石破のことはほっとけ 混乱する自民党と誤報するマスコミ
ほーらね! 石破首相に関しては、私が2日前に書いたとおり、
「辞めなくていいんじゃないか。責任とか、ヤボなこと言わなくていいんじゃないか」
という世論に傾きつつあるように思う。
日本人って、そうなんだってば。責任追及なんて面倒なことは、日本人の性に合わない。
だから、ほっとけばいいんじゃないか。
石破の戦後80年談話で、安倍晋三の70年談話が「上書き」されるのが気に入らない、のはわかる。
でも、どうせ石破の世代はもうすぐ死ぬ。
これからは、参政党支持世代が主流になるのは明らかだ。

だから、年寄りたちが死んだあと、若い人たちがまた「上書き」し直せばいい。
参政党がこのまま続くとは限らないが、仮に参政党が天下を取るとすれば、神谷代表は石破より約20年若い。
今の石破の年齢になるまで、これから、90年談話、100年談話と、2回も上書き機会がある。
若い世代が、何でも変えていけばいいのだ。「君が代」の解釈だって、憲法だって。
なんにせよ、「核武装」とか「徴兵制」とかの言葉が出ただけで、
「戦争をしたがっている!」
「平和を、憲法を壊そうとしている!」
と騒ぎ立てるような今の日本では、まともな安全保障の議論は、どだい無理だ。
それに抵抗する意味もない気がする。
下手に反発したら、左翼やしばき隊に「生きがい」を与えるだけである。
だから、そういう世代が消えてなくなるまでは、適当にあしらっておけばいい。
石破おじいちゃんと、自民党の長老たちの、やりたいようにやらせればどうか。敬老の精神で。
それでは自民党が支持を失う、とかは、心配する義理がない。自民党の勝手だ。
とにかく、もうすぐだ。もうすぐ死ぬんだから、老人は。
「ああ、自分は戦後日本の平和に貢献した」と満足して死なせてあげよう。
それと共に、そうした老人たちに、陰に陽に養われていた左翼も死ぬ。
私は松井やよりという朝日の記者(編集委員)のことを思い出した。
私と同世代の人は覚えているだろう。彼女も、石破と同じクリスチャンでね。
慰安婦問題とか、女性国際戦犯法廷とかの運動の中心だった。
彼女は2002年にがんで亡くなった。享年68歳。今の石破と同じ歳だ。
彼女が亡くなった時、韓国の新聞は感謝の追悼記事を書いた。
その後、慰安婦問題で朝日の社長が辞任したことなどを、彼女は知らない。
「女性国際戦犯法廷」の騒動が、朝日側の敗北で決着したことも知らない。
それらが起こる前に、「自分はいいことをした」とだけ思って、彼女は亡くなっただろう。
そんな彼女は、幸せだったんではないか、と思う。
石破の「ミッション」も、松井やよりに似ているのではないだろうか。
だから、幸せに送ってあげればよい。
石破も、しばき隊のリーダーも、私も、だいたい同世代で、もうすぐ死ぬ。
それは確実なんだから、若い人は焦ることはない。
われわれは、その後のことは知らないし、関与のしようがない。
「人事」の速報に意味はあるのか
石破首相の退陣をめぐっては、マスコミ報道の混乱も目についた。
「石破、退陣へ」と打った毎日と読売は、誤報したと思われている。
でも、誤報かどうかは、まだわからない。石破が嘘をついてるかもしれないし、結果的に「正解」となる可能性は残っている。
ただ、「スクープ」というものの危うさを感じたのも確かだ。
スクープは通常、誤報と背中合わせである。誤報のリスクを取らないと、スクープは生まれない。
毎日新聞は昔から、「スクープの毎日」と言われるほどスクープが多かったが、同時に誤報も多かった。慎重さがなく、「やっちゃえ!」と突っ走る社風なのである。
今は、スクープはなく、誤報と偏向だけだけどね。
これまでも書いてきたが、戦前から朝日新聞は「上品だが陰険なイギリス紳士風」で、毎日新聞は「自由だが野放図なヤンキー(アメリカ人)風」だと言われていた。
その社風の違いが、石破退陣をめぐる報道の差にも出ている。朝日はより慎重だ。
毎日新聞は「やっちゃえ!」精神で、戦中は満州事変大歓迎の世論を作りあげたし、平成時代には、その慎重さを欠いた報道がオウム真理教事件をひき起こした、というのが私の説だ(「小説 平成の亡霊」参照)。
そもそも、その前の選挙報道から、日本のマスコミの姿勢に限界を感じていた。
今回の選挙情勢報道では、NHKと読売・日テレが手を組んで世論調査したことが話題になった。
これまでの業界常識では考えられないことだ。NHKや読売のような「勝ち組」ですら、調査費用が負担になってきたのだろう。これは、YouTube番組で、元テレ東の下矢さんも指摘していた。一社では賄えなくなってきた。
マスコミ各社は疲弊して、カネがなく、ろくな記者も集まらず、報道そのものが劣化している。
もう選挙報道など、やめればどうか。そう思っているのは、私だけではないだろう。
もう半日待てば、選挙の結果が出るのに、それより少しでも早く、他社に先駆けて「当確」を出そうと、莫大な労力とカネをかけている。
それに何か意味があるのか。半日待てばいいだけである。選挙結果は逃げないのだ。
マスコミは、「人事」に関するスクープに異常にこだわる。これは、日本のマスコミの特色かもしれない。
どっかの大企業の社長人事でも、発表より1日でも先に抜けば、「大金星」とされる。
でも、一般読者にとっては、どうせ発令される人事を1日早く知ったところで、大した利益はない。それに、時に間違えるから、混乱を増やすだけだ。
その混乱の中には、いわゆるアナウンス効果によって現実をゆがめることも含まれる。何者かの謀略に巻き込まれる可能性もある。
でも、特に新聞社は、昔から「人事で抜く」ことに、異様な情熱を燃やす。人事での特落ちだけはするな、と教育される。
「そんなの意味がないんじゃないか」ということは、確か毎日新聞編集委員の内藤国夫も書いていた。
選挙というのも、言ってみれば「人事」だ。
だから、他社より少しでも早く報じようと、日本のメディアは本能的に突進する。
それで、カネがなくなり、疲弊して、自分で自分の首を絞めている。
もちろん、出口調査をしないと、投票者の属性、年齢や性別がわからない。
それについては、各社は競争するのをやめ、世論調査専門の会社に一任すればどうか。
世論調査は、しばしばその恣意性が指摘される。それを防ぐためにも、公正な調査機関があればいいと思う。
首相の出処進退も、つきつめれば自民党の「人事」だ。
慌てずに、冷静に見ていた方が、マスコミ各社も傷つかずに済むと思う。
<参考>
