三筋緯客気植田①~三人三様の男の遊郭遊びを描く大人のマンガ
江戸時代は、各地方の特産品が全国に流通していった。当時、長野県の上田紬が流行し、その上等な品を生上田と言った。その模様に三本線を引いた三筋立というデザインがあり、それをタイトルに使っている。「三筋立」と「生上田」の間に「客」を入れて、「三」にあわせて三人の遊客の行動を描いているのが本作品である。
黄表紙「三筋緯客気植田」は、山東京伝(1761~1816)作画、天明七年1789年、蔦屋重三郎版。
三巻三冊の現代語訳を三回にわたって紹介する。
上巻
序
三筋緯客気植田自序
織物あり。縞といえども八丁堀にあらず、勘左衛門の雅号の表徳でもなし。地は羽二重と見えて革羽織のごとく、強きかと思えば弱し。艶はないといえども、よく光る。これを上田縞という。その極上なるを生上田というのは、野暮のはなはだしいのを生野暮というのと同じ。
その縞にはいろいろあり。三くずし、二くずし、五本手、三筋緯、少しのすきまもない縞模様も、すかして見ればかくのごとし。
京橋の伝(京伝) 述
一

万事に傾城買いほどむつかしきものはあらじ。この道においては、気性がわかるものなり。
「それほどむつかしく、気のもめるものなら、よせばいいのに、たわけなことだ」
という人に言ったってしょうがない。そいつは、まだ傾城買いのおもしろさを知らぬやつだろう。生きた金といったってしゃべるわけでもないし、死んだ金だって念仏をとなえねば、どうしてやってきた金かわからない。
ここに、場所はどこでも、商売もなんでも、年もいくつでも、人物調査はさておいて、手短に言えば、三人の息子株あり。
一人は梅枝といい、一人は八重次郎といい、もう一人を松太郎という。
正月から年末まで、吉原を家とし、家を吉原とし、貧乏には縁のない連中、おのおの一つずつ傾城買いの見識をたて、ちょいとひねった遊びをしたいものと思う。
八重次郎「いろいろな花魁が手練手管があるというが、やっぱり紙で作ったかぶとだよ。花魁の世話をする番頭新造とのなれあいで、茶屋で二三度会えば、また来てくださいと客をひっぱる。もうちょっとひねった誘いがないのにはまいるぞ」
松太郎「心意気のある女郎買いがないのは、なげかわしい。みんな子ども相手に、殺した生かしたと、ネズミをとったネコのような話は、聞くたびにうんざりする。」
梅枝「今は、吉原も、有名女郎は平成令和のアイドルと同じで、みんな子どもだよ。五六人、こいつはという女郎も、実際会ってみればたいしたことないさ」
二

梅枝は、傾城買いの人情をつらつら考えるに、とかく傾城は楽しみに買うものなので、何事ももろもろの事情を聞かず、聞いたふうにせず、けちなことをせず、すべて子どものような態度でいけば、もともと傾城というものは、あどけなきものなので、自然とツボにはまるだろう。郷に入っては郷に従えとは、こういうことだと、ふっと思いつき、大べらぼうのやみつきで、一人息子の梅三郎という、当年五歳になるせがれを、大尽にして、こうし屋の梅山が子ども好きなのにつけこみ、梅山を相手とし、自分は梅山の下にいる新造を相手にし、とりまきのつもりで太鼓持ち役になり、初会の座敷では、ミカンの皮の盃にミカンの汁で盃ごとをし、ベッドインすれば、梅三郎は、上等の蒲団の中へ、なんの惜しげもなく寝小便をしたので、さっそく新しい蒲団を買ってやる。梅枝は、これくらいの出費はしかたなかろうと思えども、ときどき、「とっさん、とっさん」と呼ぶのには、ちと困ってしまう。
されども、梅三郎をだまして吉原へ連れて来るには、おおいに骨を折る。なんのことはねえ、今のまだ十歳の海老蔵に「暫」をさせるようなものさ。
梅三郎は、がんぜなく、むしょうににぎやかなるをうれしがり、のりにのってきて、
「だれにやろ、あれにやろ、いとしいあなたにやりましょう」
と、太鼓持ちにいちいち祝儀をわたす。
新造「がぶつさん、からことさん、やまのとさんに、見せもうしとうざんすねえ」
太鼓持ち「ちと旦那のおしっこに気をつけねえとな」
梅三郎「これ、おじさん、おめえたちは太鼓を持っているそうだから、おれにも一つおくれよ」
三

梅山は、子煩悩なので、梅三郎をかわいがり、そのうえためにはなるし、子ども相手で気は張らず、何かしてもかんしゃくもおこさず、うぬぼれることもなく、色気はもちろんないのに、おそらくこれほど大通な客人はあるまいと、だんだんかわいさが増し、この客がなくてはと、大事な客の座敷にも顔を出さず、梅三郎の座敷からはなれず、子どものことだから夜はすぐに眠くなるのを、ゆり起こし、鶴や舟の折り紙をしてきげんをとる。
梅枝はとなりの部屋で新造相手でさみしけれども、計画どおりのツボにはまったのがうれしく、
「おれの案じは妙でごぜえやしょう」
と、一人ひげをなでている。
梅山「もし梅さん、今夜は大事な客がおざんすけれど、ぐっと流して、横に来いした」
梅三郎「おや、このあねさんは、うそばっかりや。横に来るってのは、どういうことだい。立って歩いて来ましたね」
梅枝「あの小僧め、おれよりうまく会話をしている」
四

梅枝は、息子の梅三郎と梅山の会話を何度も聞いて、だんだんうらやましくなり、おれと交代したいものだと思い、今はたまりかね、
「せがれにおまえを買わせたのは、実は狂言だ」
と言って口説いても、梅山は承知せず、ただ梅三郎に命がけでいれば、今はやきもちをやき、もう連れて来るのはやめようと思う。
梅山は、梅三郎と深い仲となり、
♪この子待つ夜は久しゅうて、首尾のなる夜の短さに
という歌の文句のとおり、子どもに読める字で手紙を書いて、人形や役者絵をそえて、毎日手紙を送る。
梅枝も、ぐっとのってきて、「一寸先は闇の夜」、どうせどうなるかわからないものだと思い、そのまま通わせる。梅三郎は、母親より梅山をしたい、家にいれば、「吉原へ行こう行こう」と、だだを言ってこまらせる。それが高じ、女郎屋の代金がおびただしくたまり、店でも、梅山が他の客の相手をしないのは、あの客がいるためだと、おとなげなくも、五歳の子どもを出入り禁止にすれば、梅山は、毎晩、中の丁の茶屋で梅三郎に会い、
「どうぞ、もう十年苦界にいれば、この子が十五になったらここを逃げてやろう」
と思いしは、扇屋の便所が遠く離れているように、遠い遠い計画なり。
梅三郎「おらの、おとっさんより、おっかさんより、おじいさんより、おばあさんより、おめえがたんとかわいい」
梅山「それはほんのことでおざんすかえ。かならず見捨てておくんなんすえ。おめえのおとっさんが、このごろはいっそうわっちを口説いてなりやせん。艶二郎でおざんすねえ」
梅枝「あれ、ちくしょうめ、おとっさんよりかわいいとぬかしやがる。あれ、おれを艶二郎だとぬかしおる。ええ、むなくその悪い」
梅山「もし、主は、どれほどかわいいと思っておざんすえ」
と言えば、梅三郎は、梅山をぐっとだきしめて、
「これほどかわいいよ」
と言うのは、みだらな詮索なり。
五

梅枝の思いつき、あんまりうまくいきすぎて、梅三郎の女郎買い、何度も重なり楽しむうちに、家の金はらりこっぱい、めちゃくちゃになりければ、隠居のなにがし、ついにたまりかね、これは梅枝のいきすぎだと、おおいに怒り、子のない昔を思えばよいと、あきらめて、梅枝を勘当して、孫の梅三郎にあとを継がせることにする。
梅三郎は、「とっさん、とっさん、どこへ行く。吉原ならいっしょに行こう」とは、なるほど、いい気なり。
梅枝は、いまさら悔やんでもはじまらず、梅三郎の顔をうらめしそうに見ながら、わが家を出て行く。
梅枝「かんじんの女郎は、あのガキに買わせ、おれは新造相手に毎晩さみしく帰り、そのうえ勘当をうけるとは、さてさて、勘定にあわぬものだぞ」
隠居「早く出てうせろ」
梅枝が選んだこうし屋の梅山のモデルは、丁字屋の丁山(長山)である。丁山は、京伝の「廓中丁子」でもモデルとなっている。
こうして子どもをダシにした梅枝の思いつきは失敗して、次回につづく、
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」(1775年)の現代語訳は、こちら、
うぬぼれ男の艶二郎が出てくる、黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」(1785年)の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
