選挙なんて要らないよ その249(英雄ポロネーズ❓)
我は大和の民より生まれし者なり。
そして正常の空気を嫌い特異点に至る。
選挙に夢を蝕まれている
愚者どもに
請願による新たな道を指し示している。
まずは己の國の現実を知るがよい。
君らが思っている日本は、
本当の日本ではないのだから。
平和を叫ぶ愚鈍な者ども、
憲法施行からわずか5年で、
日本は戦争をする國に戻っている。
反戦歌なら熱いRockで語れ
さて、今回は、
ショパンの英雄ポロネーズ
そもそもポロネーズとは何か
ポロネーズとはポーランドの民族舞曲であり、三拍子で威厳をもって歩くようなリズムを特徴としている。もともとはポーランド貴族が式典や宮廷で行進するように踊る舞曲であり、民族の誇りや威厳を象徴する音楽だった。つまりポロネーズは、英雄の物語ではない。
民族の誇りを示す行進そのものである。
ショパンはこの民族舞曲をピアノ音楽として大きく発展させた作曲家である。彼が生きていた19世紀のポーランドはすでに独立國家ではなかった。
ロシア、プロイセン、オーストリアによって分割され、國家としての形を失っていた。ショパン自身も祖國を離れ、パリで亡命生活を送りながら作曲していた人物である。
ここでショパンが選んだ方法が興味深い。
彼は政治的な宣言を書くことはしなかった。革命の歌を作ったわけでもない。彼が選んだのは、ポロネーズという民族舞曲の形式である。
露骨に政治を語らなくても、この舞曲を聴けばポーランド人にはすぐに分かる。これは民族の誇りを示す音楽であり、まだ消えていない意思の音楽なのだと。
いわゆる英雄ポロネーズも、英雄を讃える曲ではない。
むしろ、國家を失った民族がそれでも誇りを失わずに歩き続ける姿を音楽にしたものと言える。曲の冒頭に現れる堂々としたリズムは、威厳ある歩みであり、中盤の激しい低音は抑え込まれていた力の噴出を思わせる。そして最後に主題が再び現れるとき、それは勝利の祝歌というより、民族の誇りがまだ消えていないことの確認のように響く。
つまりこの曲の英雄とは、特定の人物ではない。
歩き続ける民族そのものなのである。
この話は、我々大和の民とは無縁の話ではない。
明治維新から我々は祖國の主権を失っているのだから
主権を忘れた大和の民

① 当時のポーランドとの共通点
まずポーランドを見ると分かりやすい。
ポーランドは、國の形を奪われても、民族としての記憶までは消えなかった。ショパンはそこを音楽にしている。
ここで重要なのは、國家の完全崩壊だけが支配ではないということだ。形式上の枠組みが残っていても、主導権を外から握られてしまえば、内側はすでに崩れているもおなじなのだ。
この点で、今の日本には大きく重なっているのだ。
國旗もあるがこれは外圧によって作らされたもの。
政府もあるがGHQが作った政党が与党に君臨し続ける制度構成がある。
法律もあるが、主導権の中枢が外圧や國際資本のネットワークに大きく依存しているので、日本の主権は何処にあるのかという状況だ。
ここで重要なのは、独立しているように見えるかどうかよりも実際に誰がレバーを握っているかにある。
② 主権の空洞化
主権は、十割奪われて初めて崩れるのではない。
二割でも中枢を握られたら崩れてしまうのだ。
なぜなら國家は、全部の機能を均等に持っているわけではないからだ。
軍事、財政、通貨、関税、法体系、情報。このうち中核のいくつかを押さえられれば、見かけ上の自由はあっても、残りの退路は外から決められるものなのだ。
だから支配とは、全面占領だけを意味しないのだ。
重要なのは、どのレバーを握られたかにある。
表面の自由が残っていても、國家の方向が外から誘導されるなら、それは主権は空洞化されていると考えるのが自然である。
③ 明治から支配されている日本の構造
日本は明治以降、単純にアメリカだけに従ってきたのではない。
もっと上の層、つまり金融資本ネットワークを含む外圧の中で制度を組み替えられ、方向づけられてきたと見ることが必要なのだ。
ここをアメリカ一國との関係だけで見ていると、構造が平面になり本質を見失うことになるし、プロパガンダでその方向に思考が維持されてもいる。
國の背後に、資本、条約、債務、外交、制度設計の網がある。この網を見ない限り日本の近代史は読みとれないのだ。
そしてポツダム宣言受諾以後、その依存構造はさらに深くなった。
見かけの主権は残っていても、実際の制度運用や安全保障、法体系の方向づけの多くが外圧に依存する構造に更になっている。
例えば、日米合同員会とは何か?
これこそが日本の方向性を決める舵取りになっている。
しかし、ここで言いたいのは、日本が全てを失ったという話ではない。
六割以上を外圧に依存する構造に置かれた時点で、國家の自律性は大きく削がれるということである。
④ 主権とは何か?
だから問題は、独立しているかしていないか、という浅い二択ではない。
どこまで自分達で決められるか。どの中枢を自分で握れているか。その一点である。
英雄ポロネーズが示しているのも、まさにそこにある。
全部を奪われてもなお残る民族の意志。逆に言えば、形式が残っていても意志と主導権が抜かれれば、国家は中から空洞化する。今の日本に必要なのは、その空洞を見抜く目である。
⑤ 我々は他民族の融合の結晶である
しかし勘違いしないでほしい。
我々は単一民族ではないのだ。大和の民は、古代からこの列島に流れ込んできた多くの渡来人との融合によって生まれ続けてきた存在である。
生まれ続けてきたということは、我々の形が固定されたものではないということだ。移民が加われば文化は変わる。新しい価値観が流れ込めば社会の姿も変わる。つまり大和とは、純血の民族ではなく、融合しながら続いてきた文明そのものなのである。
しかし、その変化の中でも我々が維持してきたものが一つある。
そして金融資本のネットワークが最も恐れているものもまた、そこにある。
それは我々の融合文化である。
日本列島の文化は、対立する文化を排除することで成立したものではない。外から入ってきたものを飲み込み、変化させ、やがて自分たちの文化の中に取り込んできた。
神道も仏教も、本来は対立する宗教ではなかった。神仏習合という形で共存し、新しい文化を生み出してきたのである。
だからこそ、彼らは主導権を握り明治政府を通して神仏判然令によってこの構造の破壊を試みた。
融合を断ち切り、文化を分断することで社会を再編成しようとしたのである。
彼らの文化は、破壊と創造の文化である。
自分達に沿わないものは破壊し自分達の色に作り替える。
しかし我々の文化は違う。
我々の文化は多少の衝突はあるものの基本は融合と継承の文化にある。
外から入ってきたものを拒絶することは本来の我々の文化とは異なる。
飲み込み、変化させ、やがて自分たちの文化として継承していく。
これが我々の文化の蓄積の厚みを生んでいる。
だから恐れる必要はない。
彼らの薄っぺらな文化など、我々の文化が飲み込めばよいだけなのである。
問題は、その力を我々自身が忘れていることだ。
その忘却こそが、主権を失わせる。
だから必要なのは、外に向かって怒ることではない。
我々自身が主権者として動き始めることである。
請願2.0とは、そのための仕組みである。
これまで日本の政治は、政治家と官僚の中で制度が作られてきた。主権者は選挙で代表者を選ぶだけで、制度そのものを書く側にはいなかった。しかし本来、主権とは制度を作る力そのものを指す。
請願2.0は、その構造を書き換える試みである。
主権者が自ら制度を起案し、社会の構造を内側から書き換えていく立法体制への転換である。
融合と継承を続けてきた大和の民が、自ら制度を書く側に戻るとき、日本という彼らの作った殻の中に閉じ込められていた本当の主権は、再び我々の手に戻ることになる。
そしてその時、我々の文化は再び世界を融合していくことになるだろう。
次回は選挙や従来の請願では制度が変わらない仕組みを構造図でご教示しよう。
請願2.0を制度化しよう
選挙で公約を選んでも、その公約は制度上護れない仕組みになっている。
法律なんて関係ないと言う連中もいるが、その法律が公約そのものを進めさせていないことを理解しよう。
請願2.0を制度化することで、我々が作った法案を議員は國会に提出するだけの小間使いに変わる。
國会もまた我々の請願権に従属する審議体に変わるのだ。
請願2.0を制度化することで政治そのものが変わる。
中の人:自己紹介
この中の人に、請願内容を書けばきっと法案パッケージを作ってくれるだろう。
そしてその方法は、以下の通りだ。
請願申請支援サイトへ要望を出そう
従来の請願ではただのお願いごとなので、
議員はこれを法案に書き変えることが出来ない。
noteの感想でも何でもいいので僕に要望を出そう。
そうすればそれは制度を書き変えるはじめの一歩となるだろう。
以下に手順をまとめると、
要望受付
市民がnoteの感想やメッセージ等で
「制度や法改正に関する要望」を投稿。要旨化・要望の精査
僕が寄せられた要望から実現可能性や政策的価値の高いものを選び、
「法案化を見据えた要旨」を作成。サイト登録・支援募集
要旨を請願申請支援サイトに掲載し、以下2つの形式で支援を募集支援金:起案活動資金(これは僕の作業手数料となる)
Xでの「いいね」署名:市民の賛同数を可視化
支援成立(一定数の支援達成)
支援金と賛同署名が一定水準に到達した場合、
僕が正式に「法案パッケージ」を作成。
内容は憲法・法律・条例・財政措置などを含む本格的な制度提案となる。法案パッケージの公開・展開
作成した法案パッケージを請願申請支援サイト上に追加情報として公開。
読者・支援者・自治体・政策関係者に広く周知する。請願申請の実行
趣旨に賛同しうる任意の國制議員を選定し、
請願の紹介議員となるよう正式に依頼する。
ここまでくれば、
僕の書いた請願書に反論できる議員は皆無なので、
順当に國民投票まで進むことになるだろう。
請願2.0の詳しい説明は、
以下をご覧ください。
請願申請支援サイトはこちら
サイトは日本語・英語・中文・韓國語で世界に向けて発信中
請願一覧
note記事のご案内
制度に対する誤解を解説し、請願2.0へお誘いするマガジン 選挙は要らないよからそのシリーズのみを抜粋
勘違いされると困るのでこのマガジンを作りました。
僕に支持する政党はありません。
何故ならどの政党も制度上無力であり何もできないことを理解しているからです。
ここに全党派の政治政策の査定結果をまとめました。
僕が皆さんに示す道標は政党政治の限界と終焉についてです。
敗戦から今日まで制度が劣化し続けたのは皆さんも含めて法律を教育課程で学んでこなかったことにあります。
政治家は皆さんの代表ですが、彼らもまた法律を知らない國民の一人です。
國政を担う者達がその法律を知らない。
そして皆さんはそれすらも気付いていない。
その気付きを皆さんに共有してもらうためにこのマガジンを提供させていただきます。
法学系大学院生の遥は、卒論に独禁法をテーマに選んだ。
しかし、この法調べれば調べるほど、迷路に陥る。
悩んでいる彼女をみかねて、遥の父親は知事の黒田を紹介する。
そして、遥はさっそく黒田の事務所に向かうことにした。
――ここから彼女の探求という冒険が始まった…
我々が直面しているのは、単なる政治的綱引きではありません。
いまの政党政治は「一般会計」の枠内で票の奪い合いを繰り返すばかりで、その背後に潜む「制度」や「法律」の本質には一切踏み込もうとしていない。
――いや、出来ないのです。
何故なら、彼らは一般教育の過程においても、法律分野においても、政治の根幹となる法律を学んでこなかったからです。
100年経っても、このままでは制度改正など到底不可能でしょう。
本マガジンは、彼らの視座では到底辿り着けない「制度改正論」を特選してまとめたものです。
もはや政党政治は過去の遺物。
このマガジンを読み、全党派の政策がいかに薄っぺらなものかを思い知ってください。
ここに集約した記事には、彼らが曖昧にしてきた「法案の形そのもの」が記されています。
どうぞご堪能あれ。
そして――國民による制度改正を、ここから推し進めましょう。
官僚のほとんどは東大法学部出身。
だが彼らは、「内閣法」を学んだことがない。
この政治の“心臓部”と呼ばれる法律を、誰も知らずに國会は動いている。
実は、どの大学の法学部でも内閣法は教えていない。
司法書士の試験にも出てこない。
では、いったい誰がこの國の内閣を法的に理解しているのか?
その"空白"にこそ、この國の統治の闇が潜んでいる。
三宝とは――ユダヤ教、論語、そして老荘の教えである。
『和を以て貴しとなす』――この精神をもとに十七条憲法は、三宝を一つの“福音”として編纂した。
それこそが、大和魂の原点。
神と仏が自然に共存した神仏習合は、そこから始まった。
だが、明治の「神仏判然令」により、それは断ち切られた。
教科書は語らない。なぜか?
GHQの教育基本方針が、歴史と法律を“意図的に”一般教育から排除したからだ。
――今こそ、語ろう。
この日本に、何がなされたのかを。
右派も左派も、その真の大和に目覚めよ。
今の公約やスローガンを選ぶだけの選挙派は國政において、単なるガス抜きに過ぎません。
いくら政党を応援しても、議員は法案を書けないんですよ。
制度を変えるには法案を書かないといけない。
だから法案を書けない議員や政党を応援してもあなたの声は制度には響かないんです。
そして、ここではあなたの気付いていない日本や世界の問題をどどどんっと全ての國政に関わる法体系を分析して来た作者が紐解いて詳しく解説しています
毎日投稿している「選挙なんて要らないよ」
お馬鹿な右派のために書いた特集「右派の知らない日本史」をまとめました
日の丸は、白旗(敗北)と目立つ赤(従順の象徴)
旭日旗は、これを胡麻化すための軍旗だが、國際金融資本の言いなりで作ったもの
いわば、敗北の上塗り
君が代は、ユダヤの呪いの唄
そして教育勅語は洗脳の言葉
明治から大和の民は、
日の丸で、目を隠され
君が代で、耳を塞がれ
教育勅語で、思考停止されていた
國家神道も今の神道も古来の日本に存在したものではない
勿論、天皇などこの神仏融合の世界に生まれる道理もない
だから、神仏判然令で神仏習合を壊したのだ
法律を学び主権者の武器として使った記事をまとめたマガジン
