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創作大賞2026年 エッセイ部門を全応募者チェックして中間選考作を予想する(6001~7000)

・詳しいことはここを参照。
・6001~7000という数字はたおたお様の作者様&作品一覧【エッセイ部門⑤】に対応しますが、僕がチェックしたときより大幅に増えています。ていうか正直言ってかなり対応してません。漏れは7/8の締め切り後にチェックします。
・まずはざっくり選ぶ。最終的には100作に絞ります。
・ユーザーID順です。

99.本を読むために遠くへ行く。 京目かなどめ 様

 特段電車旅が好きなわけではないが、本を読むだけの目的で長距離旅行をするという尖った趣味をお持ちの方の旅行記。何鉄というんだろう? 読み鉄? いやこれは時刻表好きのための言葉らしいから、読書鉄とでも言うべきだろうか。わざわざこのために青春18きっぷを買い始発から乗るのだから本格的。何かに追い立てられるように生活している現代人も、たまにはこういう贅沢な時間の使い方をするべきなのかも知れない。
 ちなみに読書旅に一番適している路線は乗り換えがない飯田線だという。これほど無駄なのに素敵なトリビアもそうはない。

100.中国で“善良な日本人”がヒーローだった時代——『東瀛遊俠』と、“唐手”の里帰り 耕雲様

「扶桑」は有名だから知ってはいたものの、「東瀛(とうえい)」という言葉が日本を指す雅称とは知らなかった(まぁ知ってる人は少ないだろうと思う)。
 本エッセイは、90年代につくられた、「西洋人との決闘に敗れた武士が、中国へ渡り、拳法を学び、やがて現地の悪党と対峙する」という今では考えられないようなストーリーの中国映画『東瀛遊俠』を下地に、武術と武道、本当の強さ、異国で異邦人として生きることなどについて、中国での生活は四半世紀を超えるという筆者ならではの経験に裏打ちされた思索・内省を書いている。
 ただ話題がちょっと取ったらかってる印象があるかな。複数のエッセイを一つにまとめた感がある。

 別のエッセイになるが、「中国に暮らすことの不安といえば、以前なら財布を盗まれることだった。 今は、何気ない写真、資料の受け渡し、調査目的で集めた情報、SNS上のひと言が、思わぬ嫌疑につながるかもしれない」との言葉は監視社会の怖さをリアルに感じさせる。noteに書く内容も十分に注意しているのだろう。

101.妻のお荷物 杉本むえき 様

 小説もエッセイもいい作品というのは出だしの一行目から「おっ」と思わせてくれる。「妻の前世は、ピラミッド建設の功労者に違いない」。これだけでぐっと興味が惹かれる。
 タイトルの「お荷物」にはシリアスな意味合いはほとんどなく、コメディタッチで描く夫婦ものである。『合理的に検討したり深刻に悩むよりも、サクッと面白くなりそうな道を選ぶ』自分とは対照的な性格の妻を、さまざまなエピソードを用いて描写する手腕は見事としか言いようがない。最初に出した段ボールをちゃんと後の方まで使う構成も一種の伏線となって読者に満足感を与える。こういう小技も優れたエッセイストは巧みに使いこなすのだ。

102.ドイツ人の私が、高野山の僧侶になって気づいたこと 南海電車が走るまち 様

 南海電鉄の公式noteで、南海電車について、あるいは南海電車が走る街についてバラエティあふれるエッセイが載っている。構成・撮影の徳山チカという方も、編集の桒田萌という方もどちらもnoteにアカウントがあるプロだと思われるので(実績に書いてないけど多分そうだろう)品質は保証されている。

103.推しの墓 にしお のえ 様

 言ってみれば推しの墓参りに行った……というだけの話ではあるのだが、非常に心に残る作品になった。推しに対する出会いから精神的なけじめまで(別れ、とは言わない)を描いてここまで完成度の高いエッセイはなかなかお目にかかることはできないだろう。

104. 世界に一つのカメラ 創造力と好きが溢れていた子供からのプレゼント
 のんのん 様

 誕生日に子供たちからプレゼントをもらう話。
 これはほっこりするどころの話じゃないでしょう。お母さんこんなプレゼントもらったら一生捨てられないよ。いい気分に浸りたいときにおすすめ。

105.それいけ!ネットバイリンガル世代 武蔵野の虫 様

 テーマ自体はアナログとデジタル(ネット)のあれやこれやで、特段目新しいものではない(そもそももはや目新しいテーマなんて今までにない革新的な技術が出現したときぐらいしか現れないだろう)。
 いいエッセイになるかどうかはその目新しくないテーマにいかに肉付けするかにかかっているが、本作はボリューム感満載、フルコース料理を食べたかのような満腹感を得られる。おまけに料理人の腕がいいから言うことなしの作品になっている。

 通底に流れるのは昭和50年代生まれの筆者の、自分たちはアナログとデジタルの「ネットバイリンガル世代」なのではないかという実感である。これには僕も大いに共感できるところだ。ネット社会への転換期に多感な時期を過ごした人間は、デジタル社会がもたらした便利さの恩恵に大いに感心し感謝するものの、内心どこかでアナログ社会の「泥臭さ」に郷愁を覚えざるを得ない。自分たちを形作った背骨はアナログであるとの実感を捨てきれないのだ。
 親の世代ほどには「ついていけない」感はない。使いこなせてはいる。かといって子供の世代ほどにはネットと手をつないで共に歩んでいる感じもない。一定の距離を保ち、横目でちらちらと様子を窺いながらつかず離れず一緒に進んでいる。そんな調子である。

 普通ならこれで一本のエッセイができる。しかし弁護士である筆者は、自身が手がける裁判がどうなるのか、というサスペンス要素も加える。最後には予定調和的に主人公側の勝利を予測できるドラマとは違い、リアルでは普通に負けることもあり得るので予断を許さない。当然、裁判にもアナログとデジタルの問題が関わってくる(民事訴訟だとオンラインで証人尋問もできるとのこと。驚きであるが、デジタルネイティブは「何を驚くことがあるの?」ときょとんとするか、あるいは「まだできてなかったの?」と逆にびっくりするのだろう)。
 裁判の結果も興味深い。いや、本当に興味深いのは結果ではなく別のところにあるのだが、それがどんなものなのかは本作品を読んでいただきたい。

 と、ここまででおなか一杯のところ、完全なアナログ世代の父とデジタルネイティブの娘との対比、というデザートまでついてくるのである。ボリューム満点という僕の言葉も納得できるだろう。最後のユーモラスな一文も、アナログとデジタルの間を揺れ動く「ネットバイリンガル世代」にふさわしいもので、いやはやここまで書いたならそれは9000字近い大作にもなろうものだ。ここまで読んだ中でもトップ3に入る出色のエッセイである。

おまけ
短編エッセイ『おそらく魔女に近い』(#創作大賞2026) 三上波子 namiko mikami 様

 インパクトのあるタイトルと中身にやられた。斧を持ってヘビをぶった斬る老婆のイメージはあまりに鮮烈。
 僕は粕谷栄市という詩人が好きで詩集も持っている。魔術的イメージを喚起させる、散文詩しか書かない特異な詩人だ。その粕谷栄市の詩をどこか彷彿とさせるものがあった。
 中間選考を通るには短すぎると思うのでおまけにした。


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