三筋緯客気植田③~三人の男の女郎買い、いよいよ最終回
梅枝、八重次郎、松太郎三人三様の女郎買いを描く本作品も、いよいよ三人目の松太郎の話。彼は、どんな遊びをするのだろう。
黄表紙「三筋緯客気植田」は、山東京伝(1761~1816)作画、天明七年1789年、蔦屋重三郎版。
三巻三冊の現代語訳を三回にわたって紹介する最終回。
下巻
十二

松太郎は、梅枝と八重次郎の身の上をきのどくに思い、とかく傾城買いといえば、無性にむつかしきように思えど、自分の生まれつきの気性のままに遊び、それで気があった女郎を買えば、たがいにおもしろいことだし、それならば気のあう女郎になじもうと思っていると、いつしか松賀屋の千代の介という女郎になじみ、自然と気があうので、手練手管もいらず、もとより両思いのまま月日もかさなり、もはや年季明けとなり、「明日から店をやめやんす」と、本当にいうようになる。
千代の介「今日もおいでなんし。染山さんのこれこれ、いい男も、今日は泊まりでおすよ」
松太郎「だれやらではないが、五日ぐらいの居続けは、どうってことないさ」
千代の介「湯へ入りなんせんか。ひもじゅうおすならお茶漬けを取り寄せんしょう。小梅のがりがりするのでお茶漬けなんし」
十三

松太郎が思うには、女郎というものは、家の中に入れて女房にしたらおもしろくない。
灯籠に夫婦と現じ来たりたり
(身請けされた女郎が、今年は夫婦でお盆の灯籠見物にやってきた)
という川柳は、おれにはねえものだ。いつまでも、女郎と客でいるからこそおもしろいと、年季の明けた千代の介を、松賀屋へあずけたままにし、費用は自分もちで、やっぱり客と女郎のつもりで、雨の降る夜も風の夜も通い、まったく気のはることがない。
さて、光陰は矢のごとく、あっという間に、ことに草双紙の年月ほど早くたつものはなく、二人出会ってからの年月を数えれば、松太郎は八十八になり、千代の介は七十五になりけれども、いまだに女郎と客の気取りで通いけるが、気ばかりはとんだ若く、あるとき口げんかが高じて、枕でたたくやら泣くやら、大騒動となり、ほかの女郎がかけつければ、二人とも歯がぬけて息がもれるうえに、いそいでものを言うので、さっぱりなにを言っているかわからず、みなみな、どうしていいかわからず困る。
千代の介「ぬしが、バクバクバクと言いなんしたから、わっちがバクバクバクと言いしたことさ。ほんに悲しゅうて、バクバクバク」
松太郎「みんな、聞いてくんな。おれが、バクバクバクと言ったら、あいつがバクバクバクと言って、それで、おれがバクバクバクを起こすのよ」
女郎「バクバクとは、夢を食うというけだものじゃあおっせんか。どういうわけか、さっぱりわかりいせん。まあ、静かにしなんし。ほんに、ばからしく、バクらしゅうおすにえ」
十四

おりふし、三月三日の節句なので千代の介も女郎の一員なので、行事に出なければならず、全身黄無垢のそろいというおしゃれなものなれど、腰はまがって、外八文字の女郎の歩き方どころか、一文字もできず、ようやく杖にすがって道中を歩く。それでも、まんざら普通のばあ様には見えず、猿がお芝居をするような気取りで、なにやら草双紙にありそうな場面。
千代の介の禿は、「むこうの人、むこうの人」と呼び、「なんでござります」と言えば、「しょうゆのもろみを一合くだせえ」と言えば、「とんだものをお取りなさりやす」と聞けば、「いんにゃ、花魁が、なめさっしゃるのだよ」とは、大笑いなり。
松太郎「これ、おれの言うことを聞かねえか。香川さんとまゆずみさんに、よく言ってくれよ。てめえ、あれに惚れたら、なんとかしてやろうか」
禿「知ら~ん。しれたものさ。およしなんし、そんなとこへ手が、松太郎せ」
松太郎「芸者のおくにとおりせを呼びにやってくんねえ」
女房「花魁、おはようござります」
千代の介「おちさん、下のほうと伏見町を流しいした。もう漬物は食べられません。禿や、ちっと腰をたたいてくりや」
新造「花魁は杖をつきなんすから、蘭洲さんと夫婦にすればようすねえ」
十五

松太郎の身代は、今は息子の代となり、息子の松左衛門、爺の松太郎の廓通い、いつまでもこれでは困ると、家族で相談し、とにかく相方の女郎を引き取って女房にさせたら道楽もやむだろうと、息子に対するように思い、茶屋と相談し、店へ申し入れければ、松賀屋では、
「山へも捨てたい年格好の女郎ゆえ、一文もいりませぬから、いっこくも早くお引き取りください」
と、相談も決まり、いよいよ近くに引き取るつもりの珍説。孫の嫁も、思いがけなく姑ができる。
親戚「いらぬお世話だが、ぜんてえ、この作者が吉原好きで、大べらぼうをはじめた男さ。ほかにアイデアもありそうなものだが、とんだ話を作り出して、おまえたちの大きな難儀になった」
親戚「とかく、年寄りには早く女房をもたせるのが薬でござるて」
松左衛門「子の心親知らずと、わたくしに苦労をかけてなりません。もうちょっとはものごとのわかる年齢さ」
松太郎「おれは、あれと別れては生きてはいけない。番頭、おまえ、いいようにやってくれろよ。おまえもうちの番頭をしているから、そのくらいはできるだろう」
十六

千代の介は、七十六年の苦界を逃れて、松太郎と吉日を選び婚礼し、女郎の名を捨て、酒を飲む席もなく、針仕事を常としようと思っても、針に糸が通せない。
♪今宵めでたの松太郎様よ、枝も栄えて葉も茂る。千代のう介のおめでたや
と家中で歌う。
松太郎が吉原好きなので、こじつけの謡をうたう。
♪全盛楽にはひげをなで、うたがい楽には地酒を飲む。相惚れの待つたび、一筆の文ぞ楽しむ
(元歌『高砂』「千秋楽は民をなで、万歳楽には命を延ぶ。相生の松風颯々の声ぞ楽しむ」)
仲人「花婿、花嫁ではなく、花じじい、花ばばあだ」
松太郎「面影の変わらぬ年のつもれかし、とはもっともだ。これ、千代の介、酔ったぞや酔ったぞや」
千代の介「縁は異なもの味なものと、本当にこうなるとは不思議な縁でおす。とかく惚れても惚れられても、手練手管があっても金があっても、男がよくても、縁がなければ末はとげんせん。梅枝さんや八重次郎さんのなりゆきを見るにつけても、縁のあるのが誠じゃえ、という文句を、今、思いあたりいしておっす。
初の座敷からくせになりいした。もし、この盃をあなたに渡すのかえ。おや、ばからしい。あら、また申しんした。素人になったら、廓ことばのばからしいは使わぬものだと、おかみさんが言ってよこしなんしたのに、わたしとしたことが、つい口ぐせで言ってなりいせん。ばからしい」
女「もしえ、お嫁さん、婚礼のときは盃の音をたてるものではござりませんぞえ」
千代の介「わっちは、はずかしくてなりいせん」
息子の松左衛門夫婦は、きまじめに控えている。
十七

婚礼も首尾よく終わり、腰元は初夜の床を準備する。千代の介は松太郎の手を引いて、
「今は昔の語りぐさ、これで本当の夫婦となった、さあ、こちへござんせ」
と急いで二人、屏風の内へ入る。
腰元たちはうらやましく、なにをしているかとのぞいてみれば、提灯で餅をついている。提灯で餅をつくとは、老人のせっくすをいうことわざなり。
松太郎「なんと、年は取っても腰の強い餅であろうが。ぺんたらこぺんたらこ。提灯で餅をつくのは、なるほど、じれってえものだぞ。ぺったんぺったん」
千代の介「広い世界にも、このようなめでたいことはおっすまい。ほんに、じれっとうおすねえ」
めでたしめでたし
松太郎が選んだ松賀屋の千代の介のモデルの女郎屋は、松葉屋のことで、千代の介という名の女郎も実際にいたが、この作品が出たころにはもういなかった過去の人物の名を使っている。
二度にわたって遊女と結婚した山東京伝が、戯画化してはいるものの、苦しい女郎の生活を描いた黄表紙「九界十年色地獄」はこちら、
作品中でも使われるように、有名な川柳や狂歌はよく知られていたようだ。
今までに紹介した川柳については、下記の後半部分を見てほしい、
狂歌についてはこちらも参考にしてほしい、
