【GWにおすすめしたい10の拾い読み② 】 連休の断捨離に失敗しそうなあなたへ。五木寛之『白秋期』が用意してくれた上等な予防線
「GWこそ、部屋を片づけよう」
そう決意している人、きっと多いと思います。
本棚を整理しよう。
積ん読を減らそう。
もう読まない本は手放そう。
そうして少し身軽になって、休み明けを迎えよう。
わかります。
連休前には、そういう気持ちになりますよね。
私も、同じです。
でも同時に、気づいてもいるのでは?
たぶん私は、本棚の前で立ち尽くす。
一冊抜いて、少し読む。
「これは残す」と思う。
次の一冊も残す。
三冊目あたりから、
片づけではなく、ふつうに読書が始まる。
そして午後が終わる。
…そんな未来が、かなり高い確率で見えている人に、うってつけの本の一節を、ご紹介します。
これは「成功する断捨離」の話ではありません。
むしろ、失敗したときのための話です。
五木寛之『白秋期 地図のない明日への旅立ち』の、ある一節。
五木寛之氏は、旅先のサンクト・ペテルブルクでのある出来事をきっかけに、こう考えます。
人間に必要なのは、ひょっとしたら三冊の本だけなのかもしれない。自分が、もし三冊の本を選ぶとしたら、いったい何を選ぶか。乱雑に積みあげている山のような本は、自分にとって、はたしてどれほどの重さを持っているのだろうか。
日本に帰ったら、とりあえず本を捨てよう、と、私はそのとき固く心に誓ったのです。
おお、かっこいい。
旅先で人生の真理をつかんだ人の文章です。
人間に必要な本は、3冊。
それ以外は必要ない。
言っていることは、かなりラディカル。
ほとんど思想です。
ここで終われば、よくある話ですが…
しかしこの決意、五木氏が自宅に戻った瞬間に見事なくらい崩れていきます。
固い決心のもと、横浜の自宅にもどってきて、サンクト・ペテルブルクでの誓いを実行しようとすると、たちまち私は大混乱におちいってしまいました。いったい、どの本を捨てればいいというのか、どんな本を残せばいいのか。
山と積まれた書棚から、一冊ずつとりあげて、ページをめくってみる。いや、この本はとっておくべきだ。とても捨てるわけにはいかない。それでは、こちらの本はどうか。それも捨てられない。
日曜日の午後をまるまるあけて、なんとか本を捨てようと決心して作業にかかったのですが、結局、その日は何の成果も上げることなく終わってしまいました。
実践に入ると、とたんに現実が強い。
本を一冊ずつ手に取り、どれも捨てられない。
日曜日の午後をまるごと使って、成果はゼロ。
あんなに立派なことを言ってたのに。
でも、この説得力のなさがたまらなくいいのです。
ここから「捨てる技術」の話が始まるわけでもなく、
「本当に必要なものだけを残す勇気」といった、ミニマリズムの話が始まるわけでもない。
五木寛之はそこへ行かないし、行けない。
そして、その行けなさを隠そうともしていない。
そこがいい。
冷静に考えてみれば、
本は、情報の容れ物ではなく、
過去の自分の置き場所だったりします。
そんなものが、
連休の一日で、
気持ちよく、さくさく片づくはずがないのです。
にもかかわらず、
私たちは休みが近づくたび、
少しだけ夢を見ます。
今度こそ本棚がきれいになるのではないか。
今度こそ積ん読が減るのではないか。
今度こそ、過去の自分と、ほどよい距離を取れるのではないか、と。
その夢は、たぶん悪くない。
ただ、実現可能性がやや低いだけです。
だからこそ。
連休前に、この一節を読んでおくのはいい気がします。
断捨離に成功するためではありません。
むしろ、失敗したときのための保険として。
いや、保険というより、予防線でしょうか。
こちらが本棚の前で立ち尽くしていても、すでに五木寛之が先に同じことをしてくれている。
しかも、かなり格調高く。
サンクト・ペテルブルクで壮大な決意をし、横浜の自宅で見事に何も進まない。
この落差は、ほとんど芸です。
五木寛之は最後に、山のような蔵書に埋もれて暮らすのも、三冊の本だけを枕元に置いて生きるのも、その人の勝手だと書きます。
どちらがいいというわけではない。ただ、一度、この本を残すか捨てるかと迷ってみることは、決して悪いことではない、と。
ここも好きです。
結論がきれいすぎない。
三冊に絞ることに成功したわけではない。
見事な整理を成し遂げたわけでもない。
結局、自分も相変わらず、捨てられない本の山のなかにいると白状してしまう。
説得力はない。
でも、その説得力のなさが、ものすごく信用できる。
連休前、「今年こそ断捨離を」と思っている人。
そして同時に、「まあでも、たぶん無理だろうな」とも思っている人。
この一節は、かなりおすすめです。
全部読まなくても、ここだけで面白い。
もしGWの途中で、本棚の前に座り込み、片づけではなく読書が始まってしまっても。
大丈夫です。
それ、ずっと前に、
五木寛之も通った道ですから。
