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器が交換し合うもの:知識と有機物/形式と不定形

はじめに

生命の起源を探求する中で、有機物が堆積した水たまりや、何らかの膜によるカプセルなどが器(container)となって、有機物を凝集した水、有機のスープを中に入れているというモデルを考えてきました(参照記事1,2)。

そして、そのモデルの対比で、人間の脳という器に知識が入っている様子を知識のスープと表現し、類似点を見出すことで、有機のスープと知識のスープのそれぞれで、どのようなことが起きているのかを考えてきました(参照記事3,4,5)。

今回は、その続きです。

まずはおさらいから

知識のスープの器(脳)も、有機のスープの器(水たまりやカプセル)も、中身(知識や有機物)を他の器とやり取りすることで、新しい組み合わせが生じて中身(知識や有機物)がだんだん高度で複雑なものになっていく、という点で、全く異なる2つの事柄(有機物の合成と知識の進歩)の共通点を、この器のモデルはうまく説明できます。

知識には言葉や図表で表しやすく他の人とやり取りが行いやすい形式知と、それが難しく個々人の頭の中にだけ学習される暗黙知とがある点に着目し、この器のモデルを考えると、では有機のスープにも形式知と暗黙知に相当するものがあるのではないかという発想が出てきます。そうして気が付いたのは、有機のスープに現れるであろう粘度の高い部分です。有機物が合成されていくと、水に粘りが出て粘度が高くなるという事があるでしょう。それが、暗黙知に相当する不定形のものだと思い至りました。そして、有機物が長鎖でひとつながりになっているようなタンパク質やDNAのような固まりは、構造がしっかりとしており、細胞間でも機能を保ったまま交換することのできる、形式知に相当するものだと解釈することができます。

ここまでが、以前の記事で書いていた内容です。

今回の気づき

1.粘度の高い固まりの移動

知識のスープにおいて、暗黙知は人と人との間ではやり取りはできず、言葉のような形式知だけがやり取りに使えます。また、多細胞生物の細胞間コミュニケーションを考えると、粘度の高いドロドロしたものが細胞間を機能を保ったまま移動するイメージがわきませんでした。このため、有機のスープにおいても粘液的な不定形ものは器と器の間でコミュニケーション的な形では交換されないという思い込みをしていました。

なお、スープの中身を選択的にやり取りするやり方をここではコミュニケーション的と呼んでいます。そうでなく、増水などで水たまりがあふれて他の水たまりと混ざり合うような選択ではなく全面入り交じり(コンジャンクションと呼んでいます)であれば、粘液的なものも交換されるとは考えていました。

しかし、有機物から生命が誕生するまでの過程を考え直していた時に、有機のスープが入った水たまり内で粘度が高い部分ができると、それは壁に張り付いて、そこから粘度の高い部分が植物や触手のように伸びたり、壁に張り付いていた粘度の高い部分が剥がれたりして、結果、粘度の高い部分の固まりのようなものが千切れて水たまりの中を漂うこともあっただろうと想像しました。そして、それが川の流れなどに乗って、選択的に他の水たまりに移動するようなこともあったのではないかと思い至りました。

つまり、粘度の高い固まりも、水たまりという有機のスープの器の間では、やり取りされていたと仮定してもおかしくないと気が付いたのです。

これまで、私は水たまりの間を有機物が機能を保って移動するためには、膜によるカプセル化が行われるまで待たなければならないと考えていましたし、どうにか他の水たまりとのやり取りが少ない環境で、膜の形成までは達成しないと、有機物から細胞への進化はうまく説明できないと考えていました。しかし、粘度の高い固まりが水たまりの間を移動できるとしたら、膜によるカプセル化が起きるよりずっと以前に、水たまりという有機のスープの器同士がつながり、有機物の組み合わせのパターンが増加して化学進化がうまく進行したと考えられそうです。

2.暗黙知も移動可能か

さて、もともと粘度の高い固まりが移動するという事に気が付かなかったのは、知識のスープにおける暗黙知が移動不可能だと考えてのコトでした。
しかし、粘度の高い固まりが移動可能だとすると、今度は暗黙知が知識のスープの器間で移動可能かどうかが気になってきます。

そんな中ふと思いついたのは、赤ちゃんの言葉にならない言葉のようなものや、鳴き声や笑い声、笑顔や泣き顔といった表情、です。それらは形式知というにはあまり形が整っておらず、発している本人も意味を理解しきっているわけでもないでしょう。これを他の暗黙知と一緒くたに扱うことは難しいですが、一種の不定形なコミュニケーションという事になるでしょう。

よって、不定形だからコミュニケーションでやり取りできない、という前提は一度忘れて考えた方がよさそうです。

3.言葉というカプセル化

赤ちゃんは不定形な言葉や声でコミュニケーションをしてきますが、これが有機のスープにおける粘度の高い固まりのコミュニケーションに相当すると考えられます。すると、ちゃんと意味を理解して喋れるようになってから使う言葉というコミュニケーション手段は、有機のスープでは何に相当するのかと考えてみると、たんぱく質やDNAではありませんでした。これらは環境が変わると構造が壊れやすいため、多細胞生物の細胞間ではコミュニケーションに使えても、水たまり間でのコミュニケーションに使えたとは思えません。

そうなると、水たまりの間でやり取りできたのは膜に包まれた有機のスープのカプセルだけです。カプセル化することで中のスープの組成が維持でき、複雑な構造の有機物も壊さずに遠くへ運ぶことができます。

そうなると、赤ちゃん以降に私たちがコミュニケーションに使っている言葉も、複雑な有機物の固まりというよりもパッケージングされて機能が損なわれないようにしたカプセルのようなものと考えて良いのかもしれません。言葉に結びついた概念や意味が壊れないようにカプセル化して運んでいるという解釈です。私たちは形式知という形で知識そのものを直接やり取りしているのではなく、有機部をカプセルに包んだように、知識を言葉というパッケージで包んで交換していると考えると、腑に落ちる気がします。

4.手段が進化しても変わらないもの

おそらく、明確な形式知の伝達手段として言葉が発明される以前は、大人であっても赤ちゃんのように言葉にならない声でコミュニケーションを一生懸命取っていたのではないでしょうか? それが言葉という意味を壊さずに伝えることができるパッケージング技術が発明されたことで、飛躍的にコミュニケーションが容易になりました。さらに言葉を口から声に出して伝えるだけではなく、文字を発明したことで、時間の同時性を不要とした非同期なコミュニケーションや年代が離れても知識を伝達していけるようになりました。さらにそれは、電波に乗って遠くに伝えたり、デジタルの形で保存することもできるようになり、果てはチャットAIという知識を操るロボットまで登場するに至るという、進化をしてきました。

有機のスープのカプセルも、そういう意味では様々な進化を遂げたのかもしれません。はじめは粘度の高い固まり、次は膜に包まれたカプセル。その後は、自己保存が可能で長時間存在することができる単細胞生物への進化し、さらに多細胞生物へ、そして脊椎動物が現れ魚として自由に水の中を泳ぎ回って様々な水場を移動するようにもなったのでしょうし、両生類を経て陸上を移動するようにもなりました。

そうだとすると、見方を変えて水たまりの側から世界を見つめてみれば、粘度の高い固まりが移動していたころから、人間も含めた現在の陸上生物たちも、すべて、有機のスープの器の間で有機のスープを運んでいるカプセルに見えているのかもしれません。

私たちが言葉にならない声から、チャットAIとおしゃべりするに至るまで、形を変えて言葉が進化していても、すべて、知識を交換するために行っているのだと考えているように。

さいごに

ちょっと最後は奇妙な印象を与えるような話になってしまいましたが、まあ、良いでしょう。こんな風に、先入観にとらわれずに様々な見方や考え方をしてみることが、新しい発見や気づきには大事だと思っています。

参照記事一覧

参照記事1

参照記事2

参照記事3

参照記事4

参照記事5


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