの神経過敏まで目的論で片付けるのは危険だ」と書いた。今もその考えは変わらない。大きな音に驚いて心臓がドキドキするのは、神経の反応だ。これを「ドキドキすることを選んでいる」と言われたら、ただの自己責任論になる。
でも、目的論を完全に否定しているわけではない。むしろHSPこそ、目的論を使いこなす必要がある。
切り分けるべきポイントは、ここだ。
「刺激を感じてしまう」のは神経の反応。 「その後、どう行動するか」は自分が選んでいる目的。
これを切り離せると、HSPは生きやすくなる。
例えば、職場で上司が不機嫌そうにしている。HSPの私は、それを敏感に察知してしまう。心臓がドキッとする。ここまでは神経の反応だ。仕方ない。
でも、そこから「先回りして機嫌を取りに行く」「自分のせいかもしれないと過剰に謝る」「夜まで反芻して落ち込む」という行動は、自分が選んでいる目的だ。
その目的を見てみると——「嫌われたくない」「波風を立てたくない」「関係を壊したくない」「自分を守りたい」。
私自身、怒りを飲み込むとき、複数の目的が混ざっている。でも一番しっくりくるのは、「怒ったところで誰にも得がないから」「関係が壊れるのは一瞬だが、築くのは時間がかかるから」という認識だ。
これは消極的な意味での「諦め」ではなく、積極的な意味での「選択」だ。怒りという道具を使うコストの高さを知っているから、別の道具を選ぶ。
HSPが目的論を腹に落とした瞬間、生き方は大きく変わる。「敏感だから振り回される」のではなく、「敏感さの先で、どう振る舞うかは自分が選べる」と思えるようになる。
これがHSPと目的論の、正しい付き合い方だ。
エピローグ——怒りは消さなくていい
13年間、アドラーの目的論と向き合ってきた。
今、私が辿り着いている結論はこうだ。
怒りは消さなくていい。ただ、「何のために使っているか」を知るだけでいい。
冒頭の職員への対応もそうだった。私は本気でムッとした。その感情は本物だった。でも、「怒鳴る」という道具を使う必要はなかった。「冷静に伝える」という別の道具で、目的は達成できた。
目的論は、自分を責めるための道具ではない。「あなたがその不幸を選んでいる」と糾弾するためのものでもない。
道具だ。自分の感情の正体を見るための、レントゲンのような道具だ。
レントゲンで骨折が見つかったからといって、骨折が悪いわけではない。ただ、見えたから、対処できるようになる。
目的論も同じだ。自分の怒りの目的が見えたとき、初めて選択肢が増える。「この目的のために、本当に怒りという道具を使うべきか?」と立ち止まれる。
明日も特養で、私は誰かの隣に立つ。利用者様の状態は、これからも変わっていくかもしれない。職員の中には、また心無い言葉を言う人もいるだろう。
そのたびに、私は怒るかもしれない。怒らないかもしれない。
ただ一つ確かなのは、その瞬間、私は「目的」を見るということだ。
「今、自分は何のために怒ろうとしているのか」 「怒ること以外で、その目的を達成する道具はないか」
その3秒の問いかけが、13年間、私を支え続けてきた。
怒りは、湧いてくるものじゃない。 選んで使う道具だ。
そして、より良い道具は、いつでも自分の中にある。
プロフィール
作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|中学からテニス継続|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。
📌 ハッシュタグ
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