見出し画像

「それも差別」「これもハラスメント」ーーこんな息苦しい監視社会を、参政党は変えてくれるんだろうか

参政党・神谷代表の「バカチョン」発言について、書評家の栗原裕一郎氏は、「失言」ではなく、わざとかも、と見ている。


これは失言じゃないね。あえて口にして、煽って、切り取って拡散されることを狙ってるよね。自棄なのか計算ずくなのか。
(2025/7/19 3:49)


いや、あれはわざとではなく、失言、というか、疲れで漏れたんだと思う。

私は神谷氏の演説をずっと追っかけている。選挙戦終盤の疲れと、アンチからの妨害のストレス、さらにこの時はPAが不調で何度も音切れし、神谷氏はいつもよりヨレヨレになっていた。

この「失言」のことに限らず、栗原氏とか、参政党を「右派ポピュリスト」と呼ぶ石戸諭氏とか、私が普段はわりと信頼している識者たちと、参政党をめぐっては認識が違うな、と思う。


チョンは朝鮮人の蔑称であり、通常は使うべきでないとみんな心得てはいる。でも、「バカだチョンだ」は、江戸時代からある成句で、そのチョンに朝鮮人の意味はない。疲れて注意力がなくなり、つい口から出たと考えるのが自然だ。(だが批判者は、それがわかっていても、「差別主義者の本心が表れた」と似非フロイト的に解釈する)

また、侮蔑の言葉ではあるが、他人のことを言っているのではなく、この場合は「自分たちが言われた」という文脈で使っている。


ただ、私だったら、どんなに疲れていようと、「バカだチョンだ」というセリフは出てこない。

なぜなら、30年間のマスコミ生活で、「自主規制」が骨の髄まで染み付いているからだ。


だから、神谷代表は、わざとではないにしろ、そういう「自主規制」を普段からあまりしていない人だな、とは思う。


それは、ある意味うらやましいし、ある意味、正しい。


私なんか、それこそ解放同盟の糾弾戦術真っ盛りのときに中高時代を送り、その後は「差別語」にめちゃうるさいマスコミに入って生きてきたから、「自主規制」なしに生きていけなくなっている。

何か言おうと思うと、それは差別と言われるんじゃないか、とか、最近では、これはハラスメントと言われるんじゃないか、とか。不安と心配を抱えて生きている。


そういうのはおかしい! とはっきり言ってくれる参政党がうれしい。神谷さんがまぶしい。


ポリコレだとか、グローバルスタンダードだとか、よくわからないけれど、結局それをやって、どんどんどんどん社会が寂しくなってる。人と人との交流がなくなってる。
もちろん暴力はいけないし、人権は守らないといけない。そういうことはよくわかりますけど、行きすぎたら、結局それが社会を弱くして、結局それが経済を弱くして、そしてみんなでお互いを監視しながら、首を絞め合ってんじゃないですか。SNSとかでね。
私ね、そんな日本に住みたくない。だから、あらがいたいですね。
(7月3日、新橋での演説)


でも、これって、ファシズムの始まりなの? いつも「差別だ」「ハラスメントだ」と取り締まる側の人が言うように。


ある「抑圧」から、また別の「抑圧」に移るだけなのか。


とにかく、差別だのハラスメントだの、「共生」だの「平和祈念」だの、実はあんまり腹落ちしていない概念におびえ、ビクビクして生きてきた人生の最後に、それらを脱ぎ捨てたい! という衝動は感じるね。

自由に生きたい! 自由に考え、自由にものを言いたい!


ああ、神谷さん。あなたを信じていいのでしょうか。

考える時間は、あと1日だ。


<参考>


いいなと思ったら応援しよう!