感想『爆弾』“キング・オブ・冷笑レスバトル”
ネットで話題になっている映画『爆弾』を、ようやく観ることができました。
近年、『新幹線大爆破』や『ラストマイル』など、爆弾テロを扱った作品が相次いでいます。
目に見えない「破壊の予告」が社会に浸透する不安は、安倍晋三暗殺事件以降一層強まり、社会全体に漂う閉塞感や、衝動的な暴力への恐怖を反映しているように思えます。
そうした空気の中で公開された『爆弾』は、単なるテロサスペンス映画を超えて、現代における「悪」とは何かを問い直す作品として、ユニークに感じました。以下にその感想を綴ってみたいと思います。
■劇場型犯罪の継承と更新――タゴサクが示す“現代の悪”
本作が属するジャンルは、「劇場型犯罪」と呼ばれる枠組みです。 映画『CURE』『ダークナイト』『セブン』の系譜に連なるように、犯罪者と捜査官が心理的に対峙し、犯人が用意した“舞台”の上で正義の在り方が揺さぶられるタイプの物語です。
ーーーーここからネタバレーーーーー
佐藤二郎演じる爆弾犯、「スズキタゴサク」と相対するのは、等々力(染谷将太)、清宮(渡部篤郎)、類家(山田裕貴)の三人の捜査官。それぞれ異なる倫理観を持つ彼らがタゴサクに向き合うことで、多様な価値観が衝突する群像劇としての面白みが生まれていました。
興味深いのは、タゴサクの“悪”が物語の進行とともに変容していく点です。序盤のタゴサクは、混沌をもたらす純粋な“悪”として、『ダークナイト』のジョーカーを思わせるような象徴的存在として描かれます。しかし、真相が明らかになるにつれ、彼の犯行は実のところ他者の計画に“後乗り”し、それに自らの解釈を上書きすることで、あたかも「自分の犯罪」であるかのように“演じていた”に過ぎないことが分かってきます。
すなわち、タゴサクとはオリジンとしての創造性を欠いた**「サンプリング型犯罪者」**なのです。既存の他者の犯罪構想を安易に拝借し、それを自分に都合のよい形に編集し直して“オリジナル”として振る舞う彼の姿は、まさに現代のネット社会が生み出した“拡散する悪意”の構造を体現しているように思えました。SNSで他者の言説を借用し、匿名性の鎧をまとって暴れ回るアカウントの在り方とも重なります。
また、彼が犯罪に加担する理由も驚くほどナイーブで、「奪われる命」に対する感受性が著しく軽薄に映る点も特徴的です。そこにあるのは、強固な信念に基づいた悪意ではなく、倫理的判断の空洞化そのものです。
タゴサクは、狂気の象徴としてではなく、「時代が生み出した欠損」としての犯罪者像を体現しています。重厚ではなく軽薄、深い闇ではなく浅い歪み。その“現代的な薄さ”そのものが、本作における独特の犯罪者像を際立たせているのだと感じました。
■揺らぐ倫理――“トロッコ問題”が露わにする人間の脆さ
一方で、捜査官たちの倫理観もタゴサクの存在に呼応するかのように揺らいでいきます。清宮は「子どもとホームレスのどちらを救うか」という“トロッコ問題”に直面し、無策のうちにホームレスの命を犠牲にしてしまいます。
本人の意思ではなく、無意識の判断であったにもかかわらず、その事実は酷く彼を蝕み、倫理的な自責と逃避心理によって、彼は捜査官から退くことになります。ここで浮き彫りになるのは、選択を誤った者の逃避心理、緊急事態における人間の脆さでした。
■倫理の“ゲーム化”――キング・オブ・冷笑レスバトル
清宮とは対照的に、三人目の捜査官として登場する類家は、倫理そのものに確固たる信念を持たない人物です。
「人を殺したいと思ったことがある」
「世の中はクソだと思っている」
彼の言葉が示しているように、類家はZ世代的とも言える冷笑と虚無感の化身のような存在です。倫理を相対化してしまう彼だからこそ、タゴサクによって揺さぶられる倫理の基盤を、逆説的な視点から見つめ直すことができる人物として対峙していきます。
しかし、タゴサクと類家の対決は、次第に倫理的責任を問う「捜査官と被疑者」の関係から逸脱し、互いを“好敵手”として認め合うかのような「頭脳ゲーム」へと変質していきます。私はその構図に『デスノート』の夜神ライトとLの関係を想起しましたが、本作で展開されるのは高度な推理戦というよりも、「このなぞなぞを解けるか?」というクイズバトルに近いものでした。ここにもまた、倫理に対する“薄っぺらさ”が露呈しているように思えます。
さらに、多数の市民の命がかかった極限状況であるにもかかわらず、二人が繰り広げるのは、どちらが相手をより上から目線で見下せるかという“キング・オブ・冷笑レスバトル”の様相を呈していきます。ここでは、倫理的問題ですら“ネタ化”され、真剣な議論よりも“相手を言い負かすこと”が優先されてしまう、SNS的な空気がそのまま立ち上がっていました。
この対決の末、大規模爆破は防ぐことができず、類家は敗北します。しかし、相手の心を折り切れなかったタゴサクも、勝負を自ら「引き分け」と宣言します。ここに至ると、作品が本来持つべき倫理的な重さが空中分解してしまうような“怖さ”が生まれます。爆弾テロという極限の暴力が、倫理の欠落したゲームとして処理されてしまう瞬間に、寒々しさを覚えました。
■類家の台詞に宿る現代的正義感
それでも物語の中で強く印象に残る場面がありました。類家はタゴサクに放った、この台詞。
「社会を壊すのは簡単だ。壊させないように守る方が難しい、だから俺は簡単な方には転ばない。」(※もしかして言い回しは違うかも、です;)
この言葉は、現代の“リベラル”な立場に立つ人々の心理を鋭く言い現わしているように思いました。社会への諦念を抱えつつも、破壊の快楽には与(くみ)せず、改善の側に踏みとどまろうとする。その不安定でありながら誠実な姿勢こそ、今の時代を生きる私たちの正義のかたちなのかもしれません。
■結語
『爆弾』は、倫理と悪の対立を真正面から描いたサスペンスであると同時に、倫理がゲーム化され、悪がサンプリングされていく現代社会そのものを映し出した作品だと感じました。
爆弾そのものの恐怖よりも、倫理が軽く扱われてしまうことの方が、はるかに恐ろしい。その事実が、この映画の異様な余韻を作っていました。
■追記
佐藤二朗さんの犯罪者役という点でいえば、2022年公開の『さがす』における彼の演技は、個人的に抜群に素晴らしかったと感じています。『爆弾』でのタゴサクのようなトリックスター的で大仰な演技ではなく、どこにでもいそうな“善良な市民”の内側から、ある瞬間にふっと立ち上がる闇が息を呑むほど生々しく、強烈な衝撃を受けました。
タゴサクとはまったく異なるアプローチで“悪”を捉えた作品として、こちらも強くお薦めしたい一本です。
