警告_08【シロクマ文芸部】【lpz.89】
花びらを散らすように机の上に並べられた数々の資料を凌太は呆然と眺めていた。『lpz.89』という暗号を残して行方をくらませた希実を追いかけて、大学時代からの友人であるエリカを頼ってベルリンまでやってきたのだった。
暗号解読が行き詰まり、凌太は精神的な疲労を感じていた。ソファに深く沈み込み、希実の安否に思いを巡らせていた。エリカはキッチンでドイツの伝統的なスープを作っていて、その穏やかな音が、張り詰めた室内の空気の中で唯一の慰めだった。
「リョウタ、熱いうちに食べて。頭を使うのにはエネルギーが必要よ」
エリカがスープの入ったボウルを差し出してくれた。凌太は礼を言って受け取ったが、食欲はなかった。その時、彼の持っているスマートフォンが、特殊な振動を始めた。それは、普段はシステムに隠され、特定のトリガーがなければ起動しない、希実が開発した二人だけの秘密の連絡用としてカスタムビルドした専用の暗号化メッセンジャーアプリが作動した合図だった。
(…希実のアプリに通知が?)
心臓が大きく跳ねた。希実の消息が途絶えてから、このアプリから通知が来るのは初めてだった。震える手でアプリを開くと、見知らぬ送信元から、怪しい日本語の短いメッセージが届いていた。
『お前が追っているものは、我々のものだ。日本に戻りください。そうしないと、女は、二度と太陽が見えないだろう。 — ペトロフ・コネクション』
凌太の顔色が変わったのを見て、エリカが慌てて駆け寄った。
「リョウタ、どうしたの?」
凌太はエリカに画面を見せた。エリカの顔からも血の気が引いた。
「ペトロフ・コネクション…。彼らは単なるハッカー集団じゃない。旧ソ連の情報機関の残党が関わる、非常に危険な組織よ。彼らが、ノゾミが作ったはずの秘密のアプリを…」
メッセージは、彼らが凌太の行動をベルリンに着いた直後から把握していること、そして希実が開発した通信手段すら破っていることを示唆していた。凌太が希実の残した手がかりを追っていることを知り、威嚇してきたのだ。
「希実は…無事なんだろうか」
凌太は震える声で尋ねた。エリカはすぐに冷静な研究者の顔に戻っていた。
「このメッセージは、ノゾミがまだ生きていることを証明しているわ。そうでなければ、あなたに警告を送る意味がないもの。彼らはあなたを脅して、真実から遠ざけたいのよ。それとも、マスターキーの存在を確認したいのかもしれないわ」
「彼らはどうやってこの専用アプリの存在を知ったんだ?希実が仕掛けたトリガーコードをどうやって手に入れたんだ?」
「それは今、重要なことじゃないわ。重要なのは、彼らがあなたに恐怖を与えようとしていることよ。でも逆に、私たちがノゾミに近づいている証拠でもあるわ」
「たしかに…」
「リョウタ、ノゾミが残した暗号は、技術的なことではなくて、歴史的な文脈を伴っているのかもしれないわね。東側では、地名や過去の出来事が、機密情報のコードネームになっていることが多かったはずよ。その視点で、もう一度調べてみましょう」
凌太は希実が無事である可能性に希望を見出し、ペトロフ・コネクションの脅威に怒りを覚えた。彼は決意を固め、静かに答えた。
「わかった。技術にとらわれず、歴史、文化…あらゆる視点で『lpz.89』を調べよう」
この警告は、凌太を恐怖させるどころか、希実を救うための決意をさらに強固なものにした。二人は、窓の外の暗闇に潜む見えない敵と、時間に追われる戦いを開始した。
ショートストーリーをつなげて連載中です。毎週金曜日頃投稿予定です。目次に各話のリンクを貼っていますので振り返りにどうぞ。
小牧幸助さんの企画に参加しています。
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