【GWにおすすめしたい10の拾い読み・番外編】橋本治・岡田嘉夫『歌舞伎絵巻』桜の季節を苦手にする私が、松と梅、散らない桜にひきこまれた話
気が付けば、新緑がまぶしい季節になりました。
実は桜の季節がちょっと苦手な私は、
なんだか少しほっとしています。
桜の季節は、ちょっとだけ苦手です。
咲いたと思ったら、もう散っていて。
花ごと、ぼたりと落ちていることもあって。
「しづごころなく花の散るらむ」とはよくいったもので、なんだか落ち着かなくなるのです。
みんなが桜で浮き立つ季節に、
少しだけ肩身が狭い。
そんな私に、
意外なところで、強い味方が見つかりました。
歌舞伎です。
といっても、絵巻です。
今日は、そんなお話をします。
シリーズのお作法を、今回だけ裏切ります
このシリーズでは、忙しい人に向けて、本の一節や一章だけを拾い読みする話を続けてきました。
1回目は、寺田寅彦「コーヒー哲学序説」。立派な理念より、机の上の一杯が人を動かす、という話。
2回目は、五木寛之「白秋期」。サンクト・ペテルブルクで真理をつかんだはずの著者が、横浜の自宅で本を前に立ち尽くす話。
3回目は、小野雅裕「宇宙に命はあるのか」。手のひらのテニスボールと、23km先のバスケットボールのあいだに広がる虚空の話。
どれも、一節を「拾う」話でした。
でも今回は、番外編です。
拾いません。
ページをひらいて、ただ「眺める」本の話をします。
橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻
ポプラ社から出ている、
橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻というシリーズ。
橋本治さんの文章ももちろん魅力的ですが、
まず目を奪われるのは、岡田嘉夫さんの絵です。
岡田さんは「現代の浮世絵師」と呼ばれた方。
そして、このシリーズの魅力は、
単に絵が美しい、というだけではありません。
ページの上に、歌舞伎の舞台がたしかに立ち上がる。
それが、この絵巻のすごさだと思うのです。
桜が苦手な私が、このシリーズにすっかり引き込まれたことには、理由があります。
歌舞伎の花は、桜だけではない。
松がいて、梅がいる。
そして、桜もまた、ここでは違う表情をしています。
***
『菅原伝授手習鑑』——松王丸、梅王丸、桜丸
『菅原伝授手習鑑』には、三人の兄弟が出てきます。
松王丸、梅王丸、桜丸。
この三人のうち、
桜丸と松王丸は、対照的に見えます。
いちばん早くに散る、桜丸。
残された松王丸は、
苦しみを押し殺して責任を背負い続ける。
梅王丸をふくむこの三人の配置と対照が、
私はとても好きなのです。
早く散るのは桜で、残って背負うのは松と梅。桜の早すぎる散り方に心を乱される私の感覚と、この配置は、どこかで重なります。
岡田嘉夫さんの、絵。
松王丸の顔には、思わず見入ってしまいます。
ああ、この人は苦しいのだ、ではなく。
苦しみを飲み込み、役目のために押し殺している、その重さまで顔に出ているような気がします。
筋だけ追っていたら通り過ぎてしまうような感情の厚みが、一枚の絵にきちんと宿っています。
ちなみに、菅丞相が雷となって平時平を打ち滅ぼしに行く場面の迫力もまた、この絵巻の見どころです。
二次元の絵本であるはずなのに、
紙の上なのに、静止していない。
文字のレイアウトまで、
縦に流れ、斜めに走り、ときにはうずを巻く。
読ませるというより、
舞台の勢いや息づかいを、
そのまま運んできているかのような。
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『国性爺合戦』——華やかさの奥の、梅
『国性爺合戦』には、梅や紅が象徴的に使われています。
梅と桜の風流陣(花軍)、栴檀皇女。
錦祥女の、「紅流し」。
日本と中国をまたぐ大きな物語であるだけに、豪華で、異国の風を帯びた絵柄の数々。張りつめた気配、華やかな衣裳。その中に、梅や紅が凛として存在感を放つ。
それらが岡田嘉夫さんの絵で表現されている絵巻は、単に「きれい」という言葉では追いつかず、遠くまで連れていかれるような美しさがあります。
梅の花を気高さや覚悟の象徴にできる感性の土台が、歌舞伎にはしっかりある。そこが、梅を好む私には、どこか居心地がいいのかもしれません。
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『義経千本桜』——散らない桜
そして、最後に『義経千本桜』にも触れておきたいところです。
タイトルの通り、この演目では桜が重要です。
しかし、本文そのものには、実はそれほど桜が出てくるわけではなく、代わりに、岡田嘉夫さんの絵ではほとんどどの場面にも桜が舞っているのです。
演目の筋を説明するためだけなら、
そこまで桜を散らす必要はないのかもしれません。
ですが、この絵巻は、そうはしません。
演目のタイトルに宿っている気分、舞台全体を包む色、観客がその芝居に対して抱く記憶まで、絵の中に引き受けようとしているかのように、これでもかと桜を配置します。
現実の桜は、あっという間に散ります。
花ごと落ちる。心を乱す。
けれど、岡田嘉夫さんの桜は、散りません。
ページの上に、ずっと止まっている。
心を乱さない桜。
桜が苦手な私でも、この絵巻の桜なら、安心して眺めていられるのです。
花見に出かけたわけでもないのに、本のページの上で、桜の季節を、満開のなかで過ごしているような気分になりました。
読むのではなく、眺めるという過ごし方
歌舞伎は、筋だけ追うと、少し遠い世界に思えることがあります。
古典だし、人物も多いし、背景も複雑。
けれど、こういう絵巻を眺めていると、歌舞伎はまず、目で味わうものだったのだと思い出します。
衣裳の色、顔の角度、場面が切り替わる勢い、背景に漂う気配。
そういうものに触れたとき、私にはその物語が急に近くなるようです。
このシリーズは、歌舞伎の筋をわかりやすく教えてくれる本、というだけではなく、むしろ、歌舞伎を「観た感じ」ごと本に移し替えた本なのだと思います。
筋(=あらすじ)を超えたところで、芝居の気分や重さや記憶までが、一枚の絵にきちんと宿っている。そこに見ごたえがありました。
GW。関東では桜が散ったあとの時期ですが…
私にとっては、ようやく落ち着く季節。
何かを「読み切ろう」「やり切ろう」とするのではなく、
ページをひらいて、しばらく眺めるだけで、いい。
体を休めつつ、心だけ少し、別世界に行く。
そんな過ごし方に、この絵巻はとてもよく似合います。
歌舞伎は難しい、と感じる方にこそ。
読むより先に、まず、眺めることができる。
そして、
桜丸が気にかかる人にも、
梅の覚悟に心を寄せたい人にも、
松王丸の押し殺した重さを読みたい人にも、
そして、
散らない桜のページを安心して眺めたい人にも——
このシリーズは、もちろん、開かれています。
一節を拾う、の番外編として。
今回は、そんなシリーズをご紹介してみました。
