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『MISHIMA』「愛国」という言葉が耐えられない軽さである今であるからこそ

ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ(1985)
Mishima: A Life In Four Chapters
1985年の当時、本作は遺族の反対や右翼団体の抗議があるという噂が流れたため、配給会社が公開を躊躇し、日本では劇場公開もビデオ化もされず、“幻の作品”となっていました。今回、ようやく海外版のブルーレイを入手し、四十年の時を経て観ることができました。

ポール・シュレイダー監督の『Mishima』は、三島由紀夫という作家の「人生」と「文学」と「死」を同時に映し出す、きわめて特異な伝記映画です。
「現実の三島の言動」「彼の小説世界の映像化」「そして切腹に至る最期の一日」この三つの時間軸がパラレルに交錯し、やがてひとつの“美の結晶体”として結実していきます。

息を飲むのは、三島の小説を映像化したパートの美術です。石岡瑛子さんによるセットはまさに圧巻で、『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』と続く構成は、もはや舞台芸術そのものの完成度を誇っています。

荘厳な金閣寺の前で演じられる青年の醜悪さ、砂丘に傾く大鳥居を背に描かれる『奔馬』の狂信──その造形美そのものが、三島文学のテーマを語っているように感じました。

「言葉」で美を極めようとした三島と、「映像」で美を探ろうとしたシュレイダー。両者の美学のせめぎ合いが、画面に異様な緊張感を漂わせています。

一方で、緒形拳さんが演じる現実世界の三島を描いたドキュメンタリー風の“現実パート”は、あえて平板で、昭和の再現ドラマのような質感で撮られています。小説パートの極彩色との対比が鮮烈で、幻想と現実の隔たりをより際立たせていました。

そしてラスト、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹自決の場面で、両者の映像が静かに融合していきます。その瞬間、三島が生涯をかけて追い求めた「言葉と行為の一致」「美と死の同一化」という主題が、ひとつの映像体験として結晶化したように感じました。

彼は言葉という象徴世界に生きながら、最後には「行動という現実」で自己を完結させ、「三島由紀夫」という作品を完成させました。

シュレイダー監督もまた「三島を理解しようとする」のではなく、「三島を作品化する」ことを選んだのだと思います。

そして令和の今、この映画が語りかけるものは、「言葉と行動を一致させることの困難さ」だと思います。SNS世論が支配する現代では、「発言」が軽く流通し、誰もが“表現者”を名乗れる時代になりました。

政治家や小説家、インフルエンサーらの口から出る「愛国」という言葉が、史上最安値の薄っぺらさで叩き売られているこのご時世ですが、三島は、言葉を発する者としての責任を極限まで追求し、その代償として死を選びました。

その過剰さは狂気にも見えますが、同時に、空虚な時代を生きる私たちにとっては、一種の誠実さでもあると感じます。

令和を生きる私たちには理解できない、しかし、その炎は半世紀を経た今も、私たちの心の底の虚無を照らし出します。『Mishima』は、言葉だけが空転する現代にこそ鋭く響く、“炭鉱のカナリア”のような映画だと思います。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た」  

楯の會隊長 三島由紀夫「檄」より

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