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【GWにおすすめしたい10の拾い読み③ 】小野雅裕「宇宙に命はあるのか」―3.3km先のバランスボールに幸運を託して、手のひらのテニスボールを見る

全部読まなくても、一節だけで世界の見え方が少し変わる本があります。
そういう本の断片が、私は好きです。

このシリーズでは、そんな「拾い読み」で最近出会った本を、一節ずつご紹介しています。

1回目は、寺田寅彦「コーヒー哲学序説」。 立派な理念より、机の上の一杯のコーヒーのほうが人を動かしてしまう、という話。

2回目は、五木寛之「白秋期」。 サンクト・ペテルブルクで人生の真理をつかんだはずの著者が、横浜の自宅で本を前に立ち尽くす話。

3回目は、少しスケールの違う話を。




木星は、幸運の星と言われますが…


著者によれば、

地球をテニスボールの大きさに縮めると、木星は3.3km先のバランスボールになる

のだとか。
そう聞くと、そんな遠くの巨大球体に自分の運勢を背負わせるのは、なんだかスケールが違うというか、木星に申し訳ない気がしてきます。

とはいえ、人間はそういうことをします。
あまりにも大きく、あまりにも手の届かないものに、名前をつけ、意味を託し、どうにか自分の毎日を支えている。



さて。
私たちはゴールデンウィークを前にするとうっすらとしたプレッシャーにおそわれることがあります。何か、有意義なことをしなければならない。何かを達成して休みを終えたい。
そして、たいていの場合、連休が終わるころに「何もできなかった」とがっかりしてしまう。

でもその「何もできなかった」とは、いったいどれくらいの大きさの話なのでしょうか。

今回ご紹介する一節は、その感覚をいったん宇宙のスケールまで持ち上げて、少しだけ見え方を変えてくれるように思います。


***

宇宙の距離を身体感覚に引き寄せる、
忘れがたいくだりがあります。


小野雅裕「宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八」から、ご紹介します。


地球をテニスボールの大きさ(直径 6.7㎝)に縮め、あなたの掌に置いたと想像してみよう。
月は 2mの距離にあるビー玉(直径 1.8㎝)である。
金星は 220mの距離にあるもうひとつのテニスボール(直径 6.4㎝)。
火星は 390mの距離にあるピンポン球(直径 3.5㎝)。
水星は 480mの距離にあるプチトマト(直径 2.5㎝)。
太陽は 730mの距離にある二階建て住宅ほどの大きさの玉(直径 7.3m)。
木星は 3.3㎞の距離にある大きめのバランスボール(直径 73㎝)。
土星は 6.7㎞の距離にある一回り小さなバランスボール(直径 61㎝)。
天王星は 14㎞の距離にあるバスケットボール(直径 27㎝)。
海王星は 23㎞の距離にあるもうひとつのバスケットボール(直径 26㎝)である。
目を瞑って想像してみて欲しい。あなたの掌の上のテニスボールと、23㎞先にあるバスケットボールの間に広がる、虚空を。

ここで引用を閉じてもいいのです。
距離の縮尺だけでも、もう十分に心もとないのだから。


ですが、小野さんは、
そこからもう一段、時間のスケールへ踏み込んでいきます。

もしこれらの世界まで新幹線の速さ(時速 300㎞)で行ったらどれだけかかるか。

月までは 53日かかる。
金星までは 16年。
火星までは 28年。
水星までは 35年。
太陽までは 57年。
木星までは 240年。
土星までは 480年。
天王星までは 1000年。
海王星までは 1700年。

太陽から最も近い恒星、プロキシマ・ケンタウリまでは 1500万年かかる。

よく『宇宙は最後のフロンティア』と言われるが、それは間違っている。地球が最初のフロンティアであったに過ぎないのだ。

この引用のすごいところは、宇宙が広いと説明して終わらないところだと思います。


掌の上のテニスボールと、23km先のバスケットボールのあいだに広がる虚空。そこまで想像させられると、私たちが普段「自分の世界」だと思っているものが、急に頼りない縮尺で見えてきます。


月まで53日。
金星まで16年。
木星まで240年。
海王星まで1700年。
しかもそれでも、まだ太陽系の話にすぎないのです。


***

この大きさの前では、「連休をうまく使えなかった」という感覚は、ずいぶん小さなものに見えます。


もちろん、

小さいから取るに足らない、という意味ではありません。


むしろ逆で、人間はその小ささのなかで生きているからこそ、数日を大事にし、数日を取りこぼした気がして落ち込むのだと思います。


ゴールデンウィークというのは、不思議な時間で。

休める人には「有意義に過ごさなければ」という圧がかかるし、休めない人には「みんなが休んでいるときに、自分は」という別の圧がかかる。

旅行、片づけ、読書、勉強、家族サービス。
どれもできれば立派ですが、全部をほどほどにしかできなかったとき、私たちはすぐに「何もできなかった」と総括してしまいがちです。


ですが、

てのひらの上のテニスボールと、23km先のバスケットボールのあいだの虚空を思い浮かべてみると、その総括は少しだけ乱暴に思えてきます。


こちらはもともと、そんなに大きな存在ではない。


世界を見渡せるわけでも、時間を完全に支配できるわけでもない。
限られた身体と視界のなかで、目の前の用事をこなし、疲れ、眠り、少し立て直し、また日常に戻っていく。

その程度のことしかできないし、その程度のことを毎日なんとかやっている。

そう考えると、「何もできなかった」連休も、少し見え方が変わる気がしませんか?

何もできなかったのではなく、手のひらに乗るほどの小さな世界を、それなりに持ちこたえていたのかもしれない。


***

この一節を読んだあとだと、木星を幸運の星と呼ぶことにも、少し違う感じが出てきます。

3.3km先のバランスボールに幸運を、託す。

宇宙は、たぶんこちらの願掛けにそこまで付き合ってはくれない。
けれど、人間は、あまりにも大きく、無関心にも見える世界のなかで、意味を貼りつけずには生きていけないのかも。


幸運の星。
有意義な連休。
人生を変えるきっかけ。


そういう言葉を自分で作って、自分を少し励ましている。

だから、GWの終わりに「結局、何もできなかったな」と思ってしまう人に(あるいは自分に)、無理に前向きなことを言う必要はないのかも。

充実していなかった気がするなら、その感覚はそのままでいい。 ただ、その落ち込みを一度、宇宙のスケールのなかに置いてみる。 すると、深刻さが少しだけほどけるような気がします。


3.3km先のバランスボールに幸運を託しながら、私たちは結局、手のひらのテニスボールを生きている。 その小ささを、みじめさではなく、出発点として受け取れたら。 連休を完璧に使いこなせなかったことも、少しだけ違って見えるかもしれないと、思うのです。



最近した、もうひとつの宇宙の話


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