映画「桐島です」感想:語られなかった山上哲也被告のこと
映画「桐島です」を観てきました。
なかでも印象的だったのは、桐島が現場で共に働くクルド人に対して「こんな日本でごめん」と頭を下げるシーン。かつて外国人労働者の搾取に声を上げていた彼が、今ではただ謝ることしかできない。その姿に、彼自身の怒りや無力感、そしてどこか自分を責める気持ちがにじみ出ていて、胸を動かされました。
テレビで安倍晋三が「日本人を守るために集団的自衛権を認める」と語っているのを、桐島が睨みつけて、コーヒーマグをテレビに投げつける場面も強烈でした。怒りが一気に噴き出したあの瞬間、彼が抱えてきた思いがよく伝わってきました。
しかしその一方で、気になったことがあります。それは、令和の日本を生きていた桐島が安倍晋三銃撃事件についてどう感じていたのか、それが描かれなかったと言う所。
彼はかつて「元テロリスト」とされ、体制と戦った過去を持つ人物。ならば、山上徹也被告という加害者の動機や行動に対して、桐島は何らかの思いを抱いたはずではないか。共感か、怒りか、戸惑いか――。
桐島聡という人物を今描く以上、日本社会における「正義」とは何か、暴力はどこまでが許容され、どこからが否定されるべきなのか、といった問いを深く突き詰める必要があったのではないかと感じました。 もしそこに触れずに終わってしまったとしたら、安倍に対する怒りの描写は、どこか片側だけを映して終わってしまったような、描き足りなさを感じたのも事実です。
この映画は、社会的な怒りを内に抱えながらも、簡単に答えを出せない複雑さに満ちていました。 製作者も桐島の姿に山上被告を重ね合わせなかったはずはない、だからこそ、山上哲也被告の描写が私は描かれるべきだったと思っています。
※この文章は2025/07/05にフィルマークス用に書いた感想ですが、山上哲也被告の初公判に際してnoteに転載いたしました。
