感想『プレデター:バットランズ』家系プレデター爆誕‼
『プレデター:バットランズ』を観てきました。
シリーズの方向性を大胆に更新した、野心的な一作だと感じました。ここでは、軽くシリーズの歴史を振り返りつつ、今作のシリーズとしての新しさを語ってみたいと思います。
1987年の初代『プレデター』は、アメリカ映画におけるマッチョ・アクションの到達点として誕生しました。密林で精鋭部隊が“見えない狩人”に追われる構図は、ベトナム戦争の記憶を背負う時代の寓話でもあったと思います。
続く『プレデター2』(1990)は舞台を都市へ移し、麻薬戦争や治安悪化といった社会不安を背景に、“文明社会のジャングル化”を描きました。
2000年代には『AVP』で『エイリアン』シリーズとのクロスオーバーが試みられ、世界観が広がっていきます。2010年の『プレデターズ』は“終わらない戦争”の時代を映すかのように、戦士たちが異星の狩場で生き残りを懸けるデスゲーム的な趣向を強めました。
2018年の『ザ・プレデター』は遺伝子改造やPTSDなど現代的なテーマを取り入れましたが、物語は迷走、シリーズのリブートに失敗し、プレデターというキャラクターも過去の物になるかと思われましたが、2022年の『プレデター:ザ・プレイ』で女性と先住民の視点を取り入れ、"狩る者と狩られる者の生存競争"という原点に立ち返った上で、フェミニズム的な現代性も取り入れ、シリーズは鮮やかに蘇りました。
そして最新作『プレデター:バットランズ』は、その流れを一歩進め、ついに“プレデター自身を主人公”に据えます。これまで“狩る側”だった存在が、初めて“感じ、悩み、変化する側”として描かれる――本作は、シリーズの新たな地平を切り開く挑戦作だと受け止めました。
――ここからはネタバレ――
■ プレデターに家族愛?
プレデターは宇宙を股にかける狩猟民族で、弱肉強食こそが掟です。成人の儀式として「強敵を狩り、その首を掲げる」風習が語られますが、それ以外の文化的背景は今までほぼ描かれてきませんでした。本作はプレデターの“家族関係”とそのコミュニケーションのあり方が初めて映画で語られます。
主人公は若きプレデター、デク。彼は一族の中で“弱者”と見なされています。兄は誇り高く、弟であるデクに厳しい鍛錬を課しますが、その根底には愛情が感じられます。成人の儀式を前に、父は掟に従い「弱き者を残すことは恥」としてデクの命を奪おうとします。その瞬間、兄は命を賭してデクを守り抜きます。この犠牲がデクにとっての成長の原点となり、彼は初めて“強さ”の意味を自分自身に問いかけるようになります。
力とは、強さとは何なのか。
この問いが、以後のデクの旅路を導いていきます。さながら『鬼滅の刃』の煉獄杏寿郎や『ONE PIECE』のエースのように、兄は死をもって生き方を教える師でもあり、デクの“心の羅針盤”として作品全体を支えます。
やがてデクは新たな仲間と出会い、血のつながりを越えた“擬似家族”のような関係を築きます。(プレデターなのに!)
焚き火を囲み、狩りの獲物を分け合う場面には、『ワイルド・スピード』のファミリー・ディナーを連想させる温かさがあり、これまで冷徹に描かれてきたプレデターの世界に、人間的なぬくもりが息づきます。映画評論家・てらさわホークさんの言うところの「家系」プレデター爆誕です!
■ ここでもAIが心を持つんです!
デクの物語と対になって描かれるのが、アンドロイドの美女姉妹、ティアとテッサです。彼女たちは任務遂行のために設計された人工生命体で、感情を持たない“機能としての家族”を体現しています。姉のティアは目的達成を最優先にし、必要とあらば妹をも切り捨てます。デク兄弟が“情によって結ばれた家族”であるなら、ティア姉妹は“実利によって結ばれた家族”であり、両者は対比的に描かれます。
ティアはデクと旅を共にする中で、次第に心の片鱗を見せ始めます。それは単なるAIの学習ではなく、共に過ごした時間の積み重ねが人格をかたちづくるという過程に近いものです。このあたりは『アイの歌声を聴かせて』や『トロン:アレス』のように、記憶や体験の共有が“人間らしさ”を生むという、今風の展開ですね。このあたりはリドリー・スコットなら絶対に描かない、ジェームス・キャメロン的な味わいです。
■ “スター・ウォーズ”的人間の不在と“VS怪獣映画の快感”
本作が他のシリーズと決定的に異なるのは、「人間が一切登場しない」点です。観客はプレデターの視点で未知の惑星を旅し、異星人が“異星の異生物に驚く”という、斬新(?)な展開ですが、どこか『スター・ウォーズ』的なスペース・オペラのワクワク感も漂います、ティアを背負って移動するデクの姿は、チューバッカがC-3POを担いで歩く名場面へのさりげないオマージュのようにも見えました。バリアの向こうでデクの兄が殺されるシーンも、目の前でクワイ・ガン殺されるのを見ているしかなかったオビワンのシーンぽかったり。(これは考えすぎ?)
ティアのことをあくまで”道具”といって譲らないデクのツンデレぶりも愛らしく、プレデターという存在に“ユーモアと愛嬌”が生まれ、作品全体のトーンがやわらかく、共感できるキャラとなっています。
一方、惑星に棲む凶暴な異生物たちとの戦闘は、異形のモンスターvs異形のモンスターバトルの迫力がお腹いっぱい味わえます。例えるなら『ウルトラマン』のアボラス対バニラや、グドン対ツインテールのような、生存を賭けた生物同士のガチバトルがスクリーンに炸裂します、モンスターマニア垂涎の展開でした!
さらに後半では、デクが異生物の特性を読み取り、罠や簡易武器を工夫して戦う“ホームアローン型”バトルが展開します。DIYの創意と知恵で危機を切り抜けていく姿は、従来の“暴力の象徴としての狩り”とは異なる、エンターテインメントとしてのバトルの楽しさをしっかり見せてくれました。
■ もうガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーでいいんじゃない?
物語の終盤、デクとティアたちの運命は交差し、それぞれが守ろうとする“家族”の形が試されます。“強さ”とは何か。生きるとはどういうことか。『バットランズ』はその問いを、暴力の世界で生きる者たちの“心の成長”として描き出します。
――強さとは、倒す力ではなく、守る意志である。
このジャンプアニメ的なメッセージは、本作を初代『プレデター』が持っていた“マッチョの解体”という批評性を受け継ぎながら、より普遍的な倫理へと発展させたと感じました。
プレデターはついに、“狩る/狩られるモンスター”から、“共感を呼ぶ、成長する存在”へと歩み出したのだと思います。そしてラストでは、シリーズ最大級の謎――プレデターの起源や、“狩り”という行為の本当の意味――に触れるかのような断片が示され、幕を閉じます。
ぶっちゃけ続きがとても楽しみです。
デク、ティア、そして仲間たちのその後をもっと見てみたい――そう素直に思える、可能性に満ちた最新作でした。
