参政党と同性愛(&ベンジャミン・ブリテン)
昨日、作家の小谷野敦さんが、Xでこんなポストをしていました。
LGBT理解増進法が参政党とかの票が伸びた原因であることをマスコミは隠そうとしている
(小谷野敦 2025/8/18 11:02)
LGBT理解増進法が参政党とかの票が伸びた原因であることをマスコミは隠そうとしている
— 小谷野敦🦖アンチTRAただし売春についてはTRA寄りらしい (@tonton1965) August 18, 2025
ああ、これはありますねえ。
LGBTとかポリコレとかの左翼政治にうんざりして、みんな右翼に票を入れた。
日本保守党も、LGBT法への怒りが結党の理由でしたね。
でもマスコミは、LGBTを推進した側だから、それが右翼を伸ばしたとは認めたくない。自分たちが原因だ、とバレるから。
私も1年前、男どうしのキスシーンが、子供もいる電車の中のデジタルサイネージで流れているのを見て、
「ああ、やり過ぎてるな」
と思いました。
これは、LGBT当事者たちの思いとは、必ずしも関係ないと思うんですね。
LGBTというより、左翼が、調子こいて、やり過ぎた。
それで、人々の怒りを買い、右翼を呼び込んだ。
左翼がやり過ぎて、右翼が台頭し、右翼がやり過ぎて、左翼が台頭する。
そういう繰り返しは、歴史によく見られます。
どっちも、良かれと思って、やり過ぎちゃうんだよね。
同性愛の街、ベルリン
LGBTをやり過ぎて、右翼が来る。
これは、よく知られるように、ちょうど100年前、ドイツで起こったことでした。
1920年代、ワイマール共和国のドイツは、史上まれなほど、LGBTに寛容な体制でした。
それが、1930年代、ナチスの台頭を招くことになります。
数日前、20世紀最高の作曲家の一人とされるイギリス人、ベンジャミン・ブリテンのことを調べていて、ちょうどそのあたりの歴史を復習していました。
ブリテンに大きな影響を与えた人物として、W・H・オーデンという詩人がいます。20世紀最大の詩人の一人とも言われた人です。
そのオーデンのパートナーが、クリストファー・イシャーウッドという作家でした。
ブリテン、オーデン、イシャーウッド。みんな同性愛者です。



オーデンとイシャーウッドは、イギリスのアッパーミドル(上位中流)階級の出身で、10代前半で寄宿学校で出会い、同性愛関係になります。
LGBTとかBLとかに詳しい人は、E・M・フォースターの「モーリス」という小説を知っているでしょう。その頃のイギリスの同性愛を描いた作品。フォースター自身も同性愛者だったと言われます。
この頃の文化人は、同性愛者ばかりで、同性愛がかなり普通だったようですね。
でも、表向きは、やはり同性愛は御法度でした(1967年まで非合法)。19世紀末のことですが、オスカー・ワイルドが同性愛で投獄されたのはご承知のとおり。フォースターの「モーリス」も、生前は発表できず、死後(1971年)出版されました。
そんな彼らが、夢中になったのが、1920年代、ワイマール共和国時代のベルリンでした。
英語版wikiで、以下のように説明されています。
1923年までに、ベルリンには100近くのゲイ・レズビアンの店があり、階級などによって分けられていました。ほとんどの店は比較的落ち着いた雰囲気でしたが、ベルリンはゲイ、レズビアン、そして性自認が異なるドイツ人の国内移住者や、クリストファー・イシャーウッドのような国際的なセックスツーリストを引き寄せました。
By 1923 there were nearly a hundred gay and lesbian establishments in Berlin, segregated by class and other factors. Although most establishments were rather sedate,Berlin drew in internal migration of gay, lesbian, and gender divergent Germans as well as international sex tourists such as Christopher Isherwood.
(wiki"First homosexual movement")
ここに、「クリストファー・イシャーウッド」の名前が出てきます。
当時のベルリンは、同性愛者のメッカとなり、国際的なセックスツーリズム、つまり同性愛を目的とした旅行者を惹きつけていました。
ケンブリッジ大学を中退したイシャーウッドは、オーデンが先に住んでいたベルリンを訪れ、「人生が変わる」経験をします。
1929年3月、イシャーウッドは、大学院後1年間を過ごしていたオーデンとベルリンで合流した。この旅の最大の動機は、ワイマール時代のベルリンが提供していた性的自由だった。後に彼はこう記している。「クリストファーにとって、ベルリンは少年たちの場所だった」。この10日間の滞在はイシャーウッドの人生を変えた。
In March 1929, Isherwood joined Auden in Berlin, where Auden was spending a post-graduate year. His primary motivation for making the trip was the sexual freedom that Weimar-era Berlin offered, as he later wrote: "To Christopher, Berlin meant Boys".The ten-day visit changed Isherwood's life.
(wiki"Christopher Isherwood")
このベルリンの短い滞在で味わった「性的自由」は、オーデンとイシャーウッドの人生を永久に変えました。
そのあと、すぐにナチスが台頭することになりますが、オーデンは帰国後、BBCの仕事でベンジャミン・ブリテンに出会い、ブリテンに「生涯、同性愛を貫くこと」を説いて、ブリテンの人生も変えることになります。
彼らはみな、生涯、同性愛者であったとともに、生涯、反ファシズム、「反戦」の闘士でもありました。
彼らがファシズムを憎んだのは、それが同性愛者の楽園を奪ったからでもあったでしょう。
ベルリンのLGBT時代最後の輝きと、ナチスの台頭を目撃したイシャーウッドは、その経験を小説に書き、それが映画「キャバレー」(1972年)の原作になります。

「キャバレー」予告編
この映画でも、同性とも異性とも関係する、自由で退廃した当時のベルリンの雰囲気が描かれていました。
ちなみに、「キャバレー」の中で、ライザ・ミネリ演じる自由奔放な「サリー」は、映画「ティファニーで朝食を」(1961年)で、オードリー・ヘップバーンが演じる「ホリー」の原型とされます。
長澤まさみも、舞台で「キャバレー」のサリーを演じたらしい。
映画の公開順は逆になりましたが、イシャーウッドの「キャバレー」原作は、カポーティの「ティファニー」よりはるか先に書かれています。カポーティは若い頃から、イシャーウッドの影響を受けていました。そして、カポーティも同性愛者でした。
アメリカに移住していたイシャーウッドは、1958年、48歳の時に、30歳年下、18歳の画家のドン・バチャーディと出会い、生涯彼と過ごします。
二人の関係は、「Chris & Don. A Love Story」というドキュメンタリー映画になって、2007年に公開されています。日本のLGBTの人にも有名だと思います。
イシャーウッドは1986年に81歳で死去。ドン・バチャーディは91歳で存命です。
「Chris & Don」予告編
なお、現在のベルリンにも、ゲイのためのお店がたくさんあるようです。
そこで起こったゲイの連続殺人事件ドキュメンタリーを、Netflixでやっていました。
ブリテンの少年愛
イシャーウッドもそうでしたが、同性愛者の中には、特に10代の少年を好む人がいます。
ベンジャミン・ブリテンもそうだったことは、イギリス本国では有名なのですが、日本であまり触れられないことだと思います。
英語版のwikiにはそのことが載っていますが、日本語版には載っていません。
この件は、誤解を招くといけませんから、英語版wikiの該当部分をそのまま翻訳しておこうと思います。
ブリテンは成人してからも子供たちと特別な関係を築き、特に10代前半の少年たちと親しい友人関係を築いた。最初の友人は1934年、当時13歳だったピアーズ・ダンカリーで、当時ブリテンは20歳だった。ブリテンが親しんだ他の少年には、若きデイヴィッド・ヘミングスとマイケル・クロフォードがおり、2人とも1950年代のブリテンの作品で三役を歌った。
ヘミングスは後に「彼と過ごした時間の中で、彼はその信頼を裏切ることは一度もなかった」と語り、クロフォードは「この偉大な人物の優しさについてはいくら言っても足りないほどだ…彼は若者に対して素晴らしい忍耐力と親近感を持っていた。彼は音楽を愛し、音楽に関心を持つ若者を愛していた」と記している。
ブリテンの側近の中には、彼が10代の少年に惹かれる理由について、何か特別なものがあるのではないかと長年疑っていた者もいた。オーデンはブリテンの「板のように痩せた少年…無性で無垢な者への魅力」について言及し、ピアーズはかつてブリテンに宛てて「世の中には美しいものがまだあることを忘れないでほしい。子供たち、少年たち、太陽の光、海、モーツァルト、そしてあなたと私」と書いた。
この問題はブリテンの生前はほとんど公に語られることはなかったが、死後には盛んに議論された。カーペンターの1992年の伝記は、この証拠を綿密に検証しており、ブリテンに関するその後の研究、特にジョン・ブリドカットの『ブリテンの子供たち』(2006年)も、ブリテンと様々な子供や青年たちとの友情や関係に焦点を当てている。一部の評論家は、ブリテンの行動について、時には非常に厳しい批判を続けている。
カーペンター氏とブリッドカット氏は、彼が性的な衝動をしっかりとコントロールし、ベッドを共にしたり、キスをしたり、裸で入浴したりするなど愛情に満ちた関係を保っていたが、あくまでプラトニックな関係だったと結論付けている。
(wiki"Benjamin Britten” 翻訳はgoogle先生)
ベッドで横に寝ても、ブリテンは少年の身体に触れることはなかったようです。
ちょっと、マイケル・ジャクソンのスキャンダルを思い出しますね。
ブリテンがいかに「紳士」を貫いていたとしても、今だったら確実にスキャンダルになり、地域の要注意人物になったでしょう。
ブリテンの同性愛と少年愛を知ると、少年合唱が活躍し、同性ソリストのデュエットが延々と続く「戦争レクイエム」の聴き方も、少し変わるのではないでしょうか。
「ねじの回転」「ベニスに死す」など少年や青年が出てくるオペラに趣味があらわれている。
LGBTがファシズムを招いたのか
話が大いに逸れましたが。
ワイマール共和国がLGBTに寛容すぎたから、ナチスの台頭を許した、という言い方はもちろん、いろんな人から怒られるでしょう。
歴史は複雑ですからね。当時の左翼政党が一貫してLGBTに寛容だったかというとそうでもないようだし、ナチスのほうにも同性愛者はいたし。
通常は、1929年の世界恐慌が、ナチス台頭の大きなきっかけとなった、と説明されるでしょう。
でも、歴史をつねに経済的要因で説明しようとするのも、左翼的な見方です。
経済と同様に、「セクシュアリティ」の問題もあると思う。だけど、その要因は無視されがちだと思うんですね。
昨年、Netflixで、ナチス台頭のドキュメンタリーをやっていましたが。
そこで強調されていたことの一つは、文化的に爛熟をきわめていた首都ベルリンを遠くから見ている、地方の人たちの視線ですね。
ベルリンが、同性愛者のインバウンドで盛り上がっているのを、苦々しく見ている地方の人たちがいたわけです。
その地方の人たちを組織する形で、ナチスが拡大していくんですね。
そのあたりが、参政党を連想させると言えば、そうだと思います。
ただ、ナチスは、ごく初期の頃から、共産主義者やユダヤ人、外国人、同性愛者に、公然と暴力を振るっていました。
参政党は、私の知る限り、暴力的ではありません。
むしろ、参政党の政治活動を妨害している共産党とかしばき隊のほうが、暴力的に見えますね。
でも、左翼がやり過ぎると、右翼が出てくる。
右翼がやる過ぎると、左翼が出てくる。
という「法則」は、これからも有効だと思うので、どちらもやり過ぎないように気をつけていただきたいです。
参政党の神谷代表が、LGBTについて、参院選でどう訴えていたか、それを最後に貼っておきます。
もちろん、LGBTの方もいらっしゃるし、同性愛の方もいらっしゃるわけでしょ。
そういう方々の人権を守らなきゃいけませんよ。迫害したり、差別したりするのは絶対によくないと思う。
私の友達にもいます。でも私、普通に付き合ってますよ。私はこういう政治的主張をしてるけど、彼はちゃんと私と付き合ってくれます。
だって別に差別する気ないもん。そういう人もいらっしゃるよね、ってだけで。
でも、原則的に、男は男らしく、女は女らしくで、いいじゃないですか。
(盛大な「そうだ」と拍手)
こういう考え方が、立憲民主党とは180度違うんですよ。
(神谷宗幣 2025年7月17日、大阪での演説より)
(ヘッダー画像は映画「大いなる自由」より)
<参考>
